Chapter 2-21 あなたは誰ですか

 轟々と立ち込める黒煙のような瘴気に、きらめは目を見開きながらもためらうことなくその中へと飛び込んだ。


「ゲンさん!!」


 どこまで続いているか分からない黒霧のなか、最初に姿を見つけたのはゲンだった。サングラスを外して晒されている素顔を見るのは初めてだが、彼だと認識するのは難しくなかった。

 疲弊し、その場に崩れ落ちていたゲンは、サングラスをかけ直すとかぶりを振ってきらめに告げる。


「気を付けろ……あのばあさんは、ただの、リーゼのばあさんなんかじゃあない……!!」

「……わかりました。ゲンさんはできるだけ早く、安全なところへ」

「……ふぅーっ。すまんな、役に立てなくて」

「いえ。これは僕の役目ですから」


 微笑み、頷き合う。


「リーゼを、頼む」

「――はい!!」


 威勢よく返事をし、きらめは再び駆けだした。


 魔族は、瘴気を自由にコントロールできる。それはすなわち、瘴気を意図的に隠すこともできるということだ。

 つまりはいかにきらめと言えど、瘴気を隠されては目の前に立たれたとしても魔族だと認識できない場合もある。


 黒霧の先に、人影が見えた。

 リーゼらしきその人影に向かって、きらめは大声で呼びかける。


「リーゼさん!! 無事で――」


 しかし、その声は途中で途切れた。突如として吹き荒れた向かい風が、きらめの全身を嬲ったからだ。この烈風により黒霧が霧散していく。脳裏に弾ける火花のような音が散る。


 霧が晴れ、確認できた姿は確かにリーゼのものだった。

 だが、きらめは彼女に向けてイクスの矢を引き絞った。彼女のそばには倒れ伏すドラとウリボーの姿があった。きらめは弓矢を構えたまま、彼女へにじり寄る。


「ドラとウリボーから離れてください」

「おやおや、いきなり物騒だねぇ」


 弓矢を向けられながらも、リーゼの姿をした誰かは穏やかに微笑みながら後退していく。


 ドラとウリボーの元まで歩み寄ると、きらめは彼女へ問う。


「――あなたは、誰ですか」

「分からない、かい? そうだねぇ、みかんでもお食べなさいねぇ」


 彼女の手元に、どこからか苗木が現れる。苗木は光に包まれていたが、それはリーゼのイクスである黄緑色ではなかった。黒く淀んだ濁流のような光に包まれた苗木は、地面に落ちると急速に成長を始めた。あっという間に一本の木に成長したそこから、彼女はみかんを一つ採る。


 それをきらめに差し出した瞬間、みかんは矢に射られて地面に落ちた。

 みかんは黒い靄となって消えていく。


「……あなたは、誰、ですか?」


 次はない、とばかりにきらめは再び矢を番え、狙いを額に定めた。


「うーん、そうだねぇ……」


 まったく気にした素振りもなく、彼女は小首を傾げる。

 が、そこに響いてきたのは甲高い笑い声だった。


「あははは!! いやですわもう、アリッサったらその顔でおばあさまみたいな喋り方しないでくださいます?」


 声のした方を振り仰ぐ。焼けた屋根の上、先ほどの少女がまったくの無傷でそこにいた。


「煩いわねぇ、ベルベット。あんたこそ、いつまでも猫を被っているんじゃありませんよ」

「――あァ?」


 アリッサ、と呼ばれた彼女からベルベットと呼ばれた少女は、低く猛獣が唸るような声を上げた。さすがにこれにはきらめも一瞬怯んだ。


「あ、あらいやですわおほほほほほ! わ、わたくしとしたことがなんてはしたない……!! わ、忘れてくださいまし!!」


 きらめの様子に気を取り直してか、ベルベットは慌てて取りつくろい始める。あたふたとたたらを踏み始め、ころころと屋根の上から転がり落ちる。が、地面にぶつかる寸前で猫のように体勢を立て直し、難なく着地する。


「ほらほら、気を付けないと」

「元はと言えばあなたが変なことを言い出すからでしょう!」


 憤慨するベルベットに、アリッサはただ小首を傾げるだけだった。

 頬を膨らませながらベルベットへ歩み寄るアリッサとの間に、一本の矢が通り過ぎていった。


「――あなたが誰なのかは、なんとなく分かりました。もういいです。なので、代わりに一つだけ答えてくれませんか?」

「なんだい、お嬢ちゃん」


 アリッサとベルベットはきらめに正対する。二対一。にも関わらず、きらめに退くつもりは一切ない。


「あなたを浄化したら、リーゼさんは元に戻りますか?」

「ええ、ええ。私はこの子に取り憑いたようなものですから、この子が完全に瘴気に蝕まれる前なら、できるでしょうねぇ」

「そうですか。じゃあ――」


 きらめは一度目を伏せる。一瞬、きらめの姿が揺らいだかのような錯覚。


「浄化してあげるよ」

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