第7話 戦神アベル

そこは白い部屋だった。


先程までの白を基調とした部屋とは違う。もはや部屋なのかどうかもわからない。左を見ても右を見ても白。壁も床も天井もない。

ただ白いということだけしか認識できない。


ここが何処かなんてことを考える前に、緊張が解けて私はその場に倒れ込む。そして。


「ぃやったああああああああああ!!!」


叫ぶ。倒れながら、ボロボロになりながら、それでも勝利の歓声を上げずにはいられなかった。


「勝った、勝ったんだ!龍に!伝説の龍に!!!」


倒したわけではない事はわかっている。明らかなハンデを相手だけに背負わせての戦いだったこともわかってる。


それでも一矢報いて、扉を抜けるという勝利条件を私は確かに満たしたのだ。


初めての勝利という体験に打ち震えながら、本来の目的を思い出す。


神がいると言うこの部屋にあったのは、見覚えのある細工がされた十字架だった。


この空間において唯一にして絶対の存在感。

鎖が巻かれたその十字架には、一人の男が縛り付けられている。

動く気配はない。指一本、髪の毛一本ですら時が止まった様に動かない。


目の前の十字架は首にかけたロザリオと同じ細工。同じ鎖。


違うのは、架けられた男だけ。


気付いてしまえば、もう目を離す事はできない。


「もう少しだけ、頑張れ私...!」


起き上がりたくないと我儘を言う体に鞭を打ち、立ち上がる。


龍は言った。この先に神がいると。

母は言った。このロザリオは神の手がかりだと。

交差する二つの記憶。導かれるのは一つの答え。


一歩づつ歩を進め、十字架の前に立ち尽くす。

架けられた男はそれでも動かない。


「これが...神だっていうの?こんな動かない人形が。」


沸々と怒りが湧いてくる。私や母を短命の呪いという抜け出せない牢獄に閉じ込めておいて、自分はのうのうとこんな所にいるなんて。


「見つけたのに、見つけたのにっ!」


3年間、沢山調べて、駆け回って、ようやく掴んだチャンスはただの抜け殻だった。


閉じた瞳に一筋の光。瞼の裏には笑顔を浮かべる母の姿。


諦めてはいけない。そう言っている様だった。そうだ、まだ終わったわけじゃない。グッと唇を噛み、目の前の男を睨みつける。


今はまず怒りを拳に、力の限りを拳に乗せる。


「ふざけんな!ふざけんなぁっ!諦めてなんか、やるもんかぁぁぁぁ!!!」


思いの丈を叫びながら動かない男をぶん殴る。


拳が当たって、その時だった。


キィィィィィィィィィン!!!!!


鳴り響く高音と共に、眩い光が十字架とロザリオを繋ぐ。


「えっ!?なに!?なに!?」


光るロザリオは十字架と対照となる様に浮かび上がり、架けられた二本の内一本の鎖が十字架の鎖と共鳴する。


「これって-----!」


最後まで言い切る事なく、私の視界は白に包まれた。


眩しさに目をやられ、反射で閉じた。次いで身体を襲う浮遊感。何が起こっているのかは、開かない目でも高音に全てを奪われた耳でも知る術がない。


一瞬か、永遠か。終わりは不意に訪れる。

トスンと地面に落ちた私は、閉ざした目を再び開く。


「いい拳だった。あれだけの想いが籠った拳は初めてだ!」


燃える様な赤髪に、透き通る海を思わせる眼。


髪と同じ赤いコートをたなびかせ、広がる草原の中、崩れ落ちた十字架の上にその男は立っていた。


「俺は戦いの神アベル。小さな戦士よ、お前の名前を教えてくれ。」


戦いの神アベルと名乗るその男はニカッと笑い、私に名を問う。この場所も目の前の男もさっきの光も、何もかもが訳がわからない。それでも答えなくてはいけない、そう思った。


「私はアリア。アリア・ローズルっ!神を、あなたをずっと探してた!!」


「アリアか。良い名前だ。」


そう言って座り込んだ私に手を差し伸べる。少し悩んでその手を取った。大きくあったかい、そんな手だった。

手を引かれ立ち上がる。そして何よりも先に聞かなくてはならない。彼が、そうなのかを。


「あのっ!その...あなたは私の、神様、なの?」


さっきまでは怒りさえ覚えていたその相手に、しどろもどろになりつつも問う。


「いいや、違う。俺に眷属たる人はいない。」


放たれた答えは、私が期待したものではなかった。


「そういえば名前に神の名がなかったな、知らないのか?」


一縷の望みを賭けて、私はアベルに自分のこと、一族のこと、叛逆の神のことを話した。

長くかかってしまったと思う。それでもアベルは黙って私の話を聞いてくれた。


「なるほど、よくわかった。その話、というか伝承が本当なら俺は叛逆の神の一柱ということになるな。」


「え、は!?そうなの!?」


思わず素っ頓狂な声が出る。確かに戦いの神アベルという名前は本で見た覚えはない。


「伝承の中に世界から神達を消し去ったのは『神の中でも最後に生まれた三柱の神。』ってあるだろ?一番最後に生まれた神は俺だな。」


頭が状況についていけてない。もしかしたら私はとんでもないことをしてしまったのだろうか。


「しかしな、話を聞きながら思い出そうとしていたんだがあそこに封印された前後の記憶が全くないんだ。当然そんな神々を消し去るなんてこともした記憶がない。」


腕を組みながらうーんと頭を悩ませるアベル。こっちは叛逆の神を解き放った大犯罪者になるかもしれないのに。


「ま!そんな事は今考えてもわからん!どうせ答えはでないだろ。」


それよりも、とアベルは続ける。


「アリア。お前の神のことだがな、俺はそいつを知ってるぞ。」


今日何度目になるかわからない、殴られた様な衝撃。同じ叛逆の神なのだから知っていてもおかしくない。逸る心臓を抑えるのはもう無理そうだ。


「教えてアベル!!私はどうしてもそいつを見つけたいの!名前がわからなきゃ、何も始まらない!」


身を乗り出し問い詰める。また、鼓動が聞こえる。体も、心臓も、髪の毛一本に至るまで震える様に答えを待った。


「教えてもいい。ただその前に一つ聞かせてくれ。...お前はその神を見つけてどうする?」


アベルはまた私に問う。そんなことは母が亡くなったあの時から決めている。


「聞きたいことも、言いたいことも沢山ある。でもまずは!」


アベルの不興を買うかもしれない。それでもこれは決めたこと。目を真っ直ぐに見つめ、神の問いに私は答えた。


「一発!ぶん殴ってやる!!」


答えを聞いたアベルは、怒ることもなく。


「ふ、ふ、はは、あーっはっはっはっは!!!」


腹を抱えて笑ったのだった。


「それはいい!実にいい!神の子である修道女が神を殴るか!!」


「なによ、教えてくれないつもり?」


「いいや、教えるさ。しかし今すぐにというわけにはいかなくなった!」


まずい、やはり怒らせてしまっただろうか。


「あいつをぶん殴るんだろ?俺としてもそれは実に痛快だ。しかしな、あいつは強い。俺も一度として勝ったことがない。」


「戦いの神、でも?」


「ああそうだ。何度となく挑み、俺は負けた。力の無いお前にはまず無理だ。」


「だったら、尚更教えてよ!神の名を知ることが魔法を使える条件なんでしょ!?」


思わず大声が出る。魔法が使えれば私も戦えるかもしれない。しかしアベルはキッと真顔になって視線で私を射抜く。


「いいや、人の魔法はあくまで借り物だ。神の権能の一部を世界のエネルギーを使って発現しているに過ぎない。そんなものは紛い物、偽物の力だ。その力を与えた神はいつでも魔法を奪うことができる。大体信仰する神の力を我が物顔で自分の力の様に扱う連中は嫌いだ。」


「でも、それじゃ...戦えない。」


「何を言う。お前は自分の力だけで、魔法に頼らずあの龍に勝ったじゃないか!」


何故、扉の奥にいたアベルが知っているのか。そんな疑問はすぐにアベルから答えが出る。


「お前が入ってきた後は意識があってな、上から見下ろすようにあの戦いは見ることが出来た。実にいい戦いだった、何度も立ち上がる姿は熱くなるものがあったよ。」


さっきの真顔から一転、今度はうんうんと感心している。表情が豊かな人、いや神だ。なんだか想像していた神とは、とても違う。


「本題に戻そう。借り物の力、魔法ではあの神を殴るなんて夢のまた夢だ。ではどうするか。」


指輪が光る人差し指をピッと私に向ける。


「簡単だ。戦う力を、神に匹敵するだけの力を、お前自身で手に入れろ!俺はその可能性をあの封印の間で見た。」


「私が、自分で?」


「そうだ。もしお前が目的を諦め、ただ魔法を使いたいと言うなら是非もない、神の名をすぐにでも教えてやる。だけどな、この話を聞いてまだ神と戦う気があるのなら---」


広がる草原に風が吹く。しかしその声を聞き逃す事はない。


「---俺が戦う力を教えてやる。選べ、アリア・ローズル。ここがお前の分水嶺だ。」


突きつけられる選択肢。目的を諦め、魔法という力を得るか。魔法を捨て、自らの力で目的を果たすか。


私の在り方はいつだって変わらない。私は諦める方法なんて知らないんだ。戦う力を、他の誰でも無い。この手で手に入れる。なんだ、私にぴったりじゃないか。


「教えてアベル。私に戦う力を。」


アベルはまたニカッと笑う。


「お前ならきっとそういうと思っていた。」


さて、と話を区切りアベルは辺りを見回す。


「これは謝らなくてはいかんな。どうやら俺の権能の一つが暴発してしまったらしい。」


「え、最初からものすごく不安なんだけど。何が起きたの?それに...ここどこなの?」


「定めた対象を強制的に別世界に引き摺り込む術、“世界”。術者が決めた条件を達成するまで互いに出ることが出来ない...のはずなんだが、この規模はあまりにも凄まじいな!」


カッカと笑いながら話すアベル。いや全くもって笑い事じゃない。さっきまでちょっとかっこいい事言ってた癖に...先行きが不安だ。


「そんなに睨むな。大体“世界”がたぶん発動したのはアリアのせいだぞ。」


「へ?なんでよ!私そんなの使えないし!」


「第一に俺はこの場所を知らん。この術は自分の記憶にある場所を参照する。つまり俺が知らないこの場所の参照元はアリアだろ。」


そう言われ、もう一度辺りをよく見回す。言われてみれば遠目に見えるあの森はチーノ大森林...に見えなくも無い。あれ?私のせい?

指を二本立て、アベルは続ける。


「そして俺はここまで大規模な“世界”を構築出来ない。俺の封印を解除した時、お前とそのロザリオから大量に神力が流れ込んできたからな。まぁ大概それのせいだろう。」


冷や汗が止まらない。封印とか神力とかはよく分からないが、もしかしなくてもマズイことをしてしまったらしい。


「あのー...もしかして、ここから出られない、とか?」


「いや、そんなことはないぞ。条件を緩く設定しそれを達成すればすぐに出られるはずだ。...が、これはちょうどいい。有効活用させてもらおう。」


突如アベルは輝かしい金色のオーラをその手に宿す。


「条件はアリア・ローズルが戦神アベルに一発入れること。」


カキンと小気味いい音を立て、広がる草原に響き渡る。待って、あまりにも嫌な予感がする。


「修行はここでしよう、ここならいくら暴れたところで現世には何の影響もないしな!俺に一発入れられなければ、あいつにその拳は届かないぞ!」


「え、え、えーーーーーー!?!?」


いや!確かに神殿に行った時とかは帰ることは考えてなかったけども!色々冷静になるとかなりまずいことになってしまった。

はっはっはと笑うアベルの勢いに飲まれながら、マスターやシェリーの顔が脳裏をよぎる。


「なーに、5年もあれば運良く一回くらい当たることもあるだろ。ちなみに一度決めた条件は変えられないから、諦めて鍛えろ!はっはっはっは!」


「何が諦めろ、よ!ここで今すぐぶん殴ってやる!」


腕を振り回して暴れて見せるが片手で頭を抑えられ、当たる気配は一向にない。


「なんだ?帰りたいのか?ここほど修行に適した場所はないぞ。...よし、そうだな。この条件を達成したら、お前の神の名前を教えてやろう。どうだ?」


ピタッと振り回した腕が止まる。ここで修行すれば戦う力に、神の名前。私の神を探すのに必要な物が揃う。出られないという言葉に焦ってしまったが、ここでの時間は必要な経費なんじゃないだろうか。というか今考えれば帰ったところで私家出中だった。


「...わかった。すぐにでも強くなって見せる。」


「そんな一朝一夕には行かないものだ。これからは朝から晩までみっちり修行をつけてやる!とはいえまずは寝床と飯の確保だな。行くぞ、アリア!」


そう言ってアベルが歩き出そうとした時、茂みがゴソゴソと揺れている。


「あ、あの〜、我も一緒に連れてってもらえると助かるのじゃ...」


その茂みからふよふよと浮かび出したのは、両の掌サイズの白くて小さい龍だった。


「おぉ!!ヨルか!!そうかお前も一緒に入ってきたのか!戦いの様子は見ていたがこうして会うのは随分と久し振りな気がするぞ!」


ヨルと呼ばれたミニ龍を抱き上げブンブンと振りまわすアベル。


「わ、わ、やめてくだされアベル様ぁ!そこの小娘が見ておりますぅ!!我の、我の威厳がぁ!」


「あんまり考えたくないんだけど、このちっこいのさっきの龍じゃないよね?名前も大きさも全然違うし。」


「む?いやこいつはまさしくさっきお前が目を突き刺し倒した龍だぞ。ウロボロスはこいつの種族名だ、人間とか獣人とかそういう類だ。本来の名前はヨルという。ただな、可愛すぎるとか言って自分ではなかなか名乗らないんだ。」


この小さい生き物を見ると先程私が目を突き刺した巨大な龍と同一の者とはとても思えない。


「何を訝しげな目で見ておるか!!ひかえおろー!我は無限龍ウロボロスじゃぞ!」


アベルの腕を振り払い、パタパタと私の前でプンスコしている。

いやぁ...やっぱりなぁ...信じられない。そう結論づけて私はジト目で小さい龍を見る。


「信じておらんな!見るがいい我の真の姿を!」


バッと両手を開き天を仰ぐが、特に何も起こらない。そして鳴り響くのはグゥというお腹の音だけだった。


「...お腹、空いたのじゃ...。」


ヨルはシュンと項垂れてしまった。ちょっと可愛いかもしれない。


「はっはっは!相変わらずの食いしん坊め。飯にしよう!この“世界”に知性ある生物はいないが動物はいる。俺が何か適当に狩ってくるから寝床は二人で探してくれ。後から行く。」


そういって音を置き去りにする様に爆速で海の方へ向かったアベルをよそに、私とヨルは取り残された。


「いいか、小娘!我は貴様に負けたわけではない!あの部屋は我にあまりにも不利な様に作られていたのじゃ!あんまり調子に乗るでないぞ!」


あの時の様な迫力は、どこに置いてきてしまったのか。というかそもそもなぜこんな小さくなってしまったと疑問はあるが、どうやら敵というわけではないらしい。


しかし、しかしだ。なんだかこの尊大な小さい生物を虐めたい欲求に駆られるのだ。

人差し指を自分に向けてヨルに告げる。


「私が勝った。」


その指をそのままヨルに向ける。


「あんたは負けた。」


そして何も言わずにニヘラと笑う。いやはや、実際勝利した感動というのは忘れ難いね。うん。


「き、き、きさまああああああ!!!あぁアベル様は何故こんな娘を...。」


「これからしばらくよろしくね?ヨルちゃん。」


ふざけるでないっと噛みながらもフギャーと威嚇する猫みたいに牙を剥く。本当に全くもって怖くない。何なら可愛い。


そんなやりとりをしつつ、私はある場所に向かっていた。チーノ大森林だ。この世界が私の記憶で出来ているならルートペリアの街も、酒場も、修道院すらあるかもしれない。

しかしどうにもそこに行くとなるとどうにも足が重くなる。街にいい思い出はないし、酒場も最後にマスターとした喧嘩を考えると行くのは少し躊躇われた。これからアベルとの修行が始まるのなら、やはり慣れ親しんだあそこがいい。


「とはいえ何にも荷物ないし、どうしよう。」


「ふん、我は飛び疲れたのじゃ。そのすっからかんの頭に乗せて歩くというならいい事を教えてやろう。」


「え、なに?いい事って。乗せてあげるから教えてよ。」


ヨルからの煽りを華麗にスルーして自分の疑問を優先させる。


「さっきの場所にお主が使ってたリュックとか落ちておったぞ。」


感謝してもいいんだぞ?と言った具合のヨル。いや、そういうのは。


「なんでっ!行く前にっ!言わないのっ!」


ドヤ顔で佇むヨルにデコピンを喰らわせ、私は来た道をドスドスと舞い戻る。


「痛い...この姿だとそんなのでも痛いのに...許さぬぅ...。」


ヨルは意外にも打たれ弱かった。目を刺したのいつかちゃんと謝ろう。いつかね。


一度荷物を取りに戻り、改めて森へ向かう。あの部屋に置いてきてしまった短剣や針もリュックの周りに散らばる様に落ちていた。特別大事なものは入れていなかったけれど、裁縫道具が戻ってきたことは素直に喜ばしい。


やんややんやとヨルを頭に乗せながら言い合いを続けていると日が暮れ始めた頃にあの大樹へと辿り着く。


「やーっと着いた!なんか見た目以上に遠かった...。」


「お主がへっぴり腰で休憩を取りすぎるからじゃろうに!ポンコツ!ノロマ!」


ペシペシと頬を叩いてくるヨル。


「いや、あんたのせいでこっちはボロボロの怪我人なんだけど!!」


「我だってお前が目ぇ刺したじゃろうに!意外と痛かったんじゃぞ!」


「なによ!どんな理屈か知らないけどそっちは治ってるじゃない!」


謝るどころか小競り合いに。しかしここにくる数時間の間にこのやりとりに慣れてしまった。


「はぁ、はぁ...体力の無駄よ...今日は野宿になるだろうから、早く準備しないと。」


「ぐぬぬ、アベル様には逆らえぬ。付き合ってやらんでもないぞ。」


「じゃあ落ち葉を集めておいて。私は水を汲んでくるから。」


そういって大樹のそばに置いてあるバケツを取りに行こうと思ったが、ふと考える。


「あれ、現実世界では置いておいたけど、この“世界”にあるのかな。」


そんな心配は杞憂に終わる。いつも置いてある場所にしっかりとバケツは鎮座していた。

よく見れば吊るしてある木材もそのままだ、どうやら忠実に“世界”は再現されているらしい。改めて神の権能の凄まじさを思い知る。


水を汲み、大樹へ戻ったその時だった。風を切り空から人が、いや神が落ちてきた。正確には落ちてきたという表現は相応しくない。その神は腕いっぱいに逃げ出そうとピチピチと抗う魚を抱え、クレーターを作りながらそこに立っていたから。


「ここにしたのか、いい場所だな。生命力に溢れている。」


「ちょっ、え?どうやって帰ってきたの!?」


「む?海で潜って魚を捕まえてな。そのまま翔んでここまできたが。」


それが何か?とでもいう様に平然と言いのけるアベル。私の知りうる常識ではそんなことはできない。やはり神とは規格外の存在だ。


「色々とわかったこともある。飯でも食いながら今後のことを話そう。」


落ち葉を集めていたヨルもこちらの様子を見て枯れ枝も一緒に拾ってきた。意外に気がきくらしい、ちょうど火を起こさねばと思ったところだ。


「アベル様、こちらにお願いできるじゃろうか?」


「おう。」


持ってきた枯れ木を組んで山にして、落ちていた枯葉を一枚掴み取る。何をするのかと思えばそのまま指で挟んでバチンと豪快に音を鳴らす。するとみるみる枯葉は燃え上がり、あっという間に焚き火ができてしまった。


「...今の、なに?魔法?」


「神は魔法など使わん。今のはただ指を高速で弾き、摩擦で火をつけただけだ。」


「...もうそれが普通ってことで飲み込むことにする、驚いてらんない。」


きっとこれくらいでいちいちツッコんでいれば身が持たない。ありのままを受け入れるとしよう。そう私は無理やり納得する。


「さて一段落ついたところで今後のことを話そう。まずは俺のことだ。」


魚を焼きながら前置きをするアベル。その面持ちは真剣そのものだ。


「アリアの話では神は叛逆の神と呼ばれる三柱によって消えた。さっきも言ったが封印される前後の記憶が俺にはない。思い出そうにも空白があると言った感じだ。この3000年前何があったかを知るには、この3000年の間に何があったのかまず調べる必要がある。」


「でも、この世界から出られないのに調べようがあるの?」


「ああ、さっき海に行った時に街があってな。あれはアリアが住んでいたところか?」


「うん。多分そうだと思う。あんな遠くまで出来てるんだ。」


「あぁ全くもって規格外な状態だ。とにかくその街に下見に行ったんだが図書館もあった。そこで調べられることは調べておくつもりだ。」


「ちょっと待って、この世界って私の記憶から出来てるんでしょ?確かに図書館には通い詰めていたけど、内容を全部覚えてるわけないじゃない。本当に本があるの?」


「恐らくだが心配は無用だ。記憶から参照するといっても現実世界から足りない部分は補完される。こういう使い方をしたことはないから後は行ってみるしかないがな。」


全くもって恐ろしい術だ。神とは皆こうなのだろうか?しかしどうにも違和感がある。戦いの神の権能というには些か攻撃的でないというかなんというか。疑問に答えが出ることはない。


「そしてもう一つ、こっちの方が問題だ。俺の力が完全に戻っていないということだ。全力の7分の1ほどしか使えない。」


「それは我も気になっていたのじゃ、記憶にあるアベル様はもっとこうなんというか、威圧感があったのじゃ。」


魚を食べ終え満足気なヨルが会話に参加する。いったいどういうことだろうか。


「そういうことだ。それに神器もこの指輪一つしかない。それでも充分俺は強いが俺やあの二柱でもない、神々を消し去った何者かがいるとしたら戦う準備をしておく必要がある。」


それは可能性。この世界から神々を葬ったのは叛逆の神と呼ばれている三柱、つまりアベルや私の神ではないという可能性。会ったばかりではある。しかしそんなことをする様な神ではないと、思う。いや、そう信じたい。だからこそ私は修行を頼んだのだから。


「というかヨル。お前は何か覚えていないのか?」


「申し訳ないのじゃが我も2日ほど前に起きたばかりで何も覚えておらんのですじゃ。記憶も...アベル様と同じでほとんど何も覚えておらぬ。ただあの部屋に来るものに試練を与えよという強烈な使命感だけが残っていたのじゃ、あの部屋のルールと共に。」


「そうか...あいつは一体何をさせたかったんだろうな。...考えてもわからないことの方が多い。一先ずアリアの修行中はこの時代の勉学、修行が終わりここを出たら他の神を探しつつ、俺の神器の回収をするとしよう。そこに何かヒントがあるかもしれんからな。」


「我も共に行くつもりじゃ。試練の踏破者が現れた今、我は自由の身。消えた主を探さねばなるまい!それに我が主に濡れ衣を着せた奴がいるとすれば...必ず死をもって償わせなくては!!!」


ヨルの代わりに私が会話から出てしまった間に何やら方針が決まっていく。仕方がない、神器とか封印とかわからないことが多すぎる。そう思った時、突然話題は私に向いた。


「置いてけぼりにしてしまったな、すまん。次はアリアの修行についてだ。」


「アベル様ぁ〜本当にこの小娘に修行をつける気かの?」


「当然だ!アリアの戦いの理由は実に面白い、俺は気に入ったんだ。封印を解いてもらった借りもある。この子の願いを叶えてやりたいんだ。」


ヨルは面白くなさそうに地面に横たわり、木の枝で焚き火をつついている。


「人間嫌いなアベル様のお言葉とはとても思えないのじゃ...。いくら小娘が主の子だからといって此奴は主ではないのじゃ!」


ずっと感じていた違和感。もしかしてヨルが仕えていたのはアベルではなく...。


「もしかしてヨルって私の神の眷属だったの?」


「ムキャー!!何が『私の神』じゃ!小娘の神じゃありませんー!我の神ですぅー!」


バッと飛び上がり取っ組み合いに。一体このミニ龍は何が気に入らないというのか。


「そこまでにしろヨル。言い忘れていたがお前もアリアにあいつの名前を教えるんじゃないぞ、全てが水の泡になる。」


「ハァハァ、アベル様が、そういうのであれば...いてっ!何をするのじゃ!」


最後にぺチッとデコピンを喰らわせアベルの裏に避難する。ちっちゃい癖に生意気なのだ。べー、だ。


「それで、どうして神の名を知ったらまずいの?魔法じゃ神は倒せないっていうのはわかったけど。」


「うむ、できる限り簡単に説明するが、少々小難しい話になるから覚悟しておけよ。」


そう前置いたアベル。どうやらここが重要なポイントらしい。私はアベルの裏から出て焚き火越しの正面に座り、彼の言葉を待つ。


「アリア、お前は魔法の使い方を知っているか?」


「...一応は。神の名前で自分と信じる神を魂の器に繋いで魔法を発動する、だったかな。」


何かの本の受け売りをそのまま話す。自分にもいつかその機会が訪れるのではと、期待を込めて読んでいたんだ。


「50点だ。魔法を発動するためにはそのエネルギーを大気から自分に取り込む必要がある。まぁ要するに神の名前さえ知っていれば、赤子でさえ知らず知らずの内に取り込んだ魔力で魔法を使うことができるというわけだ。」


「その赤ちゃんでも使える魔法を使えないから、酷い目に遭ってきたんだけどね。」


皮肉と自嘲を織り交ぜて呟く。自分で言ってて悲しくなってきた。とりあえずそこでプスプス笑ってる龍はあとでデコピンを喰らわせることにする。


「まぁそう言うな、続けるぞ。では神はどんな力を使うか知っているか?」


「それは...わからない。どんな文献にも残ってなかったから。その神に対応する魔法に近いんじゃないかとは言われてるらしいけど。」


「ふむ、そう伝わっているのか。俺達神は神力と呼ばれるエネルギーを使い、神の権能を行使する。仰々しく言ったが、人と大して変わらん。魂の器に在るモノが神の繋がりと魔力なのか、神力なのかという違いしかない。」


「雰囲気はなんとなくわかったけど...でもそれが私の修行となにか関係あるの?」


ニヤリ。またそんな笑顔を浮かべ、私に向かって指を指す。


「大アリに決まっているだろう。これからお前が体得するのはその神力だぞ?」


「はい?それっていわゆる神の権能なのよね?私人間なんだけど。」


「その通り。だがただの人間じゃない、いや違うな。お前は神の名を知らない本当の意味でのただの人間だ。」


「なにそれ、馬鹿にしてるの?」


魔法を使えないことを馬鹿にされ、膨れっ面になる。


「いいや違う。名を知らない事で神との繋がりがなく、魔力の取り込みも出来ないお前の魂は空っぽだ。そこにあるのは自分自身、アリアという存在だけ。何もない、それこそが神の力を得る第一歩だ。」


私に見せる様に差し出したその手に、金色の光が灯る。美しい光は薄暗い森を焚き火以上に明るく照らした。


「神を知らず、魔法を知らず。ただそこにいるだけで疎まれる存在だったお前は、それに屈する事なく戦い続けた。たった一度でも心が折れてしまっていたなら魂は濁り、神の力を手にする事など永劫無かっただろう。」


アベルは立ち上がり、私の前に立つ。優しい光が二人の間の闇を遠ざけた。


「魂の器に何者も寄せ付けないこと、強靭な精神で不安定な魂を美しいまま保つこと。この二つが強さを得る条件だ。」


--アリア。呼びかけたアベルは座る私の頭に手を置く。


「今まで、よく頑張った。お前は強くなれる。その拳も、想いも、きっとあの女神に届くはずだ!」


そう言って、私を力強く撫でる。大きい手も力加減も子供の頃の母とは似ても似つかない。けれどその笑顔だけは、在りし日に見た母と同じ大輪の花の様だった。


私は、間違っていなかった。誰からも嫌われ疎まれながら、暗闇の海をもがく様なそんな努力も、きっと間違っていなかった。


誰かに認めて欲しかった。お前なら出来ると言って欲しかった。


まだ、報われたわけじゃない。それでもこの神は私が欲しかったその言葉を贈ってくれた。ただそれが何よりも嬉しくて、嬉しくて。


「!?な、何を泣いている!すまん!痛かったか!?」


「なんだ小娘!急に泣きおって!我の玉の様な鱗が濡れるからやめい!」


いつの間にか私の膝に乗っていたヨルも混ざって、突然の大騒ぎ。それがなんだか可笑しくて、いつの日からか忘れていた物を私は取り戻す。


母やアベルと同じ大輪の花を、私も咲かせながらこう答えた。


「ありがとうっ!」


一人と一匹に飛びつき押し倒す。焚き火は消えてしまったがそこに闇などありはしない。神と龍と人間の夜はあっという間に更けていった。

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