第15話
そんな事を思い巡らしながら歩いていると画材屋があるのに気付いた。木製のドアを少し開け、中を覗いてみる。活気に溢れた外とは打って変わってこの店の中はしんと鎮まりかえっていた。
客が一人もいないのだろうか?
キョロキョロの店内を見回す。ここから見える範囲でも筆や鉛筆、紙が置いてあるのが見える。それらに興味をひかれ私は店内へ足を踏み入れ、静かにドアを後ろ手に閉めた。木製の床が一歩踏みしめる度に重く響いた。
「凄いな」
店内は決して広くない。そのくせ多種多様なものが取り揃えてある。まるで、令和でありながら昭和の佇まいで、昭和のプラモや駄菓子を売っている時代に取り残された、言い方を変えれば自体の流れに逆らっていく、そんな店のようだ。
店内の一番手前には筆が、それから奥に向かうにつれて、鉛筆、紙が置いてあった。
「ジョイスターの筆だ……」
タマリガル=ジョイスターが作成している筆が乱雑に置いてあり、少し心配になった。私のような庶民には到底手の届かない高級品だが随分と雑に扱われている。
その後も店内を確認して回るが、安価なものから高級品まで一通り揃えてある。この店であれば画材を取り揃えるのに苦労しなさそうだ。店内のずっと奥にカウンターがあり、そこにはお爺さんが座っている。座っている、というより座ったまま眠っている。
「ぐぅー。ゔゔうぅむ……」
いびきだ。この店オープンしてないのか?
訝りながらその様子をうかがっていると、老人はカッと目を見開いた。
「うわっ」
思わず声を上げてしまった。窃盗しにきたのではないかと疑われるかと思ったからだ。
「ん? お客さんか」
寝ぼけ眼の老人の焦点は私に合ってはいない。
「え、ええ。画材屋があったのでちょっと店内を見て回ってました」
「おうおう。好きなだけ見て回るといい」
「じゃあ、遠慮なく……」
「ただし! 盗むなよ」
やっぱり疑われていたのだろうか。
「盗みませんよ!」
そうして、許可をもらい大手を振って私は店内を見て回った。店内には画家垂涎の画材がやはり乱雑に置いてあった。弘法筆を選ばず、とはいうもののやはり良い物を使えば筆の運びや鉛筆の進み具合が変わってくる。
「どうだ? うちの店は?」
「凄いですね。どうやってこれだけ揃えたのですか?」
「わしが世界を歩き回って実際に交渉しながら仕入れたんじゃ」
「え? 世界を? 一人でですか?」
「いーや、今あそこの学長をしとる、ヒルダンともう二人で歩き回っとった」
老人は窓の外を指差す。その先には美術学校があった。
「!? ヒルダンとですか!?」
「おお、そうじゃ。アイツとワシはガキの頃からの友人でな、アイツは『最高の一枚』を描くため、ワシは『最高の画材』を得るために世界を旅した」
人は見かけによらない、とは当にこの事だ。
「結局、『最高の一枚』を描くことはできたんですか?」
「いいや、アイツもワシも目的は達成できんかった」
老人は残念そうに首を横に振った。
「そうなんですか……」
「まあ、その後アイツは絵画で一山当て、ワシはここでしがない画材屋をやっておる」
「経営、成り立つんですか?」
「こりゃ! 大人びたことを言いよる! ワシの店の心配をしてくれんのか。カカカッ、面白いガキじゃ。以外にな、この店には人が来るんじゃ。それに……」
老人は、自分の背後に視線を移した。
「金がなくなったら、あれを売る」
そう言いながら老人は空を指さした。気が付かなかったが、そこには一枚の絵が飾ってあった。あのタッチは……。
「あれは昔ヒルダンから商品の代金のカタとして貰ったものじゃ。他にもいくつかこの地区出身の画家からカタに貰ったもんがあるからの」
「代金のカタって……」
「今でこそアイツは金持ちじゃがな、昔はたいそう貧乏じゃったからな。鉛筆、筆、紙、それらを売ってやっても払う金を持っとらんかった。だから描いた絵を貰っとったんじゃ」
まるでタンギー爺さんみたいだ。どの世界にもこんな人がいるのか。
「お前さんも金がないなら、描いた絵を置いていけ。それでチャラじゃ」
別に買うとは言ってないが。
「この界隈にはここしか画材屋は無いからの。美術学校があるにも関わらずな」
「そうなんですか?」
独占しているということか。道理で人がいないくせに廃業しないわけだ。
「おっと、勘違いするなよ。ワシがなにか悪さしてるわけではないからな。何故か他所に同業ができてもすぐに潰れるだけじゃ」
「ふーん……」
私と老人が話し込んでいると、背後の扉が開き、重苦しい木の音を鳴らしながら誰かが近づいてきた。
「あら? リーグレットじゃない」
声をかけられ、後ろを振り向くと見慣れた顔があった。
「エリン。どうしてここに?」
「私は画材を買いに来ただけよ。もう、鉛筆とか絵の具とかなくなりかけてるし」
「おぉ? 小娘、また来たか」
「
「沢山買っていけよ。テイルロットの金だけを頼りにしとるからな」
老人は、カカと笑った。
「エリン、知り合いなの?」
「知り合いも何もカルマンさんを知らない人は、うちの学校にはいないわ」
「凄い人なの?」
そんな風には見えないが。
「そうじゃないわ。画材屋がここにしかないから皆ここに来るのよ」
そういう理由か。私は拍子抜けした。
「君にあげた紙や筆もここで買ったものよ」
知らず知らずのうちにユーザーになっていたようだ。彼女は、店内を眺め物色を始めた。何をするのかと私はそのさまを眺めていた。筆の前に立つとじっくり眺めて、三本程の筆を素早い手付きで取り上げた。次に鉛筆の前に立ちまたもやじっくり鉛筆を眺めると、一気に三本程を素早い手付きで取り上げる。
彼女はそれを店内のあちこちで行い、カウンターの前へと戻ってきた。その手元にはどっさりと画材が握られていた。
「ど、どうするの? それ」
私は恐る恐る聞くと、彼女はあっけらかんとした顔で
「どうするって、買うのよ」
と言い放った。
「毎度あり。小娘。毎度気前良く買っていくのぉ。ちっと羨ましいわい」
この国一、二を争う商会の娘なら当然だろう。通りに面したドアからシュッとした男が入ってきて、カウンターに代金を置いた。そして、踵を返してドアから出ていった。使用人なのだろうか。
「はい、リーグレット。新しい筆よ」
今しがた会計を済ませたばかりの筆の一本を私に渡そうとする。
「いらないよ。借部屋に筆が一本あったからそれを使わせてもらうよ。それに前に君から貰った筆もまだまだ使える」
私は丁重に断った。
「何言ってんのよ。私があげると言っているのだから貰っておくといいわ」
「ガキ。貰っとけ。その筆は結構高級品だぞ。お前なんぞじゃ一生買えんかもしれん」
老人がエリンに対し助け船を出す。二対一になってしまったことで、私は折れ、しぶしぶ高級筆を貰うことにした。エリンは、笑顔で私の手に筆を握らせた。この時間に一体何の意味があるというのか。
「でも、カルマンさん。このぐらいの筆ならこの子は必ず買えるようになるわよ。だって、この子の才能は凄いもの」
「ヒルダンよりもか?」
老人は小馬鹿にするような視線をよこしたが、その視線中には淡い期待も抱かれているように見えた。
「そうね。昔の学長のこと知らないけど、きっとそれと同じ位か、それ以上かも」
「ほほう。テイルロットの娘が言うなら期待できるかもしれんなぁ」
「そんな事はないですよ。彼女の方が才能に満ちています。私なんて……」
長年絵を描き続けた結果です、とついつい本当のことを言いそうになってしまったがぐっと堪えた。
「謙遜までできるか。それならガキの将来を楽しみにしておくわい」
カカカッと老人は笑った。よく笑う人だ。
「さあ、リーグレット。行きましょう」
「毎度ありぃ」
「では、また。具材がなくなったらきます」
「うむ。その時は絵を持ってこいよ」
私は首肯するとエリンと一緒に店を出た。店の前には二頭のリャウダが車を引く形、つまり馬車ならぬリャウダ車が道路を占拠していた。往来する人々は忌々しそうにこのリャウダ車に一瞥し行き交う。そう邪魔なのだ。その横にはそんな人々の感情などどこ吹く風と涼しい顔して先程の使用人が立っていた。
「君、これからどうするの?」
店を出るなり聞いてきた。学校を見に行こうとしていたことを伝えた。
「そうだったの。その道すがらこの店を見つけて入ったってことね」
「そう」
「じゃあ、私が学校案内してあげる」
「いや、いいよ。エリンだってこれから用事があるでしょ? っていうか学校は?」
「今日は、お父様の用事に付き合ったの。大事なお客様が絵を買いたいとおっしゃるから、お父様自ら絵を見に行ったのよ。私はその付添い……もとい選定人」
「選定人?」
「どの絵がいいか選ぶのよ。こういう絵が欲しいって依頼人から言われて……」
とそこまで言ってエリンは、辺りを見回した。
「リャウダが邪魔ね。とりあえず学校に行きましょうか。乗って」
「え?」
「いいから、いいから」
成り行きで車に乗込むと、私の意志などお構いなしに学校へ向かい始めた。
「それで……、そうそう。その依頼にあった絵を選ぶのだけど、依頼の内容って往々にして漠然としてるのよ。明るい色調のもので海が描いてあるもの、とかレヴィ様が中心に描かれていてそれを崇める民衆……とか。その手の絵ってごまんとあって……」
「それを選ぶのが君ってことか」
エリンは首肯した。
「私が選んだものは、皆喜んでくれる」
相手はあのテイルロット商会だから、依頼人も忖度してるだけでは……? と穿った見方をしてしまうが、今はエリンのセンスがあるということにしておこう。
「だから、絵画のお仕事の時は私が着いていくのよ」
「そこで審美眼が養われるわけだね」
「そんな大層なものじゃないわ。いろんな絵を見ることは糧よ。自身の力になるのよ。私にとっては技術を磨く場なの」
とても中学生ぐらいの子が言うこととは信じられなかった。絵だけでなく、人生観まで達観しているのか。
「凄いね」
私は素直に総評した。当たり前でしょ、という態度をとられるかと思いきや頬を赤らめて
「あ、ありがと」
と言った。
「お嬢様、もう少しで学校に到着します」
使用人が御者台から抑揚のない淡々とした口調で伝えてきた。使用人の言う通りすぐにリャウダ車は止まった。窓の外へ目をやると校門の前だった。
「降りるわよ」
「エリンはこの後用事はないの?」
さっさと降りていくエリンを追いかけながら言った。彼女は急に止まると踵を返した。
「あるわ」
「じゃあ……、大丈夫だよ。一人で見て回るか……」
私が言い終わるか終わらないかのその時、
「君を学校案内に連れて行く用事が」
と言ってやはり踵を返してきびきびとした足取りで先へと行ってしまった。
「あららら……」
私は一人取り残されていると、後から
「お嬢様の事をよろしくお願い致します。彼女は一度言い出すともう何も聞いてはくれません」
と使用人が現れた。
「そうですか……」
私は呆れて彼女の後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます