第3話 英雄 ジョージ・ヴェルナー・バッカス

side:アリア・ローズル 12歳


それは今よりも子どもだった、まだ何も知らない少女だった時のこと。


私は母との約束を守るのに必死だった。それ以外のことをまともに考えることもなく、とにかく神を見つけ出し母のもとへ連れて行くことだけを考えていた。



母がいなくなって、たった7日であの修道院を出た。

亡骸の無いお墓を作り、どれだけかかるわからない旅の支度をし、水を汲み、保存食を用意した。


どこに何の国があるのかも知らなかった私は母の書斎を漁った。


遺言状...なんてものはなかったが、代わりに母が着ていた修道服と同じ、真っ白で綺麗な修道服があった。サイズもどうやら私用らしい。


泣きそうになる気持ちを抑えた私は机の引き出しに少々ボロボロだが、修道院が中心に描かれた地図を見つけ、一番近い国であるルートペリアに向かうことに決めた。


そうして私は、母との思い出の詰まった家を出発したのだ。



✴︎


ふたたび歩いて7日間、意外にも早く私は軍事国家ルートペリアに行き着いた。


寝袋に鍋、食料に水、この世界の通貨であろうものだったり服に裁縫道具などなど...小さい私には大きすぎる荷物を抱える道中は大変だったことは言うまでもない。


軍事国家というだけに戦争を資源とするこの国は、ちょうどその頃休戦期だったらしく検問も結界も無かった。

もしあれば、身分を証明するものが何も無い私は入ることすら出来ず、すぐに修道院に出戻りすることになっていたかもしれない。


「ここが・・・人の国。ルートペリア・・・」


母以外の人と会ったことも話したこともない私にとって門を潜った先にある人混みの渦は衝撃以外の何物でもなかった。


「とにかく、探さなきゃ。私達の名もなき神を。」


今にして思えば、何の伝手もない私が何かを探そうなんて無謀にもほどがある。

それだけ私は何も見えてはいなかった。


「どこに行けば話が聞けるかな・・・」


渦巻く人の中で私は意を決して、人の良さそうなおばさんに声を掛ける。


「あの・・・すいません!私!神を探してるの・・・ですけど、どこに行けば話を聞けるか知らな・・・知りませんか!?」


緊張してしまい、母から教えてもらっていた敬語もロクに使えず、私は尋ねる。


「あら小さな修道女シスターさん、そんな大荷物を持って神様探しかい?」


その人は見た目通りの優しい人だった。ニッコリと笑顔を浮かべ、私に言葉を返す。


「どこか他の国から来たんだね?神様の事なら教会かギルド、もしくは図書館ね。」


そう言って私の求める答えをくれた。


「!!あ、ありがとう・・・ございます!」


「まだ来たばかりなんだろう?ここからだとギルドが一番近いから連れて行ってあげようか。」


初めて会った知らない私になんて優しくしてくれるんだろう。あの時はそんな風に人の優しさに感動していた。


「お願いします!!」


食い気味に私は答える。何も知らない神について、何かがわかるかもしれない。そう思った。


「私も依頼があったからちょうどよかったわ!すぐ近くにあるわ。さ、行きましょう。」


手を引いて連れて行ってくれる優しい人。外の世界はこんなにも慈愛に溢れている。


しかしその慈愛は赤いレンガの大きな建物、その重い扉を開くまでだった。


「いらっしゃいませ〜♡あら、ギャザー夫人!お久しぶりね♡それに・・・初めまして小さな修道女シスターさん♡」


青髪に旅行帽を被ったお姉さんが明るく私を出迎える。


「この子がね、神様を探してるんだってさ。」


微笑ましいものを見るようにおばさんは言う。


「あら、そうなのね♡私も小さい頃は外で探し回ったものよ♡一体あなたはどんな神様の寵愛を受けているのかしら??」


そんなに年も離れいないだろう少女は、ままごとに付き合う姉のように言う。


私の真剣さは未だ伝わっていなかった。


「名前はわからない、です。私の・・・私の一族、ローズル家の神・・・名もなき神の事を調べにここにきました!」


少しでも、少しでもいいから何かを掴みたかった。ただそれだけだった。


「え・・・?」


和やかな雰囲気は終わり、唐突に空気は岩のように固まった。


静寂が訪れる。みな、言葉を忘れてしまった。


それは1秒なのか、1分なのか、はたまた1時間だったのかはわからない。止まってしまった時を動かしたのは青髪のギルド職員だった。


「あなた・・・名前は・・・?」


恐る恐る、まるで怯えている犬のように、彼女は私に質問をする。

私に彼女の恐怖の理由はわからない。


「あ、アリア。アリア・ローズル、です。」


恐怖は伝染する。何に怯えているかわからないが故の恐怖。とても悪い事をした気分だった。


ハッとして、目の前の二人は口元を抑えた。

台所で蜘蛛を見つけてしまった時の表情に、とてもよく似ていた。


再び、沈黙。しかし長くは続かなかった。口を開いたのは優しいおばさん。その表情に先程までの微笑はない。


「神の名を持たないもの・・・この子!!」


昏い湖のような冷たさを含んだその視線は、悪意。深い憎しみを感じた。


「叛逆の神の子だ!!!」


優しさなど見る影もない。まるで親を殺した犯人を見つけたかのよう。


その叫びはギルド中にこだまする。


「叛逆の神の子?嘘だろ?本当に?」

「あれは神話の御伽話じゃないのか?もし本当にそんな一族がいたとしたら3000年も前に起きたことなんだ、どっかで誰かが殺してるだろ。」


集まる視線。疑う者。真偽を確かめに野次馬に来る者。その視線は、全て悪意で包まれていた。


怖い。とにかく怖い。見も知らぬ相手から、舐めまわされるように見られている。



私は逃げた。その視線に耐えられず、聞きたかった話も捨て置いて、私は逃げた。

閉まっていた重い扉を蹴り飛ばし、私は人混みへ走った。


「待て!逃がすな!」

「本当にあの神の系譜なら捕まえれば国から金一封が出るかもしれないぞ!」

「あっ・・・ま、待って!!」


そんな言葉を皮切りにギルド内の悪意は私を襲う。


これ以上あそこにいたら、危ない。直感だった。身体の奥底から溢れる本能だった。


走る。走る。走る。ひたすらに人混みを駆け抜け、悪意から逃げる。


初めて小さい体に感謝する。小さくなければ人混みの中をこんなに自由に駆け回れなかっただろう。だが荷物は重い。

どこかに逃げなくては。そう思った。


いい場所はないかと、ふと上を見る。人の頭で見えづらいが十字架のようなものが見えた。


「ハァ・・・ハァ・・・あそこなら・・・」


あれが教会なら、修道女シスターの私を匿ってくれるかもしれない。


この期に及んでまだ誰かに頼ろうというのがあまりにも浅はかだった事を私はこの後思い知る。


今のところ、追手はない。だけどいつまでものんびりしていたら捕まってしまうかもしれない。

悪いことは何もしていなくても、捕まってしまうかもしれない。それだけ人が怖くて仕方がなかった。


教会の前につき、ゆっくりと扉を開ける。

中を覗いた途端、何もない空中から青い光を放ち、文字が浮かび上がる。


十字架にむかっている神父と修道女達が驚いたようにその文字を読む。


まだ、こちらには気付いていないようだ。


「ギルドマスターから緊急伝達だ・・・一体・・・これはっ!?」


遠かったが、辛うじて読める。


叛逆の神の子が見つかった。修道服を着ていたためそちらに向かうことが考えられる。もし来たら拘束するように。


ルートペリア支部ギルドマスター グリード・エイプリル・ヘルメス


「・・・!」

覗いていた扉を急いで閉める。

ダンッという音を立て、私はまた逃げる。


「あっ!今のは!」


閉まった扉の先で聞こえる足音を背に私はまた逃げる。逃げ場なんてありもしないのに。


✴︎

気がつけば、もう夕方。私は人通りの少ない暗い路地に隠れていた。

雰囲気が悪い。たまに通る人の人相も何やら怖そうな人ばかりだった。


「どうしよう・・・」


今更になって冷静に考える。あの完璧な母ですら修道院に逃げ帰ったのだ。何も知らない私が外の世界で何かができるわけがなかった。


「・・・帰りたい。」


そう、呟く。返事はない。私に味方など、ここには誰もいないのだから。


ここに隠れるまで、沢山の人に追われた。

知ってる人なんて当然いない。誰も彼もが「叛逆の神の子」「裏切り者を探し出せ!」と口々に言う。


そんなにも名もなき神というのは、ローズルの家というのは嫌われているのか、と悲しくなった。


「私や・・・お母さんだって・・・悪いことなんて何もしていないのに・・・」


悪いのは、神話の時代に大罪を犯したという神とご先祖だけのはずなのに。人の恨みというものを甘く見ていた。


私の中で、一つの疑問に答えが出た。

あの強かった母が、何に負けて逃げたのか。きっと今の私と一緒なのだろう。

見えない悪意。誰も彼もが全て母の敵になった。

いくら強い母といえど、敵が見えなくては仕方がない。そういうことなんだろう。


「帰りたい・・・帰りたいよ・・・」


路地裏に小さな大雨を降らせながら、私は再び呟いた。

しかし、嵐がやってくる。


「みぃつけたぁ・・・!」


突然目の前に黄土色のオーラを放つ暗い瞳が4つ。

見つかってしまったのだ。


「!!」


逃げようとはした。身体も動いた、だが強大な力で私の腕は掴まれた。ピクリとも動かない。


「兄ちゃんこいつどぉするよぅ。金一封って噂になってたし騎士団にでも出しにいくぅ?」


「いやぁ本当に出るか怪しいもんだぜ。それより身ぐるみ剥いで売っちまったほうが金になりそうだぁ。」


皮算用を始める二人組。

明確な悪意と暴力が私に抵抗という選択を失わせた。


「デケェ荷物だし路銀もいくらかあんだろぉ、修道服は信仰する神ごとに違うから売れないとして・・・、おっ、このロザリオはい〜ぃ装飾してやがる、高くれ売れそうだぁ。」


「さっすが兄ちゃん!あったまいいぜぇ〜。」


震える声で私は言う。


「や、やめて・・・このロザリオは・・・守らなきゃいけないの・・・!」


ようやく出た精一杯の言葉。約束を守りたい。その一心で。


「あぁ?お前わかってないようだからぁ、教えてやるけどよぉ」


どこかで気付いてしまっていたその事実を、汚らしい男は口にする。


「お前、叛逆の神の系譜なんだろぉ?誰もお前を守っちゃくれねぇさぁ。人も国も法もなぁ!だから何したって、いいんだぜぇ!」


そう言って私の修道服を上から下へ、その豪腕で引き千切る。


露わになった小さい胸元の恥ずかしさより、ロザリオを奪われる苦しみが私を襲う。


「いやっ!嫌ぁぁぁ!!」


逃げようとする。しかしその身体は、依然として弟らしき男に捕まれて動かない。


「・・・ガキだがいい面してるよなぁお前。」


唐突に男は言う。男の目付きが、獲物を見る目から下卑たものへと変わる。


「えぇ〜兄ちゃん俺はガキはごめんだぜ。ヤるなら大人びた姉さんがいいなぁ。」


「お前もガキだなぁ、修道女シスターを犯せるなんて滅多にねぇ。それに女なんて穴がついてりゃぁいいんだよ穴がよ。」


「それもそうだなぁ!やっぱ兄ちゃんは頭いいぜぇ!」


話を終えた二人の手が、私に向かってくる。

何も出来ない、何も知らない自分が、弱い自分が憎い。


「それじゃあ早速よ・・・」


男の手が、私の下着に手が触れようとしたその瞬間、その人は現れた。


「・・・小娘一人囲んで、何をしている。」


酒瓶を2本抱えた初老の男は、襲ってきた男二人に言いのける。


「あぁ?なんだぁじいさん。こっちは今忙しいんだよぉ!」

「そうだぁ!邪魔すんじゃねぇ!」


流石は悪党と言った所か、私の手を離し、黄土色のオーラを放ったまま躊躇無く殴りかかる。


「・・・クズ共が。」


初老の男は酒瓶を抱えたまま何かを呟き、足に紫色のオーラを纏わせる。


「ジジィなんかにまけっ、ぐふぁっあぁぁ!!」


「に、兄ちゃん!だいじょ、ぎょえええぇぇぇ!!」


一瞬で二人の前まで距離を詰め、ほぼ同時に顎先を蹴り上げる。奴らが続きを話すまもなく、一瞬で決着がついた。


この人は、一体何者なんだろうか。助けて、くれたんだろうか。この私を。


「・・・大丈夫か?」


優しい声で私に声をかける。


でも、それでも怖い。私の事を知ったら、この人も私の事を敵として見るのだろうか。俯いたまま考える。


「・・・聞こえてるか?大丈夫かと聞いている。」


何故だか安心する声。この人と会ったことすらないというのに。


「うん・・・ありがとう、ございます・・・。」


その声につられ、背の高い彼をそっと見上げる。


「!?お、お前は・・・!!!」


私の顔を見て、驚いている。手に持っていた酒瓶も地面に転がった。もうこの人も、知っているのだろうか。そうだったら嫌だな。


けれど、その口から飛び出るのはまったく別のこと。


「銀髪に紅の眼・・・!お前リリィ・ローズルを知っているか!!!」


先程までの落ち着いた声音とはまったく違う、焦ったような、それでいて期待するような声。破れた修道服の肩を掴み、私を揺すった。


その名前は。


「お母さん・・・?お母さんを、知ってるの?」


知らない国で、知らない人から、母の名前を聞かれた。悪意と敵意ばかりだったこの国で、初めての安堵だったことをよく覚えている。


「母・・・だと・・・?そうか・・・だからあの時・・・。」


納得したように、その人は言う。

母の名前が出たからだろうか、今まで感じていた言い知れぬ恐怖はもう何処かに行ってしまった。


「・・・名前は、なんと言う。」


私の名前。一瞬ためらった。ギルドでの事を思い出して。だけど、私は恐れず言った。


「・・・アリア、アリア・ローズル。」


初老の男は紫色のオーラをしまい、しゃがんだまま私の眼を見たまま逃さない。


「アリア、色々と話を聞きたい。行く宛はあるのか?」


「ない・・・、ギルドに行って私の名前を言ったら・・・いろんな人に追われたの・・・怖かった。」


「・・・そうか。行く宛が無いなら、俺の店に来い。俺がお前を守ってやる。」


「えっ?」


正直言って、少し期待していた。この人が私を守ってくれたなら。そう思った。


この国に来てから裏切り続けられた期待は、この時初めて成就する。


「いいの・・・?」


不安と期待で彩られた赤色の眼はジッと男を見つめている。


「・・・あぁ、守ってやるとも。」


今度こそな、その最後の声は風と共に消えた。


しゃがんだまま、私に背を向け振り返る。


「・・・乗れ。前がそんなに開いていたら修道女シスターとしては失格だろう。」


私は黙って、背中におぶさる。

お礼を、助けてくれた礼を伝えなくては。

名前がわからない。


「あの・・・助けてくれて、ありがとう。おじいちゃん。」


顔はしっかりとは見えない。声も聞こえなかった。しかしその口元は、はっきりと笑っていた。


「・・・気にするな。」


誤魔化すように、彼は自分の名前を告げる。


「言い忘れていたな。俺の名前はジョージ。ジョージ・ヴェルナー・バッカスだ。これからはマスターと呼ぶといい。」



こうして、神のいない修道女アリア・ローズルと英雄ジョージ・ヴェルナー・バッカスは出会った。

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