第6話 ぜいたくとゆううつ 水面下の水

 お昼ごはんはタコスだった。

 セリが突然、食べたがったのだ。先日梅雨に入ったって時期に、タコスって真夏っぽいイメージなんだけどな。

 それでも久し振りだから二人でちょっと離れた高級スーパーまで行って、タコスのセットとレタスとトマトを買ってきた。チーズは確か、家にまだあったはず。

「リノ、CD買いたいんだけど、寄ってくれる?」

 セリはレジまで来てから言う。もちろん同じ店内であるはずないから、レジの女の子が手を動かしながらちょっと変な目で見た。吉沢律子。ネームプレートには太字でそう書いてあった。オレンジ色でその上に実習生と書いてある。

「いいよ。あとで寄ろう」

 私はネームプレートから目を離さずに答えた。それでもきっと、お金を払ってカゴを持って、この6番のレジを離れたら、彼女の名前を忘れてしまうのだろう。

 私のカゴには、タコスのソースやスパイスやシェル(なぜかオーストラリア製だった)、小麦粉のトルティーヤと野菜、それにイギリスのクラッカーと缶詰のザワークラウト、それとヨーグルトと、輸入モノの食品ばかりでおよそ日本人らしからぬ品々が入っていたので、レジの吉沢さんの目が何者だろうと問いかけているように思えてならなかった。

 それで何となく、優越感をおぼえた。

 見なさい、私たちは日本人が思ってるほど日本人らしくないのよ。そう思って、ちょっと変な気分になった。別に海外経験があるわけでもないのに、私はどうやって日本人を超えた気になったんだろう。とんだ、うそつきだ。

 でも、笑ってしまった。

「リノ、何か変だよ」

 セリはそう言うけど、いいのだ。私たちに国境は関係ない。

「セリ、何のCD買うの?」

「ジプシーキングス。買ってなかったから」

 タコスがジプシーキングスを連想させたのかな。ちょっと地理的には違うか。

 お金を払っていると、セリは早々にカゴを持っていった。きっと自分でビニール袋に詰めたいのだ。セリの入れ方は考えている割に危なっかしいものなので、ちょっと心配になった。でも今日は特につぶされて困るものはないか。トマトも、どうせ細かくするんだし。

 おつりを受けとってセリの所にいくと、今回はまともな入れ方に仕上がっていた。箱物が多いし。

「うまいじゃない。きれいに入ってる」

 そう言ったら、セリはすごくうれしそうな顔をした。

 わざわざ入れ具合を見せるために、台の上に乗せたまま待っていたのだ。私の答えを待っていたのだろう。気をよくしてビニール袋を持つと、先に歩き出した。ちょっと遅れて歩く。

「リノさー、その見合いの相手、家に連れてきたりしないの?」

 突然だった。どこからそんな話になるのよ。

 ああでも、もしかしたら、セリはずっとタイミングを待っていたのかもしれない。

 できるだけ、さりげなく聞けるタイミング。

「んー、そのうちにね」

 だったら、できるだけさりげなく返さなければ。でも私にはセリとあの人を会わせる気はないのだ。できるだけ会わせずにすませたい。もちろん、バレてしまうかもしれないと言う不安もあるけど、何となく、セリに会わせちゃいけないのだ。

「リノ」

 セリが急に立ち止まって振り向いた。

「何? 車、もう少し先だよ」

「ちがう。何で、呼ばないんだ。俺、ただのルームメイトのフリぐらいできる」

 ただの、ルームメイト。

 セリがそう演じれば、たぶんあの人は信じるだろう。セリはちょっと変わってるけど、変わってるからこそそれだけの娘だと思われるのだ。誰もセリの本当の姿を見ることはできない。それを知っているのは、私だけなのだ。

「う、ん。だから、そのうち呼ぶって。ルームメイトに紹介なしってのも、何かあやしいでしょ?」

「……うん」

 セリはあきらめたように向き直って、車に向かった。

 何か、ものすごいうそをついた様で、私の心は晴れなかった。


 車に乗り込むと、セリのリクエスト通りレコード屋に向かった。もうレコードなんて置いてないから変な日本語。その店は洋楽と邦楽とクラシックという単純な分類に別れていて、店の隅には新譜などのCDの聞けるブースがあった。

 ムード音楽とブラックチャート一位のアルバム、カラヤンのと、やっぱり小室ファミリーのアルバムがセットしてあった。どれも聴く気がしなくて、しょうがなく先に入って行ったセリを探すことにした。

 大ざっぱな分類のわりには、種類を多く置いてある店なので、ちょっと棚が入り組んでいる。もしセリがジプシーキングスの所にいないとなると面倒だな。そう思って早めにジプシーキングスの所に行ってみることにした。

「セリ、探してるの、あった?」

 セリはまだそこにいた。

「ライヴのとふつうの、どっちがいい?」

「んー、ふつうの」

「じゃ、こっち」

 セリは一枚を棚に戻して振り向いた。片手に違うCDを持っている。

「そっちは?」

「電気グルーヴ。リノ、『シャングリラ』好きだから。アルバム出てた」

 そういえば最近よく聞く曲。歌ってる人はなんかイメージ違ったけど。

 セリの音楽の趣味は幅広くて私にはよくわからないものもあるけど、表だって聴いているのはたいてい私に合わせてくれる。と言ってもほとんどセリの受け売りで、私が最初から好きだったのなんてショパンぐらいしかなかったけど。

 何となく、クラシックの棚に行ってみた。

 目は無意識にショパンを探す。

 セリはピアノ曲が好きなのだ。ピアノを弾く指を連想するという。ピアノを弾いている手を見ているのが好きなのだそうだ。もちろんものすごく上手い人の魔法のような手のことで、小学校の頃ちょっとかじった程度の私が弾くのではない。セリは私が魔法のようにピアノを弾いたら、私の手も愛してくれるのだろうか。CDを探す指先がピアノ曲集のところで止まる。

 セリに愛される手を持つ人達。

 アラウやハラシェビッチの中に、シプリアン・カツァリスを見つけた。

「たしか、セリの好きな、」

 そうだ。ショパンのスケルツォ。あんまり曲数入ってないと思うとちょっと高いけど、これセリに買ってあげよう。

 セリに愛される手を持つ人達。

 でも、いいんだ。きっと、私はセリに他の所を愛してもらっている。会いもしない人達に嫉妬して、何になるのだろう。

 その時、ケイさんに対する気持ちが、それに似ている気がした。

 何となく、何となくだけど。




「セリー、ひき肉できたよ」

「うん」

 セリは買ってきたCDのブックレットを読んでいた。

 私はひき肉を深めの皿に入れる。タコスのスパイスは信じられない色をしている。すごいオレンジ色。でもその香りはとても香ばしくて、セリに言わせると、この香りがなかったらタコスは食べるほどの価値はないそうだ。私はシェルの塩味もいけると思うけど。

「油、すごいね。どうにかならないかな」

 セリは皿を両手で持って傾けている。セリは肉も苦手なのだ。魚も苦手だし、嫌いなものが多いのだけど、ここまでいくとほとんど偏食なのかな。

「でもそれ牛肉だよ。くさみは少ないと思うけど」

 スパイスの香りは好きなのに肉そのものが苦手だなんて、何か矛盾してる。

 セリはひき肉の皿と一績に受皿を数枚持ってテーブルに向かう。

「レタス、全部使っちゃっていい?」

 丸ごと水につけたおいたレタスを、ボウルの中でもてあそびながらセリが聞いてきた。どうせサラダにでもして食べちゃうだろうな。

「いいよ。そこのガラスボウルに入れて」

 セリは喜んでレタスをちぎり始める。私はトマトをきざむ。最近遊びにきたセツくんが包丁を研いでくれたから、すごく切れ味がいい。気分がいい。

「すごい量だよ。二人じゃ食べきれないかもね」

 私がトマトを切り終えて、たまねぎに取りかかろうとしている時だった。セリはガラスボールに山になっているレタスの山をととのえている。本当に多そうだ。

「じゃ、セツくん呼ぼうか」

 私は何のためらいもなくそう開いた。セツくんは最近PHSを手に入れたって言ってた。契約するなら無料でもらえるなんて、大丈夫なのかなって思っちゃうけど。でもそのおかげでいつでもすぐ連絡がつく。そう思いながらセリを見ると、ちょっとキツい感じのする日でこっちを見ていた。

「あの人、呼べば? 見合いの人」

「え、」

 そんな事、

「サラリーマンじゃないから、日曜が休みか知らないし、」

「じゃ、今知れば。全然連絡してないだろ」

 図星。そりゃ一応出先から電話はしたけど。それにセリに会わせずに会うなんて難しすぎる。

「うーん」

 私が返事を渋っていると、セリは電話を引っ張ってきてカウンターに置いた。

「俺、責めてるんじゃないよ。別に、俺、リノのこと好きだし、それはリノが結婚したからって変わるもんじゃない。リノが結婚するのは、俺を裏切るって事じゃない。リノが幸せになるなら、それでいいって思ってる。電話しなよ」

「……うん」

 そんな風に言われたら、何も返せないじゃない。

 しょうがなく、たまねぎをセリに任せて私はメモを取りにいく。でもセリの前でかけるのはちょっと恥ずかしい。少し考えてから、電話コードを引きずって自室に入った。セリは気にしないだろうけど、セリの前だと恥ずかしい時のためにコードを長くしてあった。

 バックをたぐりよせて手帳を出す。手帳を開くと、小さなメモが挟まっている。3のたくさん並ぶナンバー。

 もう、かけないでセリの所に帰るわけにはいかない。きっとセリにはわかってしまう。

 だめだ。こんな気持ちでかけたら彼にも悪い。家にきて、タコスを食べて、話をするだけじゃない。私は受話器を取って、ダイヤルを回した。

 アンティークな黒電話は受話器が細身で、その割りに重い。

「もしもし、」

 彼の声は明るかった。

 見合いの時と同じ、いい声だ。



 呼び鈴がなった。

「リノ」

「あ、うん、」

 私はテーブルにセットしかけた受け皿をセリに任せて玄関へ向かった。

「どなたですか?」

 わかっているけど一応開いてみる。

「松崎です」

「あ、今開けます」

 急いで開ける。何、あせってるんだろ。

「こんにちは」

 長身の彼は笑っていた。

「こんにちは、どうぞ」

 一応、笑顔で返す。

「あ、これ、手みやげね」

 彼はスーパーのビニール袋を下げていた。中にはたくさんの枇杷びわ。何だか似合わない。ラフな格好なのに、どこかかっちりしているのだ。

「え、そんな、よかったのに。すみません」

「いやいや、ちょっとあせってたし」

「え、ごめんなさい、」

「これ、賄賂ね」

 彼は機嫌のよさそうな顔をしていた。私もすこし気が晴れた気がした。

 セリに会わせちゃいけないと思ったのは、考えすぎかもしれない。

 彼はきれいに靴をそろえてから向き直った。

「どうぞ」

 ろうかは居間に直結している。

 居間のテーブルは、やたらとにぎやかだった。

「すごい。パーティーみたい」

 彼は喜んだような声を出した。セリはサラダにのったカッテージチーズに砕いたクラッカーを立てていた。

「セリ、何やってるの!」

 するとセリは声をたてて笑った。

「かわいいでしょ」

 そう言いながら、なおも笑っている。持っていた方のクラッカーを一口食べた。

「こちら、松崎桐さん」

 しょうがないから、さっさと話をすすめる。

「で、何て呼べばいい?」

 セリの質問は唐突だった。答えようがないから、彼に答えを求めた。

「……あ、ケイでいいですよ」

 彼も、ちょっと間があった。

 それもそうだ。いきなりそう聞かれることなんて、あまりないだろうからな。

「じゃ、ケイ。はじめまして。小泉芹夏です」

 セリのあいさつはあまり意味を持っていなかった。彼女はテーブルに頬杖を付いたままだったし、何より言い方には、あいさつなんかどうでもいいという感じがあった。

「あ、ケイさんも、座ってください。びわ、冷やしてきますね」

 彼をうながして、自分はキッチンに引っ込む。視線の届かない所にくると、嫌なわけじゃないんだけどホッとした。

「リノー、いつも使わないような言葉使いだと疲れるだろ」

 セリの声。

「そんな事ないよ、会社じゃキレイな言葉使いで有名なんだからね」

 居間に戻ると、セリはちょうど向かいに座った彼に、

「会社じゃ、ね」

 と強調していた。

「ちょっと、余計なこと言わないでよ」

「えー、俺、ケイの心臓確かめてるだけだよ、結婚してからじゃ遅いじゃん」

 彼は声をたてて笑った。

「ケイさん、信用しないでね、うそつきなんだから」

「俺、うそつかないもーん」

「いえ、セリちゃん、おもしろいね。リノちゃんも、飽きないでしょ」

「そりゃ……」

「はやく食べようー、おなかすいたようー」

「わかったから、食べて」

「わーい」

 セリはさっさとタコスを作りはじめた。彼はセリを妹みたいに眺めてる。

「ケイさんも、どうぞ」

「あ、いただきます」

 彼はシェルを取ってから、ちょっと迷って、何だか危なっかしい手つきで野菜をのせはじめた。

「初心者、よだれ掛けが要りそうだな」

 セリが声をかけると、彼は真面目な顔で、

「お言葉に甘えさせていただいた方が、いいかもしれない」

 と言った。すごい言い方。でもうちによだれ掛けなんてないよ。

「シャレのわからん奴だな、手元のやつを代用すれば、何とかなるんじゃない?」

「どうも、」

 彼はどうにかこぼれそうなタコスを片手に持って、片手でナプキンを膝にかけた。

 スムーズに食べてるのはセリだけで、私は何となく、彼の危なっかしい動きを見ていたので、いつのまにか自分の分がおろそかになっていた。

「タコスを自分で作って食べるなんて事、ないからなぁ」

 彼は危なっかしいながらも、楽しんでいた。

「初体験だよ」

 セリが内結話をするような声で言う。彼も笑う。

「この年で?」

「うわー、言う」

 二人は笑っている。私も合わせて笑った。

 でも私には、彼も演技しているような気がした。なんと言うか、抜け目がないのだ。

 セリも演技している。演技している二人の前で、普通にしている私はなんなのだろう。

 どこから見ても、完ペキな三角形だ。彼とセリと私。セツくんの時とは違うけど、キレイな形の三角形だ。なのにこの違和感はなんだろう。

 ぜいたくなのかもしれないけど、何だかやるせなかった。

 この日のタコスは、まずかったのかおいしかったのか、覚えていない。

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