第16話

 廊下を二人で歩く。まだ、放課後ではないらしくいくつかの教室では生徒達が一心不乱に絵を描く様が見える。

「ここは描画室よ。主に鉛筆での模写をする所ね」

「へぇ……」

 教室の端に果物や食器が置いてあり、それを生徒が模写している。

「教室の真ん中には置かないんだね」

「? ……ああ模写対象物のことね……。真ん中において描くこともあるわよ。でも、この教室では基本的に同じ方向から描いた時の生徒達の差を見てるのよ。真ん中に置くと後ろから描いたり、横から描いたりで絵の内容があまり統一されないじゃない?」

 そんな事をしてどんな意味があるのか。

「聞いた話によると成績をつけるのに必要なんだって」

 私の思考を読んだのか徐ろに彼女は呟いた。

 再び歩を進める。

 ふと、廊下に女子生徒が幾人か屯している。歳は私とそう変わらなそうだ。しかし、この子たち授業はどうしたのか。

「あっ! エリンさん! ラデーシャこんにちは!」

「ご機嫌よう」

「キャー、挨拶してもらったわ!」

 エリンが挨拶をし返しただけでキャッキャッと盛り上がっている。女子のこのノリは苦手だ。だから、私はエリンの後ろに隠れるように佇んでいた。

「エリンさんは何されているのですか? 授業はどうされたのですか?」

 いや、それは君たちもだろう。

「私は午前中、お父様のお仕事の手伝いに行っておりまして、今はこの方に学校を案内しているのです」

 エリンは丁寧な言葉づかいで説明した。

「新入生ですか?」

「ええ、そうよ」

「いいなぁ。私もエリンさんに案内してもらいたかった」

 生徒のうち一人ががっくりと肩を落とした。

「うふふ……。それでは」

 エリンは微笑むと別れの挨拶を告げて歩き始めたので、私は慌てて後を追った。

「君は結構、有名なんだね」

「それなりにね。テイルロット商会の娘ですし」

「それもそうか……」

 だが、それだけでは無いような気がする。そうこうしているうちに階段を上がったり降りたりしていると、一際大きなフロアへと辿り着いた。

「何? ここ」

「ここは食事をする所よ」

 つまり食堂、ということか。

「ちなみにお金はかからないわ」

「え?」

「学長のおかげよ」

 ヒルダンはどれだけ資産を持っているのか。それなりに生徒がいるのに全て負担していたらいくらあっても足りないだろう。

「ただし、味は薄いわ。具も多くないし……」

 私は水でかなり薄めたホワイトシチューを思い出した。あまり味は期待で来なさそうだ。

「薄いんだ……ちなみに、エリンはここで食べたことあるの?」

「一度だけ……。友達に誘われてね。少し口に合わなくて、今は家で食べてるわ」

「家で? 間に合うの?」

「まあかろうじて……」

 毎日昼食をとりに家に帰るのを想像する。とても面倒臭そうでげんなりした。

「面倒くさくないの?」

「まぁ、ここの食事はそれを実施するだけの価値がある味ってことよ」

「……」

 私は言葉を失ってしまった。

「行きましょう。ここの食事は食べてみたらいいわ。君の口には合うかもしれないわよ」

 フッと彼女は、笑うと食堂から出ていってしまった。

 うーん……、どんな味だろうか。

 私も踵を返すと彼女の後を追った。

 

 一通り見て回った後、私達は広場に来ていた。授業が終わったのか幾人かの生徒が運動をしていた。運動場の役割をしているのかもしれない。そんな運動する生徒達を座って眺めていた。

「どうだったかしら? この学校は」

「うん。悪くない」

「上からなのね」

「あ、ごめん。つい」

 彼女は風になびく自身の綺麗な髪の毛をかきあげた。

「いいのよ。私の学校じゃないし。私の作った学校がそんな言い方されたら怒るけど」

「えぇ? それは困るなぁ」

「嘘よ。ウ・ソ」

 彼女はフフフと笑った。その瞬間、私の心にこの笑顔を描きたいという欲望が湧き上がってきたが、それは抑え込んだ。書いたとしても喜んでもらえるとは思えなかったからだ。

 エリンは私の心の葛藤などつゆ知らず遠くを眺めていた。こんな時間が永遠に続けばいいのに、と柄にもなく思ってしまう。

 永遠など無い。

 人の時間には終わりがやってくる。両親も吉田さんも、そして自分自身の時間さえも。

 それでも。

 私はこの時間がずっと続いてほしいと願ってしまった。 


 翌日から絵の授業を受けることとなった。技術が未発達の部分があるからか、これは受けていて意味があるのか? と問いたくなるような内容のものもあったが、大半は有益な物だった。

 何より一日の半分を絵を描くことに当てられるというのはとてもありがたいことであった。


 それから数ヶ月後――。

 放課後、広場で思い思いの運動をする生徒をモティーフに風景を描いていると後ろから声をかけられた。

「何やってるの?」

 振り向かなくてももう、この声の主が誰か分かる。 

「風景画を描いているんだよ。暇だからね」

「暇だから描くの? 流石に飽きない?」

「エリンの口からそんな台詞が出るなんて意外だな」

 この会話の間、私は一時もエリンに視線を向けること無く、モティーフと紙の間に視線を移し続けていた。

「流石に私も息抜きはするわよ。ずっと絵を描いてるだけじゃ感性は磨けないわ」

「そうかな……? そうかもね」

 生返事のようにそうつぶやいて私は手を動かし続ける。エリンももう何も言わなくなった。

「できた」

 数十分の後、私は手を止めた。その間、エリンは一言も発せず待っていてくれた。

「上手ね」

「そうでもないよ」

 これは謙遜でも何でも無かった。世界には優れた絵描きがごまんといる。この世界にも、かつての日本にも。

「君が言うと嫌味だね」

「そうでもないよ?」

 私はエリンに視線を向けた。

「嫌な奴」

 彼女のふくれっ面がおかしくて、そしてそれが可愛らしくて私はへへへと笑った。

「それでどうしたの?」

 放課後にエリンがいるのが珍しく私は聞いた。

「そろそろさ、ある学校行事が始めるからさ」

「ある学校行事?」

 随分勿体ぶった言い回しだ。

「そう。全校絵画大会よ」

「全校絵画大会? 何それ?」

 私は眉をひそめた。

「毎年この時期になると開催されるのよ。全校で誰が一番絵が上手いかを競うの」

「競うの?」

「そう! だから君とそこで戦うのよ!」

「戦うの?」

 これまた物騒な。

 と、デジャヴュ。

 いつかもこんなやりとりをした……。

 まさか。

「二年前、レミュドー川の岸で言っていた、打ち負かすって……」

「あ。覚えてた? この行事の事よ」

「いや、僕はいいよ。遠慮する」

 私は首を横に振った。が、エリンの顔面が眼前まで迫ってきて私を圧する。私はドギマギした。

「ダメよ! 競わなきゃ! そこで君と私とどちらが絵が上手いか決めましょう!」

「えぇ〜」

「君にも全く悪い話じゃないのよ?」

「え? どういう事?」

 私は目を白黒させた。

「一位になった生徒は特別にヒルダン学長の授業を受けることが出来るのよ! それも一年間!」

「えっ!? そ、それは……」

 朗報である。何だかんだこの数ヶ月、ヒルダンに教えを請うどころか一目みてすらいない。何処にいるやらとずっと思っていた。

「特別に一対一で!」

 一対一。その言葉に心が揺れ動く。絵画で誰かと競うなんて、とてつもなく馬鹿な話だと思った。絵画は画家の世界を表現するフィールドだ。そこに優劣なんて無い。作品に対して、多少の他者の影響を受けることがあっても十人十色の個性が濃く出る。それを鑑賞する場だ。例え、誰かが描いた絵が模倣であってもその画家の個性が模倣に満ちているという事実が読み取れる。

 だが、ヒルダンの授業を特別に受けることができるとなると、絵画で競うということに抵抗を感じつつも参加せざるおえない。

「どう? 君も出る?」

「……出るよっていうか、学校行事なんだから全員強制参加なんでしょ?」

「そうなんだけど、まあ、手を抜く生徒が結構いるのよね。君には手を抜いてほしくなくて」

「そういうこと……。あんまり絵で争うとかやりたくない。けど、学長の授業を受けられるっていうなら話は別だね。ちなみにエリンは前回どうだったの?」

「前回? 前回一位だったわ。先生や生徒から票を沢山もらったの。その前は違ったけど」

「え。一位?」

 凄い。私には永遠に訪れない一位、一番、優勝などという栄誉ある響き。彼女は、それを背負っていたのだ。

「じゃあ、学長の授業を?」

「ええ。受けていたわ」

 やはり彼女は、仁王立ちをした。その顔には自慢の影が浮かんでいた。

「有意義だった?」

「それはもう」

 エリンは満足そうにゆっくりと首肯した。それはぜひぜひ受けてみたい。ならば――。

「僕も頑張るよ。君には負けない」

 やる気を出さざるおえない。

「大会は来月よ」

「それまで腕を磨いておくよ」

 私達は不敵に笑いあった。

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