第5話 アルデンテと夜、その眠り
実際の所、なぜ彼女を追いかけてしまったのかわからない。
追いかけて、捕まえて、そして家に連れてきてしまってから、やっと僕の頭は働くようになってきた。
彼女はソファーに横になって、ぼんやりと本棚を眺めている。
「……好きな作家……」
「え?」
聞き取れなかった。彼女が何か言ったのだ。
「好きな作家は?」
「あ、ああ。それなら、安部公房、かな」
「好きな画家」
「それは、ダリとか、デ・キリコとか」
「好きな色」
「白」
「好きなこと」
「趣味? 読書……かな」
「好きな所」
「……自分の部屋」
「好きな……食べ物」
「パスタ……かな」
「パスタ……」
彼女の質問は一通り終わったらしい。でも今の答えが彼女のなかに残っているようには思えなかった。
あいかわらず、同じ姿勢で横たわっているのだ。
ただ唯一、パスタという言葉だけが、いつまでもその空間の中に浮遊していた。
「パスタ、好きなの?」
僕は沈黙をさけるつもりで聞いた。彼女はちらりと僕を見ただけだった。
「おなか、すいてる?」
手持ちぶさただ。空気がゼリー状になって、時間が流れるのを押しとどめている。僕は窓際に立ったまま、さっきまで眺めていた外の景色に目をやった。遠くの道路を走る車のライトが血液のように流れ続けている。いつまで眺めていても何も変わらないのに、この部屋の空気に比べたらずいぶん楽しいものに思えた。
僕は何をしているんだろう。
ここは僕の部屋で、僕は仕事を終えて、友人と飲みに行って、その帰りに彼女に会って、そして彼女はここにいる。どこで間違ったのだろう。
何がこんな風になってしまったんだろう。違うところは、彼女が今、口を閉ざしているという事だけだ。なんとかして答えを探したいのに、その方法がわからない。どうすればいいんだろう。
僕は無意識のうちに下唇を噛んでいた。強く噛んだわけじゃないけど、こんなクセがあったなんて知らなかった。
窓の外は、あいかわらずの景色だ。オリジナリティがなにもない。
「君の好きな作家は、誰?」
僕は彼女に向き直って聞いた。質問を繰り返せばいい。答えてくれればの話だけど。
「……納屋を焼く」
納屋? ああ、
「村上春樹?」
すると彼女はむくりと起き上がって、不機嫌そうな顔を作った。
「ねじまき鳥と火曜日の女たち、踊る小人、TVピープル、風の歌を聴け、パン屋再襲撃、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
立て続けに言うと、彼女は真っ直ぐに僕を見た。
「……え、と、だから……」
「ワタナベノボルって何に出てきたっけ?」
彼女の目の色が変わった。と言っても言葉通りの意味じゃなくって、何となく鋭さがなくなって、ほとんど無邪気な子どもの目だった。
「確か、短編のなかに、何本かにわたって出てきたと思うけど、」
「ああ、」
そこで彼女の無邪気な面は終わってしまった。吐き捨てるように言うと、彼女はどうやら一人で答えを見つけたらしい。何か言いたげな目で、また僕を見る。
「好きな、画家は?」
僕はひるまず聞いてみた。
「……ダリ、マグリット」
「ヘー、じゃ一緒だね。シュールレアリズム好きなの?」
「俺が好きなのは画。人じゃない。お前の声が好きでも、お前が好きじゃないのといっしょだ」
ちょっとだけ、面食らった。一人称『俺』なんだ。でも何となく、『私』がしっくりくるかと言えば、そんな事はない気がした。
「……そう、じゃ、好きな色は?」
「青系の」
僕は彼女に歩み寄った。なるべくさりげなく自然に近づいて、彼女の隣に腰掛けた。二人には二十センチぐらいの隙間がある。
「好きな、事は?」
「あ、辞書」
彼女は立ち上がってしまった。まるで小鳥を捕まえようとしてるみたいだ。
僕は彼女を目で追った。
「辞書が、どうかした?」
「辞書、読むのが好きなの」
彼女は重そうに辞書を抱えて、本棚を背に座り込んだ。パラパラとめくる。
楽しそうだ。
「……じゃ、好きな所は?」
彼女は顔を上げた。変な顔をしている。どうしたんだろう、僕の言葉、おかしかったかな。
「どうして、辞書読むのか、聞かないの?」
「え、それは……」
もしかして、普段そう返されてるのかな。でも楽しそうだし、それでいいと思ったんだ。趣味なんて人に合わせて作るものじゃない。
「……そっか」
「え?」
彼女は勝手に納得した。何がわかったんだ?
「辞書読むの楽しいし、俺のためにしてることだし、そうだよな」
僕の、考えてることが読めるのか? いや、まさかね。
「好きな所は、風のあるところ。ここも風がある。きもちいい」
網戸の窓から、かすかに風が入り込んでくる。風というよりは空気の流れだ。その時僕は、いつの間にかこの部屋にいつも通りの時が流れているのに気づいた。
彼女は窓の外を眺めた。僕も外を見た。
夜はむらなく広がっていた。星の見えない夜だ。
まるで彼女の唇のようだ、と思った。
そして僕は、まだ彼女の名前さえ知らないことに気づいた。
「あの、君の名前、何ていうの?」
変な感じがした。何だって、いまさら名前になんかこだわる必要があるんだろう。
「……おまえは?」
「あ、松崎、桐」
「ケイ。俺は……セリ」
「セリちゃん」
彼女は辞書に目線を落としたけれど、その目は何も読み取ってはいなかった。
どことなく思いつめたような眼差しは、辞書よりも彼女自身を見つめているように見えた。
夜風の気持ちいい夜だ。
もう十二時をまわってるし、帰り道は人もまばらで少し歩いて酔いをさましたいところだ。いつもなら、行きもしない公園を横切ろうと早々に決めて、僕はマンションヘ向かう途中にある公園に向けて歩きだした。
普通に大通りに沿っていけば、その公園にぶつかることはない。つまり公園にいくには少なくとも、面倒な横道に入ることになる。それでも行こうと思わせる夜だった。気持ちよく酔えたからかもしれない。
僕はなんとなく、心の中で歌を歌いながら歩いていた。なぜだかわからないけど小学校の頃よく歌った童謡だ。ドナドナの次に小さい秋見つけたを歌って、(口に出さずに歌うと、どうしてもスムーズに終われなくて、やけに時間がかってしまう)大きな古時計にさしかかったところで公園に出くわした。
夜の公園は静かだった。
理想的だ、と思った。
理想的な公園だ。そして、僕は公園に入って行った。
公園には、何もなかった。昼間なら誰かがいて、何かがあって、真っすぐに突っ切ろうにも突っ切れないのに、夜の公園には何もなかった。ただ静かだった。
僕は立ち止まって広場を眺めた。
変な気分だ。今までありえるはずの公園が、たった今、ありえない物になろうとしている。
夜の公園は、僕の知っている公園ではない。
早くここから出よう、と思った。早く出よう。僕は酔っているのだ。
そう思って、振り向きざまに歩きだすと、黒い影とぶつかった。
「あ……」
女の子だ。真っすぐ見つめる目。
「す、」
すみません、と言いかけたところで、女の子は笑いだした。声を出して笑う。
「あの、ねぇ、君……」
彼女は笑いやまない。ちょっとムカついてきた。
「ちょっと君! 失礼だろ。初対面の人間にそんなふうにして、親にちゃんと習わなかったのか!」
僕は彼女の腕を捕まえた。彼女はどうにか笑いを止めて、また僕を見た。
「親に、何を?」
「だから、マナーだよ!」
僕がムカついたのは、彼女の笑いが的を得たものでなく、僕のわからない所にあるものだからだ。それを怒るのは八つ当たりかもしれない。
「どんな?」
「初対面の人に、そんな風にいきなり笑いだすなんて、失礼だって習わなかったのかよ」
前例がなければ習わないだろうな。僕は言葉がどんどん違う方向へ行ってしまうのを感じながら、どうしても止められないでいた。いつの間にか、小柄な披女の両肩をしっかり掴んでいながら、失礼なのは自分の方なのにその手を離せないでいた。
彼女は何も言わなかった。でもその目には余裕が感じられた。当たり前だ、僕の言葉の半分くらいはもうすでに正しさを無くしている。そしてその分、彼女に正しさがプラスされるのだ。
彼女は口を開きかけて、やめた。
いくらでも悲鳴を上げてもいいのに、この腕を振り切って逃げるのは許されることなのに、彼女はそれをしなかった。その間、僕は彼女を見つめていた。
彼女の目は、ほとんどそらされずに、僕を見ていた。
「……親なんて、マニキュアほどの意味しか持たない」
やっと聞けた彼女の声は、そう言った。
親とマニキュア。どうつながるのだろう。やっぱり答えは違う所にあって、僕にはわからない。
親とマニキュア。どうしてだろう。
そして気がつくと、僕は彼女にキスしていた。
引き寄せられるキス。離れてから僕が我に返ると、遅れて目を開けた彼女は、さりげなく腕から逃げると、
「初対面の人にキスするのは失礼だって、習わなかった?」
そう言って、少し笑うと公園の出口の方に向かった。
僕はしばらくの間、その場に立ちすくんでいた。
セリは相変わらず辞書を見ている。
しょうがないから僕はパスタを作る。こんな深夜に何だけど、酔いが覚めたらお腹が空いたのだ。ラビオリがまだあったな。
鍋やざるを用意しながらカレンダーを見ると、中途半端な平日にマルがついている。何だっけ?
「あ、見合い……」
そういえば今度、見合いをするんだった。いいのかな、そんなのが夜中に女の子を部屋に連れ込んで。
「でも、やましい事ないし……」
キスしたけど。でも意味があったわけじゃないし、彼女が気にしている感じもないし、ひとまず……置いておこう。
写真の彼女は印象が特にない。いい娘だ、とは言いきれそうなのに、それ以上ではないのだ。何と言うか、僕にたいして訴えるものがない。リノ……とか、そう、ササキリノだ。かわいい名前。でもそれだけだ。
でもそれはそのまま、悪くないって意味にもなる。
だから見合いは断れなくなってしまった。初めてだから親も楽しんでいるのだ。
親とマニキュア。
セリの言葉。いったい何?
「セリ……ちゃん、親とマニキュアって、どういう意味?」
僕は煮立ったお湯にパスタを入れて、セリに振り返った。
「よく、わかんないんだけど……」
質問するのも難しい。ただ、わからないのだ。
セリは不思議そうな目をして辞書から顔を上げた。僕の話、聞いてたかな?
「……ケイ、そのエプロン、かわいいね」
そうじゃなくって、
「ああ、だって、その程度だもん。親なんて」
あってもなくてもいいって事、かな。もしかして家庭環境に何かあるのかもしれない。そうしたら、僕がでしゃばって聞く事じゃないな。
「……俺の親……俺、捨てられたようなもんなんだ。母は結婚しないで俺を産んで、俺が一人で生活できる年になってから、結婚しにいっちゃった。しかも俺の父の所に。二人とも俺がいないほうがいいから、ちゃんとお金くれて、もう何年も会ってない」
セリはけっこう軽くそう言った。僕はなんて返せばいいのかわからなかった。
「……そう……」
「これちゃんと話したの、初めてだ」
セリはちょっと変な顔をした。どうしてだろって顔だ。わざとらしく首をかしげて目線だけ足先から離さない。そのうち飽きたように顔を上げると、膝のうえの辞書を脇に抱えてよつんばいのまま、ソファーによじのぼった。
「あっ」
呆然とセリを観察していてパスタを忘れていたのだ。茹で過ぎてなければいいけど。冷蔵庫から作り置きのホワイトソースを出してあたためる。
「ねぇ、」
「えっ?」
気がつくとセリは足元にいた。辞書を抱えたままだ。
「それ、ケイが作ったの?」
「あ、うん」
ホワイトソースのことだろう、この程度の料理ならできるのだ。
この程度しかできないけど。
「うまい?」
「どうかな、自信あるけど」
「……ふうん」
僕はチーズラビオリを皿に盛り付けた。もちろん二人分。深夜は深夜だけど、中途半端な時間だからたぶん入ると思うけど。
「食べる?」
「うん」
セリはさっさと皿を持っていった。フォークを二本持ってセリを追うと、セリは大事な人形でも扱うように辞書をかたわらにおいて、パスタを手で食べようとした。
「セリっ!」
驚いて止めて、右手にフォークを握らせる。
何考えてるんだ、まったく。マナー知らずとはいえ手で物を食べるなんて、幼児だって最近じゃやらないぞ。
セリは握ったフォークを眺める。
この娘……
「俺、ビョーキなんだって」
セリはフォークを見ながら言う。ああ、今のは読んでほしくなかったのに。僕がうっかり思ってしまった侮蔑的な気持ち。それが伝わってしまった証拠を返されて、僕は何も言えなくなる。
「人から見たら、俺はフツウからはずれてるんだって。いけないのかな、俺は、俺でしかないのにね」
それからセリは、当たり前のようにフォークを使ってパスタを食べ始めた。
この娘の行動だけを見て変だなんて思ってしまった僕は、何なんだろう。
何の、何を基準にして、僕は比べてしまったんだろう。彼女は彼女らしく生きているだけじゃないか。僕は人の目を気にして、結局人並みにならされてしまっているけれど、彼女は純粋に彼女なんじゃないか。それが病気なんて答えになるとは。
でも、僕もそのフツウの一員なんだな。フツウでないことから距離を置き、フツウに暮らして、フツウに結婚して、フツウに年をとる。
「ケイ、パスタ冷めるよ」
「あ、ああ」
セリに促されてソファーに座る。何か難しいことを考えてしまった。
「そんな事ないよ。俺いつも色々考えてるし。これ、うまいよ」
セリは少し僕の目を見てからそう言うと、わざとらしく笑顔を作ってみせた。
「ねぇ、ケイの好きな言葉って何?」
「好きな言葉?」
「うん」
そんなの、急に開かれても。何かなぁ……
「あいまい、みたいな。ファジーとか」
「じゃ、嫌いなのは?」
「定式、かな」
ちょっと言ってから照れてみた。何かこれって、
「ないものねだり」
セリの言う通りだ。僕には物事をあいまいに終わらせる勇気がない。仕事ではそれは役立っているけれど、生活面では息のつまることもある。でも途中で放り出せばまた気になるのだ。あいまいになったのなんて、今日のパスタぐらいのものだ。
「じゃ、セリの好きな言葉って何?」
セリはうれしそうな顔をした。もったいぶっている。
「何だよ」
「ふふー、全部。好き」
全部。なんて欲張りな奴だ。でも嫌いな言葉がないのかな.
「じゃ、嫌いな言葉、ないの?」
「ない」
きっぱりと言い切る。僕なんて自分の嫌な所が出てしまったというのに、この娘にはそんな弱みなんてないのか。
自分の嫌いな部分に疲れて適当なストレスがたまると、毎日の生活にアクセントがついて辛うじて機械化を免れているような僕の生活には、考えられないことだ。
「ケイってさ、相手の顔見つめるの、クセだね」
「え?」
そんなクセ、あったかな。初めて言われたけど。
「そうかな」
「うん。俺の顔、いつも見てる。でも、俺の顔を見てるんじゃないんだね」
セリはそう言ってパスタを食べ始める。どういうイミだろう。
「ケイの視線の先に、俺がいるだけだよ。ケイは違うこと、考えてる」
「ああ、」
言われてみれば、今もセリをみていた。
僕はパスタを口に選ぶ。
あいまいな歯応えだ。こういうのをアルデンテって言うのかな。いつものように時計を見ながら間違いのない茹で方をするよりおいしく感じた。セリはきっと、こんなあいまいさをたくさん持っているんだろう。何となくうらやましい。
名前しか知らない彼女を、どうしてこんなに身近に感じるのだろう。
たまにいるんだな、こういう人種が。自分からは決してそんな風にふるまっていないのに、どうしてもまわりが受け入れてしまう。ごく自然に溶け込んでしまう。溶け込んだと言っても、色が強いから、決して飲み込まれることはない。誰の中にも印象強く残るのだ。
僕にはそんなものはない。それに、そんな娘に会ったこともなかった。人並みなのだ。
「うー」
セリはパスタを食べおわってソファーに寝転がる。辞書はきちんと机のうえに置く。
「ねむい」
「え、食べてすぐ眠るとウシになるよ」
「ウシ」
セリは起き上がって眉間にしわを寄せてみる。でもやっぱり眠そうだ。
「ウシはやだな。ヒトデのようにねむろう」
そう言って、また横になる。セリはヒトデがどんな風に眠るのか知っているのだろうか。僕は知らないけど。
そうして僕は、セリが泊まっていくことに何の違和感も持っていないことに気づいた。
二人分の皿とフォークを重ねてシンクへ持っていく。
「ねぇ、何かさー、CDとか、ない?」
背中に声をかけられて考える。映画音楽やクラッシックばかりだな。セリみたいな若い娘が聴くかなぁ。
「そこのローボードにあるけど、好きなの選んで」
ちょっとセリの方を見ると、無言でうなずいた後に、またよつんばいでソファーをおりていった。CDは結構持っている方だと思う。ただちょっと偏っているけど。映画音楽なら自分の観たもので気に入ったものは、ほとんど持っている。それ以外となると、ゴンチチとか、小野リサとか。でもセリがそれを好きだろうか。小室ファミリーみたいな流行りの曲なんて無いぞ。
ちょっと気が焦ってきた。別に彼女の好きなものがなくてもいいのだろうけど、何となく気になる。趣味が合わないって思われたらどうしよう。急いで洗い物を終える。
エプロンをとって、さりげなく自然を装ってセリに近づく。セリはローボードからCDを出して、十枚ぐらいずつ積み上げている。一枚一枚、ていねいに見ていた。
「何か、いいのあった?」
ごく、さりげなく聞く。
「『セブン』だ。オープニングが好き。画も曲もかっこいい」
よかった。気に入ったのあったのか。映画好きなのかな。
「すごいねー、いっぱい。マイケル・ナイマン! これも好き。でもSリュー少ないね」
「Sリュー?」
「坂本龍一」
「それ、君にしかわからないでしょ」
「でも、呼びやすいじゃん。Sリュー」
「そうかー? おかしいな、確か、」
持ってたはずなのに。たぶん人に貸したままなんだろう。
「あ! ショパンだ!」
「好き?」
「うん。これ聴こう。スケルツォ第二番」
うれしそうだ。CDをセットすると、セリはクッションを抱いてソファーに座って待っていた。流れる旋律。セリは黙っていたけど顔が喜んでいる。思わず笑みがこぼれたようだ。
僕は邪魔しないようにそっと立ち上がって、飲み物を作りにいく。しそのジュースでいいかな。実家から送ってきたのだ。真っ赤な原液を水で薄めて飲む。いつもなら原液も水も計って入れるのだけど、今日は何となくカンを頼りにやってみようと思った。
グラスに原液を入れて勢いよく水を入れる。ちょっと多かったかな。僕の分にするか。もう一つも同じように作って氷を入れる。マドラーを使って静かに混ぜる。氷のあたる音が心地いい。出来上がり。
自信はあるけど、セリに悪いから一応味見をしてみる。微妙に薄く感じるところがもう一口飲みたい欲求を起こす。完ペキだ。
うれしくなって、ちょっと笑ってしまった。早く持っていこう。
二つのグラスを持っていくと、セリはソファーに寝転がっていた。
「セリ?」
寝ちゃったのかな? 近づいてテーブルにグラスを置く。かすかな寝息。
「セリ、」
少し揺らしてみたけど変わらない。何だ、せっかくうまくできたのに。
「しょうがないなぁ」
わざと口に出して言ってみる。でもムダな事だった。
セリを起こさないように静かに運ぶ。
そっとベッドに寝かせると、幸せそうな寝顔でいるのがわかった。そりゃ、好きな曲を聴きながら寝ちゃうんじゃ幸せだろうけど。
僕は小さくため息をついてからセリの横に腰掛ける。不思議な娘だ。
すごく不思議で、すごく強くて、すごく真っ直ぐな娘だ。僕は女の子を誤解してたかな。
無意識にセリの腕をさすっていた。子どもを寝かしつけているようだ。
そして僕は、とても幸せだと思った。
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