第18話

 翌日、学校へ向かう。

 向かう途中に何人もの視線にさらされた。

「あれが三位の生徒だって」

「へぇ……、意外」

 どうして私の顔を知っているのだろうか? この世界にはインターネットはおろか写真もない。私の顔など分かるはずもないと思っていたが……。

 教室に向かう途中、廊下一枚の紙が貼られていた。学校新聞のようだ。今までこんな物があったなんて知らなかった。紙の右上に十三と数字が書いてある。どうやら号数のようで、既に十ニ号分発行されている計算になる。今まで全然気づかなかった。

 紙面には大会の上位者の名前と絵が描かれていた。

「これは……」

 一番上にはエリンの名前と似顔絵が描かれている。一瞬、写真と見紛う程のリアルなタッチだ。そうか、コレを見れば写真など無くても人物の特定など容易い。そもそもここが絵の学校であることを失念していた。こんな絵を描ける者がいたとしてもおかしくない。

 しかし、これだけ描けるのであれば生徒ではあるまい。この画力であればもう学ぶものなどないのではないか。そう思わせるほどの魅力に溢れている。

「おや? リーグレット。珍しいなこんなところで」

 廊下をたまたま通りかかったのは私のクラスの担任教師であった。

「あ、いえ。この絵、誰が描いたんだろうと思いまして……」

「ああ、この絵か? これは学長自ら描いてくださっているんだよ」

「え!? ヒルダン学長自らですか?」

 教師は大きく頷いた。

「そうとも」

 そう言われ、私は新聞を見回した。紙面上にはエリンはもちろんのこと、マルアラの似顔絵と私の似顔絵まで描かれていた。いつどうやって描いたのだろうか? 彼のモデルになった事はない。いつの間に?

「ん? その顔、いつ描かれたか分からないって顔だな。学長は素早く正確に描くのは技術を持っておられる」

「でも、いつ描いたんでしょうか?」

「昨日とかじゃないか? お前たちが一生懸命に絵を描いている時……。もしくは放課後にとか……」

 教師もようとして知れないということか。昨日はヒルダンの姿はおろか影すら見えなかった。本当に一体いつ私を描いたのだろうか。

「これのおかげで僕は顔がバレてしまいました」

 昔、絵本特集の雑誌に顔出しの写真が掲載されたことはある。その時、出版された雑誌に目を通すことはなかったから気恥ずかしさは感じなかったが、こうして自身の目に触れる所にたとえ似顔絵であったとしても、存在しているのは恥ずかしい。

「まあ、お前はこれからどんどん有名になっていくからその第一歩だと思えばいい」

「はぁ……」

 どんどん有名になっていく、という言葉に多少の反骨心を持ってしまったため生返事をした。

「さあ、教室へ行け。もう少しで授業開始だ」

「分かりました」

 そうして、私は教室を目指した。


 その日の授業が始まると教師は開口一番に

「今日はリーグレットだけは特別授業だ」

 と告げた。

「他の皆は通常の授業を受けてもらう。リーグレットは大会の続きとして、『学校にあるものをモティーフにこの世界に存在しないもの』を描いてもらう。今回はちゃんと色を塗ってくれ。色彩や色を塗る技術も評価にする先生がいるからな」

 昨日は鉛筆だけだったが、今日から絵の具も使わなかければならないのか。

「制限時間は昨日より少し伸びる。夕方までに絵を描きたい、色を塗って完成させる。昨日みたいに余裕ぶってる暇はないぞ」

 そうか。昨日は午前中に鉛筆だけで描きあげればよかったから、それなりに余裕があったが今回はそんな余裕がなさそうだ。そう思うと、頭が何を描こうかと勝手に思案し始めた。

 この世界に存在しないもの。

 何だろう……?

 スマホ、テレビ、車……。日本にあった文明の利器を描けば確実にこの世界に存在しない。が、モティーフがこの世界にあるのか? と聞かれればそれはNOだ。

 何を描けばいいか……と逡巡していると、

「また、余裕か? リーグレット? もう始まったぞ?」

 と教師に釘を差され、私は慌てて廊下へと飛び出した。スケッチブックを片手に学内を彷徨う。食堂や各教室、自身の寮まで早足で歩き回ったが、描きたいと思えるモティーフに出会えなかった。元来私は時間制限がとても嫌いであった。急かされると精彩を欠く。色彩もついでに欠く。絵がどんどんと醜くなっていくからだ。ゆっくりと腰を据えて描きたいのだが、ルール上そうもいかないだろう。

「皆、何描いてるんだろ?」

 歩いている間、他の七人と合うことはなかった。既に描き始めているかもしれない。

「あ〜あ」

 半ば途方に暮れる形で私は空を見上げた。レヴィが天頂へ向かっている。正午まではまだまだ時間があるだろうが、絵を完成させるにはもう厳しい時間帯だった。だが、レヴィを見て私は閃いた。

 光。

 光は学校内にも存在している。見えないだけで。光をモティーフに描こう。そう決心するともう一つやってみたいことが首をもたげる。

 ゴッホだ。

 ゴッホを描こう。

 大切な大会に他人の作品を描くのはご法度なのかもしれないが、この世界でゴッホを知っているのは私だけだ。私が好きな絵は光が印象的だ。そうだ。そうしよう。

 私は踵を返すと足早に自身の寮に戻った。自分の部屋は何の喧騒もなく静かであった。丁度皆が授業を受けているというのも都合が良かった。私はスケッチブックを放り出し、紙を一枚木の棚から取り出すと、鉛筆を動かした。

 下絵を描く。

 自身の頭から何度も何度も見たあの絵を思い出しながら。

 何度真似しただろうか。

 憧れたから何度も描いた。友人たちが漫画のキャラクターを描いている時でさえも私はこちらを描いていた。

 川面に映る『光』たちが印象的で、抽象的な気がするのにイヤにリアルで。空一つ取ってもただ黒いわけじゃない。蒼、青、黒等、多様な色で表現されている。この絵にはいろんなものが詰まっている。この絵さえ描ければ私は一流の絵描きになれると本当に信じていた。私の画家としての一步といえるもの。

 私が描くものは

『ローヌ川の星月夜』

 それである。

 レヴィをモティーフに夜に輝く星々の光を描いたことにすれば良い。私がどれだけ本物に近づけるかは甚だ疑問ではあるが、それでもこの世界でこの絵はどのような評価を受けるか見てみたい。

 私の腹の底には

 この絵なら――

 そういう思惑が渦巻いていた。

 エリンには手を抜くなと言われたから、少し心苦しいがやってみたいものはやってみたいのだ。

 そう考えている間にも手を動かす。絵で少し収入を得るようになってからも練習のつもりでこの絵は描いていたから、手が勝手に紙の上を滑っていく。アウトラインは既にできた。紙の大きさが違うから比率や船や人の立ち位置が違うがまあディテールを抜きにすれば往々にして星月夜に見える。

 後はこれに色を付けるだけだ。簡単に言ったがこれが一番難しいだろう。色彩も技法も真似しなければ星月夜にはなりえない。過去、雑誌や本などで紹介されていたゴッホの技術を思い出しながら色を付けていく。もちろんゴッホのようにうまくいかないだろう。

 それでも筆を動かし続けた。

 夜空はどうだっただろう?

 川面はどうだっただろう?

 川の向こうの町並みはどうだっただろう?

 と考えながら色を塗る。

 ガラスのはまっていない窓から太陽レヴィが徐々に傾いてきていることを知らされる。たった一日でこの絵を完成させるというのは無理からぬことではないか? しかし、それは他の生徒も同じ。

 最後の時間までやってみよう。

 そう決心して、私はローヌ川の星月夜と相対した。

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