第17話

 大会初日。

 あの後聞いたのだが、全校絵画大会は一週間をたっぷり使い行われるらしい。私達は教室に集められ、大会のルールを聞いた。

 初日は午前中で学校内にあるものを模写し、残りの半日で教師、生徒達が投票し、上位8名までに絞る。その翌日、今度は一日を使い学校内にあるものをモティーフに存在しないものを描き、トーナメント方式の一対一で競うこととなる。更にその翌日はこの世界には存在しないものを描き競う。そうして票をたくさん集めたほうが更に上位へ進み、最終的には決勝で勝ったほうが一位になれるという方式らしい。

 票を入れてもらえる基準は教師側は技術と想像力と感性らしく、生徒側は生徒の各判断なので基準がある子はあるだろうし、その場の感覚で入れてる子もいるだろうとのことだった。

「では、午後には戻ってきてくれ」

 教師がそういうと生徒たちはめいめいスケッチブックを持って教室を飛び出していった。勝手がわからない私はひとまず机で考えることにした。当に机上の空論である。

「どうした? リーグレット。皆みたいに出ていかないのか?」

 そんな私を見た教師が疑問を投げかけてきた。

「参加するのが初めてなのでどうしたらいいか……」

「ははぁん。そうか。あんまり特定の生徒に肩入れするのは良くないが、お前は今年が初めてだし他の子達と同列に扱うのは不公平か」

「はあ……」

「この大会は、午前中しか勝負できない。しかも勝負するには何かを描いておかなければならない。白紙のままでは確実に点数は貰えないからな。だから、皆何か自身がコレだ、といえるものを素早く探し出し模写しようとしている」

「だから皆とりあえず外に出てみようと?」

 現にこの教室には私と教師しかいない。

「そうだな。こうして先生の講釈を聞いている暇があったら、外に出てなにか描いた方が点数にはなる」

 それは一理あるな、と思い私は席を立った。

「楽しみしてるぞ。リーグレット。お前はこの教室……いや、学校内部でも最高に近い手腕を持っているからな」

 教室を出ていく寸前でそう言われる。

「ははは……。あんまり失望させないように頑張ります」

 あまり期待されるのは好きじゃない。私は力なく笑うと教室を出た。廊下の先にはエリンが仁王立ちで待っていた。私が出てくるまでずっとああしていたのだろうか。

「エリン」

「遅いわよ! リーグレット! 皆外行っちゃったじゃない」

「ごめんごめん」

「君にはそれだけ余裕があるってことね」

「そういうわけじゃ……」

 ただのスタートダッシュをきりそこねただけだ。

「そういうエリンだってそうじゃない? こんな所で……」

「私のはハンデよ。前回一位だったからね」

 私が思っていたよりも随分と余裕のようだ。

「でも、それも今この瞬間で終わり。君が動いたから」

「買いかぶりすぎたよ。僕にはそんな能力はないよ」

「君は自分を卑下しすぎだよ。もっと自分に自身を持ちなよ」

 そんな事を言われても。

 日本でのことを考えればこんな自分にもなる。

 希望を持てば尽く潰されてしまう。

 淡い期待など最初から抱かないほうがいい。

「ともかく私はもう行くわ。君の絵には期待してる」

 彼女は三本指で手を振ると踵を返して行ってしまった。彼女の綺麗な髪が見えなくなってようやく私もその場を離れた。


「何を描こうか……」

 独り言ちながら外を歩く。生徒が一心不乱に絵を描いている。そんな風景を見ると小学校の時の写生大会を思い出してしまう。あの時はまだ自分の絵に自信があった。井の中の蛙大海を知らず。そして、井戸の深さも知らず。あの頃の自分を形容するならそんな言葉がピッタリだった。

 モティーフの条件は学校に存在するもの、だ。学校にはいろんな物がある。木、校舎、人。なんなら机や鉛筆でもいい。だが、描くなら日本の学校には無いものを描きたい。そんな事を考えながらうろうろしていた。

「日本に無かった物……。これぐらいかなぁ?」

 意外に学校に存在するものに共通点が多く、あっちの世界に無くてこっちの世界にあるものを探すのは結構骨が折れる。逆は沢山あるのだが。

「ん……?」

 ああ。今の世界にあって、前の世界にないもの。

 見つけた――。

 私の視線の先には彼女がいた。普段は取り巻きが沢山いるが今は一人で黙々と手を動かしているあの娘。小さく丸まった背中に美麗な髪が風になびいている。

 私はエリンが風景の中心になるように位置取りをした。彼女の後ろで胡座をかくとスケッチブックをめくり鉛筆を、動かした。いや、鉛筆は独りでに動き始めた。

 彼女は一体何を描いているのだろうか?

 彼女の目の前には石がある。太陽石と呼ばれている石だ。何がそんなに良いものなのか私には分らないが、この世界の人には大事なものなのだろう。

 私も彼女もモティーフ以外、目に入らない。無心で鉛筆の動くに任せただただ描き進めた。そうして、先に描きあげたのは私の方だった。スケッチブックを閉じて、彼女の背中を眺める事にした。この間も彼女は手を動かす。私に見られている事などきっと気付いていないだろう。彼女の集中力、気迫、そのようなものが背中から感じられる。

 やがて、

「終わったぁー!」

 とエリンは、スケッチブックを投げ出して両手を空に伸ばした。そうしたかと思うとそのまま寝そべってこちらに視線を寄こした。

 そう思ったのも束の間、彼女は慌てて起き上がりこちらに大股で歩いてきた。

「リーグレット! いつからそこに居たの!?」

「最初からだよ」

 私は笑顔を向けた。

「さっきの! 見たわよね?」

「見たよ。見た見た」

 私はうんうん、と首肯した。その瞬間、彼女の顔が赤くなった。

「わ、忘れなさいよ! いいわね」

「うん。できたらね」

 彼女にもこんな面があるのだと心に刻んだ。

 もう忘れられそうにない。

「リ、リーグレットは何描いたの?」

 赤面しているが話を戻そうとしている。

「内緒だよ。エリンは?」

「わ、私だって秘密よ!」

「じゃあ、楽しみだね。お互いに何描いたか」

「そうね。リーグレット、必ず上位八人の中に入るのよ。私と戦うために!」

 人差し指を突きつけられる。あくまでも勝ち負けにこだわる彼女が可愛く、可笑しく、そして、まだまだ子供だなと思った。

「頑張るよ」

 私はそれだけ言った。

 午後になって、自身の席の机上に各々が描いた絵を乗せる。それを各生徒が見て回り誰に票を入れるか決める仕組みらしい。私も教師に言われ、先程描いた絵が見えるようにスケッチブックに広げて置いておいた。

「まずは、自分の教室から見て回ろう。その後、下級、上級の部屋へと向かうとしようか」

 その言葉を皮切りに私達は立ち上がり、各々の絵を見て回る。どれも子供らしい良い絵だ。吉田さんの絵画教室に来ていた子供達の絵を彷彿とさせる。こんなところにもリンクする箇所があって、少し郷愁にかられる。

 中には時間が足りなかったのか途中までの絵もあったりする。私も小学生の頃、ディテールにこだわりすぎて時間内に絵を描きあげられなかったことがあったし、何を描こうかと迷いすぎて時間が無くなったこともあった。

「うぉー! やっぱりすげぇー絵!」

 私がゆっくりと学友達の絵を鑑賞していると声が上がった。ふとそちらに目を向けると人だかりが出来ている。そこは、私の席だった。

「流石、リーグレット! 俺の絵なんか全然だなぁ……」

「どうやったら、あの時間でここまで……?」

「鉛筆……? 鉛筆で描いたんだよな……? この濃淡を鉛筆で……?」

 私の絵に賛辞を送ってくれているようだ。

「すごい才能だよね!」

 才能……?

 そんなものがあったら私はもう少しやれていたはずだ。

 君達とは絵にかけた時間が違う。君たちの生きた時間の二、三倍は絵に時間を割いている。

 私のはズルなんだ。

 君達のは純粋な才能だ。

 私のは……。

 持ち上げられれば持ち上げられるほど虚しさが去来する。これが本当の才能だったら? そう思わずにはいられない。

「リーグレット」

 名前を呼ばれて自虐思考の渦から呼び戻されてしまう。私はそれを悟られないように慌てて笑顔を取り繕った。

「な、何?」

「今回の大会は、お前が一位だよ。間違いない!」

「一位になるのは難しいだろ……」

「あの絵、エリンさん描いたんでしょ?」

 気が付けば絵ではなく、私の周りに人だかりができていて、気が付けば質問攻めされていた。

「ちょっ……ちょ……」

「お前ら! 他の教室に行くの忘れてないか? ここだけじゃないんだぞ?」

「いや……、いいですよ。もう。リーグレットの絵に票を入れます。これ以上のものはないでしょう」

 背後から聞こえた教師の叱責に一人の生徒が反論する。

「そういうわけにもいかない。ちゃんと他所の教室も見ておいで」

「そうよ。それにもう一人、絵が上手な人がいるじゃない?」

 女生徒が言った。その言葉が賛同を集め、皆一気に教室を飛び出していった。その様を私はあっけらかんと見ていた。

「まあ、毎年こんな感じだ。しっかりと皆が描いた作品を見ない。見てくれない」

 教師が私にため息交じりに教えてくれたが、最後のは愚痴だ。

「お前も他の生徒のも見てこい。見るのも勉強だぞ」

 私はその言葉に対し首肯し、一人教室を出た。廊下には級友の姿はもうなかった。


 いきなりエリンの教室に行ってもよかったがそれじゃあ面白くないので、いくつかのクラスを見て回った。才能を感じられる子が何人かいた。そういう子達の作品を念頭に入れておき、票を入れる候補にした。ただエリンの絵に票を入れるのはつまらないと感じたからだ。

 以外だったのは皆あまりモティーフがかぶっていない事だった。学校で何か描くと結構対象物が他者とかぶる。前世界では友達が描くから自分もそれを描こうみたいな日本特有の他者依存のような風潮があった。しかし、ここでは、こんな物まで学校にあったのか、と言いたくなるような物まで描かれていたりして、子供ながらの視線が楽しくも、自身の意見、いや描きたいと思える意思がしっかりしていることに驚いた。

 さて、最後にエリンの絵を見に行くことにした。エリンが属する教室の前までくると、教室の前には人だかりができていた。皆エリンの絵が目当てだと簡単に推測できた。

 人混みの後ろから背伸びして教室の中を見てみる。部屋の中まで人だらけで到底絵を見ることは叶わなそうだ。何より私は人混みが嫌いだった。

「うーん……、後で見せてもらおう」

 私は独り言ちると、その群集から離れ、教室に戻りぼんやりと外を眺めて時間を潰すことにした。

 やがて、教室が騒がしくなり級友達が帰ってきた。

「リーグレットの絵も凄かったけど、エリンさんの絵も凄かったな」

「今年はどっちが一位か分からねぇな」

「俺はリーグレットに一票!」

「私はエリンさんだと思うわ」

 などと勝手に下馬評をやっている。なんだか段々とむず痒くなってきた。相手は子供とはいえこんなに持ち上げられると悪い気はしない。

 教室内にぽつねんと座る私を認めるやいなや級友は私の周りに群がり、めいめい勝手に喋り始めた。

「リーグレット! エリンさんの絵を見たか?」

「いや、見てないよ。人がいっぱいいて入れなかったんだ」

「無理にでも入ってこいよ」

 私は首を横に振る。

「いや、いいよ。どうせ後で見ることができるでしょ」

「冷めてんなぁ」

 私は苦笑した。そんなやりとりを見ていた教師が柏手を打った。

「お前達、席に座れぇ。どうだった? 皆の作品は?」

「どれも素晴らしかったです」

 真面目そうな生徒が皆を代弁した。

「ほう。それは良かった。ではコレから投票を行う。各々が持っている紙を少し違って票を入れたい人の名前と教室名を書いてくれ。紙はあんまり大きくちぎるなよ。高級品だからな」

 静まり返った教室内に紙をちぎる音だけが響き、続いて鉛筆を走らせる音が響いた。

「おーし、じゃあ開票するから、お前ら勝手に外出て遊んでこい。教室には入るなよ」

「はーい」

 と元気な声がし、三々五々散っていった。


 少しの自由時間の後、私達は教室に呼び戻された。呼び戻された私はギョッとした。何故なら、丸めたティッシュのような紙の山が机にこんもり盛られていたからだ。何だコレは? と狼狽えていたら隣の席の男子が

「おっ、リーグレットにこんなに票が入ったんだ」

「どういうこと?」

「ホラ、さっき僕達が書いた名前の紙。あれをその子の机の上に積んでいくんだ。多分、今頃エリンさんの机も凄いことになってるんじゃない?」

 紙の山を見てほくそ笑んでいるエリンを想像する。

「そうなんだ」

 日本の選挙みたいな箱は用意できないだろうからこんなかたちになっているのだと推測した。

「一応、上位八名を発表するぞ」

 ゴクリと誰かが固唾を飲む音が聞こえる。

「一番票を集めたのは言わずがなエリンだ。前回、頂点を極めて者は違うな。次はエリンと級のマルアラだ」

「あぁ……。そういえばマルアラさんもいたね……」

 そう言われるぐらいには腕が立つのだろうが、如何せん影が薄いようだ。

「その次にリーグレットだ」

「おお! 上から三番目!」

 皆一様に両手を握り拳にし、親指を立てて胸元でグルグル回している。意味不明な動きだがこれは前世界における拍手と同義で、相手を褒める際に行われるジェスチャーだ。最初見た時は奇妙で仕方なかったが、流石にもう慣れた。

「おめでとう!」

「俺も票、欲しかったなぁ」

 その後、教師の口から五人の名前が読み上げられた。その八人は明日以降、トーナメント方式で競い合うのだ。

「明日以降が楽しみだな。上位に入れなかった生徒は普通に授業を受け、午後、投票がある。ちゃんと登校するように」

 そして、解散の号令の後、私達は放課となった。教室を出た私は一人、広場で体育座りをしていた。ここに居ればエリンに会える気がしたからだ。

「あ〜! やっと見つけた!」

 案の定、彼女はやってきた。

「遅かったね」

「遅かったね、じゃないわよ。結構探したの!」

「僕はここで待ってたよ」

 エリンは一つため息を吐いた。

「君が探しなよ。私の事……」

「ごめん。でも、エリンって何処にいるか分らないもん」

「それは、君だってそうでしょ」

「僕は大抵ここにいるよ。この前もここで絵を描いていたでしょ?」

「そうね。それで、どうして私を待っていたの?」

「エリンも同じ理由じゃない?」

「……」

「僕、エリンの絵を見れなかったんだ。人がすごくてね。だから見せてもらいたくて。その持ってるスケッチブック……」

 彼女は私の指摘通り、スケッチブックを脇に抱えていた。

「見せてくれるから持ってるんでしょ?」

「君もそうでしょ? 君がその手に持ってるスケッチブック……、見せてくれるから持ってるんでしょ?」

 エリンが私の真似をするから二人して笑いあった。

「ハイ。僕の絵だ。最後の頁だよ」

「じゃあ、私の絵。最後の頁よ」

 二人は交換するようにスケッチブックを渡しあった。最後のページに向かってページをめくる。

 私は息をのんだ。

 最後のページに現れたのは純然たる風景画だった。

 風景画が苦手な彼女が人物画を捨ててこれで勝負を仕掛けてきたのか。

 私と同じ土俵に上がるつもりで?

 彼女は本気なのだ。

 私が愕然としていると、

「もう! 君は!」

「え?」

「コレ、私でしょ!?」

「あ、バレた?」

「な、何で私を描いてるのよ!」

 エリンは、赤面している。私は自身の頬を掻きながら、

「成り行き?」

 とだけ答えた。面と向かって指摘されると恥ずかしい。

「これ、私が描いている時に後ろにいた、あの時?」

「そうだよ。僕はあの時、君を描いていたんだ」

 私まで赤面しそうだ。甘酸っぱい青春とやらをこの歳でも味わえるとは思いもしなかった。

カ、カンテャルあ、ありがと……」

 何故か礼を言われた。

「君が一生懸命絵を描いている姿は、僕の思い出には無かったから、描きたくなったんだ。だから……」

 私は何を言っているのだ?

 恥ずかしい言葉が自然と口から流れ出る。

 転生とはかくも恐ろしいものなのか?――

 と、思案する私の頭は、急に揺さぶられた。どうしたものかと一瞬理解できなかった。だが、理解不能なのは一瞬だけで次の瞬間にはどういう状況なのか把握した。

「ちょっと……! エリン!」

 私はエリンに抱きつかれていたのだ。彼女の顔が私のすぐ横にある。彼女の圧が身体全体で感じられる。香水のいい匂いが鼻をくすぐる。

「ど、どうしたの?」

 私はドギマギするしか無かった。彼女は私に抱きついたまま無言だった。その間、私は誰かに見られやしないかと、そういう意味でもドキドキしていた。

 どのくらいの時が経ったか分からなかったがようやく彼女は離れてくれた。

「最後楽しみにしてるね。君がどんな絵を描くか」

「それはどういう……?」

「私も君に負けないぐらいの良い絵を描くから。それまで勝ち進んで」

「え? あ、うん……」

 意外にも彼女はそれだけ言って踵を返して離れていってしまった。少々肩透かし感が否めないが私達はまだ幼い。大人の真似事はまだ先だ。


 私は一人のぽつねんと取り残された。

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