小説『カルマ karma』
渡辺羊夢
第1話『千春が機械の体で目覚めるまで』
千春は難病を抱えていた。余命はあと僅か。ただ、人と比べれば余りにも短いこの人生に後悔は無かった。秋介と出会うことが出来たから。千春の人生は秋介というピースが嵌って初めて完成したのだ。
二人に子供は無かった。その代わり、流行りのAI養子を購入し本物の子供のように可愛がった。子供の名前は春と秋の間を取ってナツと名付けた。
秋介は脳の松果体について研究する脳科学者であった。かつて『我思う、ゆえに我あり』という有名な言葉を残した17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは1649年に出版した自身の著書『情念論』の中で松果体を『魂のありか』と呼び、松果体を通じて物質と精神が相互作用をすると説いた。秋介は人間の魂が五次元のハードディスクのような記憶領域に保存されており、松果体はその記憶領域と繋がるアンテナの役目を果たしていることを突き止めた。つまり、人間の体は五次元領域に存在する魂によって遠隔操作されていたことになる。
秋介は密かに千春の魂の接続先を人の体からアンドロイドの体へ変更しようと考えていた。もし千春にこの計画を打ち明けようものなら絶対に反対されることは目に見えていたからだ。
「千春、おはよう」
話かけてきた秋介の目は潤んでいて、声は震えていた。
「おはよう、秋介。なに、先に起きてたの?」
「あ、あぁ。少し早く目が覚めたから君が起きるのをこうやって待っていた」
「起こしてくれれば良かったのに」
「いや、君が自然に起きるのを待っていたかったんだ」
随分変なことを言うもんだ。いつもは自分が先に起きたら真っ先に私を起こすのに。
「それより、体は重くないかい?」
「えぇ、別に大丈夫よ。現にこうやって起き上がっても何の問題も…」
「そうか。起き上がれるようになったんだね。本当に良かった」
「どういうこと?私、寝たきりでもう起き上がれない体になっていたはずじゃ…」
「ごめん。君に黙っていたことがある」
「何よ、改まって」
「僕がどんな研究をしてたか、君は知ってるよね?」
「えぇ、松果体の研究でしょ?」
「そう、遂に僕は松果体から逆探知をかけることで五次元領域に存在する魂の位置を特定することに成功したんだ」
「難しすぎて私にはさっぱり分からないわ」
「つまり、君の魂の位置を特定したのさ」
「はぁ」
「それで、君に黙って君が眠った瞬間に魂の接続先を君本来の体から今のアンドロイドの体に変更した」
「ア、アンドロイドですって?」
「あぁ、君そっくりに作ったアンドロイドさ」
「何でそんなことしたのよ!」
「ごめん、少しずつ死に近づいていく君を、少しずつ枯れていく君を見ているのが辛くて耐えられなかった」
「だから私はこのまま死んでも後悔は無いって言ったじゃない!」
「知ってる。何度も聞いた。これは完全に僕のわがままだ」
「わがままって…それに付き合わされる私はどうなるのよ?このアンドロイドの体は老いることが無いんでしょ?ってことはずっと死ねない訳?」
「そうなるね」
「そんなの嫌よ。元の体に戻して」
「元の体は焼却した。あの千春の体も痛々しくてこれ以上見ていられなかった」
「はぁ?私に許可も取らずによくもまぁ平然とそんなことが出来るわね?」
「さっきから不平不満ばっかり!もっと喜んだらどうだ!若くして死ぬことも無く普通の人と同じように人生を謳歌出来るようになったんだぞ!」
「普通の人のその先なんて望んでない!きっとあなたが先に死んで、私だけ残されて…そんな人生嫌よ!」
「大丈夫、僕もすぐ魂の接続先をアンドロイドの体に変更する。それで、永遠に僕と君とナツと3人で過ごせる」
「私は永遠なんて望んでない!人間は終わりがあるから頑張って生きるのよ。頑張って生きるから人生が輝くのよ。永遠に引き伸ばされた薄っぺらな人生なんて何の価値も無いわ」
「それは経験してみないと分からないじゃないか」
「いいえ、経験しなくても分かるわ、きっと退屈極まりないものになるわよ」
「もういい。この話はこれで終わりにしよう。今は君もアンドロイドの体に慣れずに興奮しているだけかもしれない。少し時間を置けばきっと落ち着くさ」
「ちょっと、話は終わってないわよ!待ちなさいよ!」
秋介は部屋から出て行ってしまった。
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