第4話 家無し。職無し。名前無し。

side:アリア・ローズル


「これが私とマスターが初めて会った時のこと、満足頂けたかしら命の恩人様?・・・って、なんであんたが泣いてるの。」


シェリーは静かに涙を流していた。声も出さずこちらを見たまま、静かに泣いていた。


「・・・退屈すぎて、あくびがでただけよ。」


涙に気付いて、袖口で拭う。


「・・・その後になるのかしら、次の日の朝、マスターがギルドにとんでもない殺気を撒き散らしながら乗り込んできたのよ。」


「えっ?」


「父さんの執務室のドア蹴り飛ばして、『二度とあの娘を追いかけ回すな』って言ってたらしいわ。」


知らない話。マスターはそんなこと、ひとことも・・・


「もっとはやく教えてくれればいいのに...マスターも、あんたも。」


口を尖らせ、責めるように私は言った。


「別に隠してたつもりは無いけど、あんたとこうしてまともに話す機会なんて、今まであった?」


言われてみれば、ない。顔を合わせれば口喧嘩ばかりだったのだから。


数秒の静寂。マスターの無愛想な表情が脳裏をよぎる。


「...帰らなきゃ。」


軋む身体を動かしながらベッドから降りる。


怒りも悔しさも当然ある。負けたんだ。当たり前だ。


それでも今は、マスターに謝らなくちゃ。


私の恩人の侮辱を、取り消させることができなかった。


私の勝手な喧嘩で、またマスターに迷惑をかけてしまう。


身体は動く。急に立ち上がったからかフラつくが、問題ない。


今はとにかくマスターに会いたい。


「待ちなさい。どこに行くつもり?」


「帰る。話はもう済んだでしょ。」


「ほんっと勝手なんだから。」


ため息をつき、未だ扉の前で仁王立つ彼女は続ける。


「いーい?よく聞きなさい。今のあんたの立場は微妙なものよ。ギルド内で乱闘騒ぎ、しかも2回目。大けがを負ったのはあんたでも、先に手を出したのはそっちでしょ?被害者でも、加害者でもあるんだから。」


ギリっと歯が軋む。間違いない事実だ。


「まだ処分は決まってない。まぁでもたぶん前回と一緒。あんたにもあの男にも罰則なし。貴族の世間体ってのも大変ね。」


「あんたも貴族でしょうに...。でもだったらなおさらいいじゃない。そこを通して。」


「あのね、話聞いてた?まだ処分は決まってないの。決まるまではここで謹慎!」


シェリーは正しい。


間違っているのは私。


そんなことはわかってる。


でも。それでも。


「シェリー。私は負けたの。命を救ってくれた恩人の侮辱を、撤回させることもできずに。」


握り締めた拳に力が入る。噛み締めた歯もギリギリと悲鳴をあげている。


「...謝るくらい、させてよ。」


はぁ、と廊下まで響そうなため息をついたシェリーは染みの無い天井を仰ぐ。


「この治療院の玄関にもギルドのスタッフがいる。部屋を出てもすぐ連れ戻されるだけよ。」


だから、と言葉は続く。


「今日だけは特別。私が送ってってあげる。光栄に思いなさい?」


組んでいた腕を広げ、シェリーはその手に青い光を灯す。


「さぁ、旅の神ヘルメスの名の下に、貴方の行手を導いてあげる。」


驚いた。本当に驚いた。


あのシェリーが私のために魔法を使うというのだ。


まして今彼女は私のお目付役なのだろう。こんなことがバレたら父親に叱られるに違いない。


「どういうつもり?そんなことして平気なの?」


「平気な訳ないじゃない。後から父さんの大目玉に決まってるでしょ。」


「なら、どうして...んぐ」


続きは言えなかった。シェリーの指が私の口を物理的に塞ぐ。


「知らないの?旅の神は気まぐれなのよ。」


触れた指から、青い光が私を包む。


「今度あの酒場でタダ酒飲ませてもらうからね。マスターによろしくぅ!」


そう笑顔で言った彼女は魔法を使うための祈りを紡いだ。


「ちゃっちゃと謝ってきなさい!妖精の導き《テレポーテーション》」


そうして私は、白い病室から姿を消した。



------

side:シェリー・エイプリル・ヘルメス


「あーあ、やっちゃったなぁ。」


病室から酒場までアリアを転移させた私は、一秒で後悔していた。


どうせすぐにいなくなったことも、その原因も他のギルドメンバーにバレる。そしたらあのクソ親父にまたお説教か。


どうにもあの子の前だと背伸びをしてしまうらしい。


境遇が少し似ているからだろうか。いや、あの子と比べるのはあの子に失礼だろう。


そう頭を横に振った所で、私は壁に倒れ込む。


「あいててて...やっぱり日に3回が限界かぁ」


私は魔力の絶対量が少ない。


ギルドで野次馬を飛ばしたので一回。アリアをここまで運ぶのに一回。そして今酒場まで飛ばしたので一回。


それがシェリー・エイプリル・ヘルメスの魔法力の限界だった。


転移という強力な魔法を扱う一族でありながら、私はそれを存分に使うことが出来ない。


使えないわけではない。


しかし父のように世界中どこへでも飛べるわけでもなく、兄や姉のように何度転移しても尽きない魔力を持っているわけではない。


私の転移範囲は精々町一つ。使用回数は3回程度。


兄や姉の絞りカス、出涸らしの失敗作だと言われても仕方なかったのかもしれない。


ギルドでは表立って言われてはいない。けれどわかってしまうだろう。兄や姉は既に世界中のギルドで活躍している。


対して私は17になってなおこの街を出ることのない受付嬢。本来もっと重要な仕事をしていて然るべきなのだから、冷遇されていることは誰から見ても一目瞭然だ。


もちろん努力はした。魔力回復の薬を大量に飲んでみたり、限界回数を超えて発動しようとしてみたり。


前者はそのまま中毒で治療院に運ばれ、後者はそのまま倒れ込んだ。


その度に父からはこれ以上恥を晒すなと叱られ、兄達からは罵られた。


そうして私は努力をやめ、せめてこれ以上嫌われないようにと偽りの笑顔の仮面をかぶるようになった。


そんな時だった。あの子が現れたのは。


その子に神はいなかった。魔法も使えなかった。


名もなき神の系譜だと、街中の人間に蔑まれ、嫌われた。


しかしそれでも彼女・・は立ち止まらなかった。


どれだけ嫌われようが、蔑まれようが、自らの歩みを止めることはなかった。


彼女が何をしたいのか、何を知りたいのか。私は知らない。


それでも逆境の中を何度も立ち上がり進む姿は、私には眩しすぎたのだ。


同時に恥ずかしくなった。彼女が持っていないモノを沢山持っている私が、歩みを止めてしまった事を。


その事が恥ずかしくて、受け入れられなくて、何度も何度も喧嘩した。


謝りたいと思っていても、うまく口が回らない。


何をしても不器用な私だが、いつかは...


コツコツコツ


もたれかかった壁越しに足音が聞こえてくる。


考え事はここまでのようだ。


「さぁて...どうやって言い訳しようかしら?」


-----


side:アリア・ローズル


時間としては本当に一瞬。


青い光に包まれて、辺りが青一面の空間に放り込まれたと思った次の瞬間には、見慣れた看板が掛かったマスターの酒場が目の前にあった。


「これが、転移の魔法...。こんな感覚なんだ。」


実際には2回目なのだろうが、まったく持って記憶がない。気を失っていたのだから当然なのだが。


初めての魔法の感覚に羨ましさと虚無感を覚えながらドアノブに手をかける。


「シェリーがこんな凄い魔法使えるなんて生意気だわ。」


そう毒吐きながら扉を開くと


「また無茶をしたそうだな。」


いつもと変わらない調子でマスターはそこにいた。


もう店を開いている時間にも関わらず、客は一人としていない。


今更扉を閉めて確認することはできないけれど、CLOSEの札がかかっていたような気もする。


そんな余計な思考に気を取られている間にマスターは続ける。


「ギルドから連絡がきた。相手はまたあのオーガストだとな。」


既に何が起こったのかマスターには筒抜けらしい。

元々言い訳なんてするつもりはない。ありのままに今日起きた出来事を告げる。


「...あいつがマスターのこと、馬鹿にしたの。許せなかった。気がついたら体が勝手に動いてた...。」


「その結果、傷だらけで治療院行きか。」


何も言えない。それが事実だから。悔しい。

時計の音が響く。マスターは何も言わずに私の言葉を待っている。


今はまず、謝らなくちゃ。今回のこと、前回のこと。そしてこの街に来たその日のことも。


「マスター。シェリーから私がここに来た日のこと聞いたの。ギルドに怒鳴り込んだって。前の喧嘩も、マスターが何かしてくれたってことは知ってる。...迷惑かけるつもりはなかったの...ごめんなさい。」


一息に捲し立て、頭を下げる。

目を閉じ、じっと何かを考えているマスター。


閉ざされた口から告げられたのは、説教でも、謝罪に対する返答でもなく、私にとっての死の宣告だった。


「アリア。ここまでだ。」


「...え?」


「ハンターはもうやめろ。お前には無理だ。」


マスターの言に、鈍器で殴られたような感覚に陥る。


「お前がハンターになった理由は分かっている。大図書館への入館許可だろう。しかしハンターであり続けるには依頼を受け続けなければならん。アリア、お前では力不足だ。」


「そんな!待ってよ!喧嘩したことは...反省してる!私が負けたから!?もっと、もっと強くなるから!」


頭がうまく回らない。マスターは私の事、応援してくれてるんだとずっと思っていたから。


こんな事急に言われるなんて思いもしなかった。


「3年間、お前はよく頑張った。母との約束のために毎日のように体を鍛え、大図書館で本を読み漁り、神のことを調べていた事も俺は知っている。」


だがな。とマスターは続ける。


「それで何が変わった?神のことも魔法のことも進展はないのだろう。...毎日フラフラになりながら帰ってくるお前を俺は見ていられない。もう、普通に生きていいんだ。」


「そんな...だって私は....。」


マスターは知らない。私が言わなかったから。

母のことも約束のことも、マスターには伝えた。


しかしローズル家に受けた短命の呪いのことは、言えなかった。


言ってしまえば現実になってしまう気がしたから。母の様に光になって消えてしまうのが怖かったから。


私には普通に生きるだけの時間がない。


「...お前が望むならうちで働けばいい。心の整理がつかないのならしばらくゆっくりしていればいい。だが、これ以上危険が付き纏う仕事はさせるつもりはない。」


「......嫌....。」


拒絶。私は明確にマスターを拒絶した。


ハンターである事自体にこだわりはない。


しかしもしやめてしまったら、神を探す手段を失うことになる。


マスターは私に名もなき神を探すのをやめろと、言外に言っているんだ。


「いくらマスターに言われても、私は絶対に名もなき神を見つけてみせる...ハンターも、やめないから!」


そう言って私はバッカスの宿り木を飛び出した。

いや、逃げ出したのだ。優しいマスターから。



---


何も考えず走り続けた私は鍛えた体力に物言わせ、この国の正門まで来てしまっていた。


正門とはいえ閉ざされてはいない。軍事国家とはいえ休戦期には人の往来を優先している。


止まってしまえば疲れはどっと身体に現れる。ただでさえ病み上がり。頭も痛いし身体も痛い、貧血で倒れそう。むしろここまでよく来れたといったところだろうか。


それだけ私にはマスターの言うことはショックだった。


この国で唯一味方だと思っていたマスターに、裏切られたのだから。


わかってるんだ。マスターも私を否定したくてあんな事を言ったんじゃない。私の身を案じて危険なことから遠ざけようとしたんだろう。


頭ではわかっている。でも認められない。やめるわけにはいかない。

名もなき神を見つける事、それは私の生きる目的なのだから。


膝に手をつき、肩で息をしながら呟いた。


「はぁ...はぁ...これから、どうしよう。」


頼れる先は他にはない。考えても驚くほど頼れる相手がいない。今までずっと守られてきた事を自覚する。


今は酒場に戻れない。ギルドも今日はもう行けないだろう。


「仕方ない...とりあえずいつもの森にいこっか...」


息を整え正門を出る。幸いな事に荷物はある。朝出かけた時に持ち出したのは、森での活動をするために揃えたものだ。


「運がいいのか悪いのか、きっと悪いんでしょうね。」


---

歩いて30分ほどだろうか。すっかり太陽はその身を隠し、月が欠伸をしながら現れた頃に私はチーノ大森林に到着した。


慣れた道中だ。夜とはいえ迷う事はない。

川沿いに森の中を進むと一本の大樹が顔を出す。


「いつもは今から帰る時間なのに、こんな遅くに来るなんて悪いことしてるみたい。」


実際、家出をしているのだから悪いことよねとの呟きは風の中に消えていく。


「こんばんわ先生。今日は行く宛が無いからここに泊めさせてもらうわ。」


返答はない。私が声をかけたのはただの一本の樹なのだから。


私が3人並んでようやくといった太さの幹に、青々と葉をつけた無数に枝分かれした枝。

100人いたら100人が「これは大樹だ」と認めるだろう立派な樹だ。


それだけならばただの大樹だが、普通と違う点があるとしたらその枝からはロープで結ばれた丸太が何本も吊るされている。


そう、ここは私の修練場。


依頼の合間にいつもここで特訓をしている。ランクの高いハンターからすれば何をそんなお遊びをと思われるかもしれないが私は至って真剣だ。


誰も私に強さと言うものを教えてくれなかった。

この世界の格闘術も剣術も、魔法ありきの物ばかり。

あくまで魔法を最大限活かすための副次的なものという意識が強い。


魔法を使えない人間のことなど、想定されていないのだ。


まして嫌われ者の私にそういったことを教えてくれる人はいなかった。マスターにも何度か修行をつけてくれる様頼んだが断られた。


しかし諦める選択肢は最初からない。誰も教えてくれないのであれば、自分一人で強くなればいい。


神のことを調べるついでに、あらゆる戦闘指南の本を読み漁った。


最初に手に取った本に、魔力を使い身体強化して10m上空に飛んで相手の頭上から蹴り下ろす。なんて書いてあった時には思わず本をぶん投げてしまったけれど。


参考にならない膨大な情報から少しでも活かせることを見つけて、試していたのがまさしくここなのだ。


「この辺りは冥府の残滓も出ないし安全、よね?」


ここには何度も来ているが日を跨いで留まった経験はない。基本的に闇が深ければ深いほど獰猛になると言われる残滓たちが絶対に来ないとは言い難い。


「火を焚いて来ないことを祈るしかないか」


そういって荷物を広げようところであかりに照らされた足元を改めて見て自分の格好に気づく。


いまだ治療院を出た時の検診服のままである。


「あっ!!修道服!!!」


荷物をひっくり返し大慌てで修道服を引っ張り出す。


「よかった...あった...。」


ひとまずなくしていなかった事に安堵。

一部が裂かれボロボロになっているが、これくらいなら修繕できる。

真っ白な修道服はきっと血塗れになっていたはずだが、治療院の連中が染み抜きもしておいたのだろう。


火を起こし、明かりを確保してからいつも持ち歩いている裁縫道具を取り出した。


「備えあればなんとやら、ね。」


そこそこ本格的な裁縫道具と当て布を用意し、チクチクと裂かれたところを縫っていく。


家事や片付けが苦手な私の数少ない特技だ。

というのも必要に駆られて覚えざるを得なかったと言うのが正しい。


修行やら喧嘩やら依頼で遭遇してしまった残滓どもとの戦いやらで何度もボロボロにしてしまったこの服を直すのにいちいち服屋に出していては出費が嵩む。


結果的に自分でやった方が早いし、安い。

始めた理由はそんなところだが、今では半分趣味になっていて大概の布類は自分で作っている現状だ。


「ようやくこの検診服から着替えられる...染み抜きの手間がなかったのは助かったわ。」


早速と言わんばかりに修道服に着替え、ほつれているところがないかを確認し裁縫道具を片付ける。


ようやく一呼吸置いたところで、私は自分の現状にため息が出る。


「家無し、職無し、名前無し、かぁ。金は...まだあるけど...どうしようかしら。」


そう自嘲しながら今後どうするか思案。


酒場には帰れない。きっとハンターを辞めさえすればマスターはきっと出迎えてくれるとは思うけれど、それはできない。故に帰れない。


ハンターであればギルドもしくは国からいくつかの福利厚生を受けることができる。その一つに国立大図書館の利用許可がある。


貴重な図書が文字通り山ほど蔵書されている有数な図書館だ。本来は一市民の利用は入館するまでに様々な手続きが必要なのだが、ハンターはハンター証を提示するだけで入館することができる。


そもそもハンターになるだけだけなら書類一枚書けばいいのだから、入館は自由でいいのではないか?と最初私も考えた。


しかしハンターであることを継続するのであれば原則として週に1回以上依頼をこなさなければならない。というルールがあるため、要するに「図書館自由に使いたかったら働いてね」という図式らしい。


そしてその図書館は「大」図書館の名に恥じないだけの質と量があった。

歴史書や先程もでた戦闘指南書から始まり、英雄譚に「神様図鑑」なんてものも蔵書されていた。


そこには名もなき神達の言い伝えもあった。残念ながら内容はひどいものだったが。


まだまだあそこには調べていない本がいくらでもある。私の神についての手がかりがあるかどうかは怪しい所だが、他に手立てのない私にはあそこだけが頼りだ。


いかに罵詈雑言を並べ立てられようとマスターに止められようと、ハンターを辞めない、いや辞められない理由がそこにある。


まぁそのハンターという職も今は謹慎中だ。

いよいよもって私に出来ることがない。


「とりあえず明日朝一でギルドに顔出して様子見かなぁ。」


これ以上考えても暗いことばかりがちらついてしまう。こういう時はさっさと寝るに限る。


落ち葉を集めて布団にし、ブランケットを取り出して私は眠りについた。


孤独な夜はもう朝日は来ないのかと思うほど、長かった。

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