第8話 望月の転勤

翌日、唇の強く吸われたところにキスマークがついていた。

唇にもできるんだな、と呑気に思っている自分がおかしかった。



出勤したが、特に望月とは何もなかった。

次の日も何もなかった。

さらに言えば望月が転勤するまで、仕事上のやりとり以外、何もなかった。



望月は、いつの間にか全国転勤の総合職にキャリアチェンジしていて、年度の区切りで支店を離れた。


早坂には後悔も安堵もなかった。

あの夜だけがおかしかっただけなのだ。

忘れるわけではないが、徐々にあの出来事の思い出は薄れていった。



―― ―― ―― ―― ――


1年後、俺は結婚して、子どもが生まれた。

仕事は変わらず、不器用ながら中位の成績を維持していた。


出入りが激しい業界なので、半分は退職でいなくなり、転職者が来る。

上司も転勤で顔ぶれが一新だ。

古くからいる社員はかなり数が限られていた。



さらに4年が過ぎ、俺は37歳になっていた。


なんと望月が帰ってくることになった。

成績が振るわない支店へのテコ入れに来るのだ。



望月のその後の躍進ぶりは、誰もが知るところだった。

各地の潰れかけの支店を甦らせる再興請負人。

望月の判断は社長の判断とも言われた。

それだけ影響力の強い望月に低い評価をつけられたらリストラかもしれない、という噂がひろがった。


役付きは転勤のある総合職のみ。

地域採用で転勤のない自分を支えるのは、営業成績だけだ。

成績中位くらいで生き残れるだろうか…。

待ち受け画面に映る妻と子を見て、ため息が出た。

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