発表の前に質疑応答の時間を設けます
紫鳥コウ
第1話
地元の葬儀会社に勤めてからまだ半年しか経っていない。覚えることも多いし失敗ばかりしている。家の都合で博士課程への進学は諦めざるを得なかったが、父が亡くなってからも大学院に在籍させてくれた恩は、一生をかけて返したい。
額縁に入れて大切に飾ってある卒業証書。「修士(国際学)」の文字が「博士」に変わらなくてもいい。将来、大学院に戻るかはさておき、働きながら家族の面倒を見ているいまの生活を恨んだりはしない。
それにしても――大学院を修了してからも、いまだに連絡をくれる柑奈には感謝しかない。
故郷の雪国に帰り、大学・大学院時代に知り合った人たちは、ことごとく連絡をくれなくなった。「研究をしている熊野」ではなくなった途端に、ぼくへの興味を一斉に失ってしまったらしい。
友人としての付き合いがあったわけではないから、当然といえば当然のような気もするけれど。
それにしたって寂しいし、何人かからはぼくの連絡先が削除されたらしく、メッセージが届かなくなった。こちらから抜けるまでもなく、修了式の次の日には、メッセージアプリの「大学院グループ」から追放されていた。
だからこそ――いまでも連絡をくれる柑奈には、特別な感情が芽生えてしまう。この繋がりを、ずっと大切にしたいと思う。
友達と呼べるひとが郷里にいないこともあって、やたらと孤独を感じやすい。むかしから自分の世界に閉じこもりがちだったせいで、クラスの端に追いやられていた。
だからだろうか。柑奈があの大都会で、ほかのオトコと親しくしているところを想像すると、嫉妬をしてしまう。独占欲が頭をもたげてくる。そういう自分を情けなく思ってしまう。
食器を洗い、仏壇の花の水を変え、歯磨きをして風呂に入り……洗い、戸締りをして、ガスの元栓が閉まっているのを確認し――消灯。
二階に上がり、目覚ましがオンになっているかなどを確認しながら、パソコンが起動するのを待つ。来年には買い換えてもよいかもしれない。通話アプリが簡単に立ち上がらなくなっている。
《ルームを作った!》
スマホに柑奈からのメッセージが届いた。
〈いまから入ります〉
柑奈へと返信をする。
「第1回模擬練習」と名づけられたルームに入ると、もうすでに当日使うのであろうスライド資料は画面共有されていた。
右下に表示されている「Kanna YOMOGI」と記されている枠が、ビデオのオンとともにパッと開いて、眼鏡をかけた柑奈の顔が映った。背景は磨りガラスのようなモザイクがかかっている。部屋が見えないようにしているのだ。
「熊野、久しぶり」
かわいらしく手を振ってみせる柑奈。その手が不自然なく動いているから、通信環境に問題はないようだ。
「ごめんね。今日は付き合ってもらって」
「ぼくでよければ……という感じだよ。時間があるときなら、これからも付き合うから」
これからも――という部分を強調した。
「熊野じゃないとダメなんだよね。他のひとたちとモギレンをするのって、疲れるというか、なんというか……」
それは、分かる。研究に対する批判は人格批判ではない……というけれど、圧をかけた口調で詰問したり、研究の背後にある個人的な事情を責めたりするのは、どう考えても間違っている。
そういうことをするのを
ぼくも散々、陰で泣くことになった。気鬱になって、なにも手につかなくなることもあった。そういうとき、ぼくを励ましてくれたのは、柑奈だった。
「よし! やろう!」
向こうでもタイマーをかけているのだろうけれど、念のためにぼくの方でも測ることにした。スマホのタイマー機能で時間を設定する。
と、そのとき――柑奈からスマホにメッセージが届いた。
《熊野じゃないとダメな理由は、もうひとつあるんだけど、なんだと思う?》
パソコンの画面に目線を戻すと、柑奈はビデオとマイクをオフにしていた。
〈生活習慣が似てるから時間を合わせやすいとか?〉
《熊野『じゃないと』ダメな理由だけど? もっと特別な理由があると思わない?》
〈ごめん、思いつかないかも。言ってくれると助かる〉
《そう……じゃあ、発表をするね》
共有された画面に映し出された資料が二枚目に切りかわると、「本当のタイトルは……」とだけ書かれてあった。そして三枚目は――
『わたしが熊野を好きな理由』
――と、柑奈の字で書いてある。
そして、自動でスライドが移り変わるように設定される。
優しいから、気遣いができるから、頼もしいから、悪口を言わないから、責任感が強いから――といった見出しの下に、具体的なエピソードが箇条書きにされていている。
柑奈はビデオとマイクをオフにしたままで、静寂のなかをただスライドだけが動いていく。
そして、「まとめ」と書かれたスライドの下に、こんなことが書かれてあった。
『わたしと付き合ってくれませんか。オーケーならグッドのスタンプを押してください。お願いします』
いままで感じ取ったことのなかった、柑奈の気持ち。もしかしたら、ぼくの気持ちと共振してくれていたのかもしれない。
グッドのスタンプを押して済ませられることではない――柑奈に電話をかける。
深呼吸をひとつする。柑奈がぼくの言葉を待っているのが伝わってくる。肩の力を抜こうとしてみる。かえってそれが、呼吸を苦しくしてしまう。
ぼくは意を決した。
「実は、夏にそっちへ行くことになっていてね――」
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