第6話 シシュフォス

シシュフォス



 久しぶりに会ったKさんは少し前に大きな買い物をしたという。何を買ったのか尋ねると、シシュフォスという聞き慣れない単語が返ってきた。仕事を通じて知り合った人が中古のシシュフォスを手頃な値段で譲ってくれたと言う。そもそもシシュフォスという物が何か知らない私がシシュフォスとは何か、と聞き返すとKさんはうれしそうに説明を始めた。

 Kさんの説明によるとそれは動く芸術(キネティックアート)と言われる物の一種で、ガラステーブルの中に敷き詰められた砂の上を鉄球が転がり模様を描くようになっているものなのだとか。

 説明を聞いても正直どのような物なのかよくわからなかった。ぜひ実物を見せてほしい、と言うとそのうち見せてあげても良い、とKさんは言ってくれた。実物が届くまでしばらくかかるらしく、まだKさんの手元には無いためすぐには見せてもらえなかった。

 ネットで検索した画像や動画を見せてもらい、実物もいずれ見せてもらうことを約束してその日はKさんとは別れたのだった。


 それからしばらくKさんと連絡を取ることはなかったのだが、ふとしたときにこのシシュフォスのことを思い出した私はKさんに連絡してみた。

 電話越しのKさんの声はいつになく暗かった。Kさんは直接会って話せないかと言ってきたので私たちは日時を決めて会うことにした。

 久しぶり会ったKさんは電話越しの声と同じように暗い雰囲気をまとっていた。最近眠れない日が続いているのだとKさんは言った。そして、眠れない理由を話し出した。


 シシュフォスが届いた日、Kさんはさっそくそれを動かしてみたのだという。中古とはいえ動作に問題はなかった。それからは仕事を終え帰宅すると、居間のど真ん中に置いたシシュフォスの中で光に照らされながら鉄球が砂の上に模様を描いていくのを眺め、酒を飲むのがKさんの日課になった。

 心地よい酩酊感に包まれながら眠りについたが、ほどなくKさんは目を覚ました。

 カタ、カタ

 どこかから物音が聞こえた気がしたのだ。しばらく息を殺して音の出所を探ろうとするが何も聞こえない。

 気のせいか、と思い眠ろうとするとまた、カタ、と音が聞こえた気がする。

 カタ、カタカタ、カタ

 やはり音が聞こえる。また耳を澄ますと、どうやら物音は居間の方から聞こえているらしかった。

 Kさんは布団から起き上がり居間の様子を見に行った。

 居間の明かりを点けると、音は聞こえなくなった。どこから音がしていたのかと居間を見回すとシシュフォスのガラスの天板が少しずれていることに気がついた。

 寝る前に見たときはずれていなかったはずだ。音の原因はこれだ、とKさんは思った。

 シシュフォスの仕組みは砂が敷かれたテーブルの下で、コンピュータで制御された磁石が動き、それに合わせて砂の上の鉄球が動く仕組みになっている。Kさんが買ったシシュフォスは中古だったため何かの不具合で磁石を動かすモーターか何かが振動したためにガラスの天板がずれてしまい、あのような音が鳴ったのだろうと思ったそうだ。Kさんは振動で天板がずれることのないように通勤に使っていたカバンを重し代わりに天板の上に乗せてその日は眠った。

 それから数日は何事もなく眠れていたのだという。しかし、最初に物音を聞いてから一週間もしないうちにまた、夜中に目を覚ましたのだという。

 ゴン、ゴン

 最初に聞いたときよりも激しい物音だった。Kさんははじめ、誰かが窓ガラスを外から叩いているのかと思ったそうだ。しかしKさんが済んでいるのはマンションの七階の部屋だ。寝室の窓の外には何もなく、誰かが窓を叩くことなどあり得なかった。

 ゴン、ゴン、ゴトン

 音はやはり居間から聞こえているようなのだった。

 居間に行くとシシュフォスの天板が大きくずれていた。重し代わりに通勤カバンを置いているにも関わらず。Kさんはカバンだけでなくいろんな物を重しとして天板の上に置いて寝た。

 しかし、次の日もその次の日も、どれだけ重しを置いても大きな物音に目を覚まし、居間を見に行くとシシュフォスの天板がずれている。そんなことが何日も続いた。

 Kさんはこのシシュフォスに何かいわくがあるのではないかと思い、譲ってくれた人物を問い詰めた。

 このシシュフォスの前の持ち主だった女性が二人の我が子を包丁で刺して殺害し、その後自らも同じ包丁で喉をついて自殺していたことがわかった。このシシュフォスはその現場に置かれていた物で、三人の血を浴びていたのだとか。

 これを聞いたKさんはこのことを秘密にしたままシシュフォスを売りつけた知人に憤った。こんな気持ちの悪いものはさっさと手放したい。そう思う一方でシシュフォス自体はとても気に入っており、手放したくないとも思った。新しいものを購入するには値段が高すぎる。

 そこでKさんは苦肉の策としてシシュフォスの中の砂に少量の塩を混ぜてみた。毎晩の物音がシシュフォスに取り憑いた霊の仕業だと考え、塩で清めることによって物音がしなくなることを期待してのことだった。

 その日の夜、Kさんはシシュフォスを眺めながら酒を飲むことなどはもちろんせずに、早めに布団に入った。塩の効果を確かめるためにこの日は天板の上には何も置かなかった。

 眠りに就いてからどれくらい経った頃だろうか。

 ガシャン!

 と、大きな物音がしてKさんは飛び起きた。

 何の音か? 考えるよりも先にKさんの身体は居間に向かっていた。居間の明かりを点けるとシシュフォスのガラスの天板が割れていた。

 奇妙なことに割れたガラスの破片は全てシシュフォスの周りに散らばっていた。砂の中にガラスの破片は一切混じっていなかったのだとか。まるで天板が内側から割れたような破片の飛び散り方だった。

 ガラスが割れた原因を探るためシシュフォスの中をのぞき込んで、Kさんは、わぁっと思わず声をあげて腰を抜かしてしまった。

 シシュフォスの中、敷き詰められて砂が苦悶の表情を浮かべる人の顔を象っていた。


 Kさんは天板が割れたシシュフォスの写真を私に見せてくれた。確かに中に敷き詰められた砂の模様は人の顔のように見えた。

 Kさんはこんなことがあっても結局このシシュフォスを手放すことはなく、ガラスの天板は新しいものを取り寄せたらしい。今でも夜中に物音が聞こえてくることがあり、寝不足な日が続いているのだとか。

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