第3話 山小屋の一夜
山小屋の一夜
私の知り合い、Mさんの体験談です。
Mさんは学生の頃から登山部に所属しており、社会人になって私と知り合ってからもまとまった休みがとれると山に登っていたそうです。そんなMさんがある冬山に登ったときのことです。
年末年始の休暇にたまっていた有給をあわせて十日ほどの休みを取得したMさんは学生時代の友人数人と冬山登山の計画を立てたそうです。県内にある登山家にはそこそこ有名な山に登ることにしました。大晦日に頂上まで登り、翌朝初日の出を見よう、という計画でした。
友人達もずっと登山をしている玄人ばかり、冬山の危なさも十分理解しているつもりで、事前の準備も怠らなかったとMさんは言います。
それでも、山の天気は変わりやすいとよく言うようにいざ山に足を踏み入れると今まで降っていなかった雪がちらつき始めました。登っていくにつれて雪は勢いを増していったそうです。
底まで標高の高い山というわけでもなく登山になれているMさん達なら夕方になる前には登頂できているはずでした。
登山が難航したのは雪のせいだったとMさんは言います。そろそろ頂上についてもいいだろうと思い出した頃、雪はほとんど吹雪のようになっていたそうです。
雪に白く覆われた視界の中でMさんは前を歩く仲間の背中を見失わないようにすることに必死でした。
次第に日が暮れてきて、視界の悪さは雪によるものだけではなくなってきました。認めたくはないが、Mさん達は遭難してしまったのです。雪さえ降っていなければこんなことにはならかったはずなのに、と思いながら吹雪から身を隠すことができる場所を求めてひたすら歩き続けました。
歩いて行くうちに仲間の一人が山小屋らしきものを見つけた、と叫びました。仲間が指さしたほうに目をこらすとMさんの目にも山小屋らしきものの一部が吹雪の合間に見えました。
Mさん達は真っ直ぐに山小屋らしきものを目指して歩きました。
やがて、行く手に見えてきたのは小さな木造の小屋でした。ずいぶんと古い小屋のようでしたが、雪と風をしのぐには十分そうでした。
Mさん達はさっそく小屋の中に入りました。中に入ってみると、どうやらこの小屋は登山客のためのものではないようでした。猟師が使っていたのではないかとMさんは言います。
小屋の中にはストーブなどの暖房器具は見当たらず、Mさん達は小屋の奥の方で見つけた埃を被った毛布や何に使うのかよくわからない布きれなどにくるまり寒さをしのごうとしました。
小屋に落ち着いた頃には外はもう暗くなっていたそうです。毛布にくるまって腰を落ち着けると疲れがどっと出てきた。
持ってきていた食料を食べた後Mさん達は気がつくと、うとうとと眠りに落ちかけていた。暖房もない中で眠ってしまってはいけない、と思ったMさんは仲間達に声をかけました。
懐中電灯をつけ眠気をこらえて仲間同士で声を掛け合ったそうです。
そのうち仲間の一人が懐中電灯の明かりを小屋の中あちこちに向け出した。眠気を紛らわすために使えそうなものがないか探していたのだそうです。そして一冊の古いノートを見つけました。
ノートを拾い上げて中を見てみるとほとんどのページが何も書かれていないままでした。ページを繰っていくと乱雑な文字が書かれたページがありました。
かすれた文字はかなり乱れた筆致で書かれているうえに、紙の傷み具合もひどくその内容はほとんど読み取ることはできませんでした。
・・・・・・が来。・・・・・・とかこ・・・・・・屋に・・・・・・げて・・・・・・
来た。・・・・・・外に・・・・・・、もう・・・・・・か・・・・・・・・・・・・
わずかに読み取れる文字のみを抽出してもよく意味がわからない。ただなんとも言えない不気味な印象を受けたのはMさんだけではなかったようでした。一緒にノートを見ていた仲間達もMさんと同じような印象を抱いていたのです。
Mさん達は何かがこの小屋に来て、小屋の中でこのノートを書いた人物はその何かに怯えているような印象を受けたのでした。
誰からともなくノートを閉じ、Mさん達は毛布にくるまったまま黙り込んでしまった。
外ではまた風が強くなってきたらしく、木造の小屋の隙間から吹き込む風の甲高い音がMさん達の不安をかき立てました。
眠気はすっかりなくなりました。Mさんはただ黙ってうずくまり、懐中電灯の小さな明かりをじっと見ていました。
再び眠気がMさん達を襲いだし、うとうとと船をこぎ始めたときでした。
ガタン
小屋の入り口のほうで大きな音がしたのです。
ガタガタと音は鳴り続けた。何かが小屋の中に入ってこようとしているようだった、とMさんは語っていました。
Mさん達はまるで金縛りに遭ったように動けなくなりました。
ガタガタと小屋の戸を開けようとする音はしだいにドン、ドン、と激しく戸を叩く音に変わっていきました。
Mさん達が動けないでいる間に戸を叩く音はさらに激しさを増していきます。
バン、バン、バン
一層激しさを増した音はやがて戸だけでなく壁を叩きだしました。ゆっくり小屋の周りを叩く音が一周していったそうです。
外にいる何かは狂ったように小屋の戸や壁を叩き続けました。
Mさん達は息を殺して、お互いに抱き合うように身を寄せて震えていることしかできませんでした。
外の様子見よう、などとは少しも考えなかったそうです。
気がつくとMさん達は眠ってしまっていました。痛いほどの寒さにMさんが目を覚ますと、外は明るくなっていました。まだ眠っている他の仲間達に声をかけているうちにMさんは昨夜の出来事を思い出しました。
もう戸や壁を叩く音は聞こえなくなっていました。外にいた何かはいなくなったのだろうか? それとも小屋からMさん達が外に出てくるのをどこかで待ち構えているのだろうか? Mさんは外の気配をうかがいながらゆっくりと小屋の戸を開けました。
すぐに外には出ず、戸の隙間からさらに辺りの気配をうかがう。何かがいる気配はありませんでした。Mさんはゆっくりと、なるべく音をたてないように外に出ました。仲間達もその後に続きます。
外に出たMさん達の目の前には、すさまじい形相が凍り付いた人間の死体がありました。
昨夜、小屋の戸や壁を激しく叩いていたのはMさん達と同じようにこの山で遭難し、吹雪の中助けを求めてやって来た人間だったのです。
小屋の戸が叩かれた時、Mさん達が戸を開けていれば、この人物は助かっていたかもしれません。しかし、そうはならなかったのです。
Mさんは、あの時見た半ば雪に埋もれた死体の、自分を見上げる目を忘れることができないのだとか。
この出来事以来、Mさんは登山を止めてしまったそうです。
了
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