第2話 したたり
したたり
目が覚めたのは真夜中のことだった。カーテンの隙間から街灯の弱々しい明かりが差し込んでいた。こんな時間に目が覚めることなど普段は滅多にないのだが、なぜ私は目を覚ましたのだろうか?
疑問の答えはすぐに天井から額に落ちてきた。
ぽたり
水滴が額に落ちてきたのだ。雨漏り、目が覚めたのはきっとこれのせいだ、と思った。いつ雨漏りしてもおかしくないようなボロいアパートだった。むしろ住み始めてから今までよく雨漏りしなかったものだ。
布団を動かして水滴を受けるための器を用意しなくては、と思い起き上がろうとしてようやく気がついた。
身体が動かない。これが金縛りというやつか。身動きがとれない私の額に、ぽた、ぽた、と水滴が落ちてくる。
なんとか身体を動かそうともがいている間中ずっと不規則に水滴が落ちてきた。
ようやく体動くようになった頃にはもう雨漏りは止んでいた。
翌日、私は雨漏りのことを大家さんに相談した。しかし昨夜、雨は降っていないはずだと大家さんは言った。ネットで調べてみても確かに雨は降らなかったようだった。
雨漏りでなかったのならば、私の額に落ちてきた水滴は何だったのだろうか?
あの後大家さんはどこかから水漏れしていないかと業者を呼んで調べてくれたが、どこにも異常はなかったという。
原因はわからないまま、その後も度々、深夜になると水滴が額に落ちてきて目を覚ますことがあった。目を覚ますと金縛りに遭ったように身体が動かなくなるのも、あの時と同じだった。そのせいで寝不足になる日が多くなった。
額を打つ水滴に目を覚ます。いいかげん、もう慣れてしまっていた。どうせ身体は動かないのだから目を閉じ、水滴を意識しないように関係のないことを思い浮かべる。
固く目を閉じたまま、大学の授業のことや来月のバイトのシフトについて考えようとしたが、額を打つ水滴をどうしても意識してしまう。
何度目かの水滴が落ちてきたときだった。目を閉じているから何も見えないが、突然、強烈な違和感に襲われた。何かがいる? そんな気配を感じたのだ。ゆっくりと目を開ける。眼前にはただ暗闇が広がっているだけだった。
やはり身体は動かせないが、目だけは動いた。暗闇の中をキョロキョロと目玉だけを動かして違和感の正体を探ろうとする。
徐々に暗闇に目が慣れてくると、天井のある一点が妙に気になってきた。私の頭の真上だった。その部分だけ、周りに比べてぼんやりと、微かにだが明るくなっているような気がするのだ。
じっとその部分だけを見ていた。ポタリ、また水滴が額に落ちてきた。そこで気がついた。水滴は今私が注視している天井の一点から落ちてきているのではないだろうか。
何もないはずの天井の一点にぼんやりとした何かの輪郭が見えてきたような気がした。ぽたり、ぽたり、水滴が落ちるたびに、輪郭がはっきりと見て取れるようになった。
顔だ。人の顔が天井に現れた。表情のない男の顔。今や灯りのない部屋の中でその顔だけがはっきりと見えるようになっていた。薄い眉、無感情な目、全くの無表情だった。ただ口だけが異様なほどに大きく開かれていた。今にも顎が外れてしまいそうなほどに大きく開かれた口。真っ暗なその穴の端から、だらしなく垂れ下がった舌。舌の先端から水滴は落ちてきていた。
毎晩のように私の額に落ちてきていた水滴の正体は、得体の知れない男の顔、その大きく開かれた口からたれてきた唾液だったのか。
身体を動かすことができず、私は天井の顔と見つめ合うかたちになる。わずかに泡だった滴が糸を引いて、ゆっくりと、私の額に向かって落ちてくるのをただ見ていることしかできなかった。
了
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