第14話
一年と少しの後――
私はリカロンド美術学校の敷地内に佇み、これから世話になる校舎を眺めていた。美術学校だけあって、外観も何処か芸術的である。
「何やってんの?」
不意に声をかけられた。この声には聞き覚えがある。
「エリン」
振り向くとエリン……と複数の女子が立っていた。取り巻きなのだろうか?
「校舎が珍しい? これから毎日見ることになるわよ」
エリンが腕を組みながら言った。彼女の背後の視線が痛い。
「珍しいよ。学校のくせに学校っぽくないから」
「学校っぽい、って何よ? 学校らしさってあるわけ?」
この世界には学校なんて数校しかないし、それぞれが遠く離れているから他校のことなんか知らないか。もっとも私がここで言っている学校っぽい建物というのは日本の校舎のことを言っているから、エリンが他校のことを知っていても知らなくてもどっちにしろ理解してくれないだろうが。
「今日からよろしくね、エリン」
人差し指と親指と中指を立てて振った。
「ええ! ここでは私のほうが先輩よ! 分からないことがあったら私に聞きなさい!」
「ははは。ありがとう。そうさせてもらうよ」
照れくさくなって、口元を緩める。
「エリンさん。誰ですか? この人は」
取り巻きの一人が出し抜けに言った。
「ああ、皆は知らないわよね。この人はリーグレット……」
「リーグレット=シェーダです。よろしく」
彼女の取り巻きだけあって、皆私と年齢はさほど変わらないようだ。私は頭を下げた。ついつい日本人時代の癖が出てしまう。もう十二年はこの世界にいるはずなのに。三つ子の魂百まで、とも言うし仕方ないか。
「何ですか? その所作」
怪訝な声が聞こえてきた。このような動作はこの世界にないから、頭を下げるという所作がどのような意味を持つか理解できないのだろう。
「まあターメリア、許してあげて。これがリーグレットの良いところよ」
どういう意味だ。
「エリンさん。もう行きましょう」
ターメリアではない少女が凛然と言った。エリンの周りの子達は皆大人びているように見えた。前世界で言えば、小学校高学年から中学生ぐらいの年齡の子達だ。
この世界の子達はこんなにも大人びているものなのかと逡巡していると、
「じゃあ、リーグレット、また明日」
エリンが別れの合図の後、少女達は踵を返して校舎とは別の方面へ歩いて行く。どの娘達も綺麗な髪の色をしていた。だが、やはり一番綺麗な色をしていたのはエリンだった。
その翌日から私はリカロンド美術学校の貸部屋で生活することとなった。エリンと会ったその日は一旦家に帰り、両親と食卓を共にした。美術学校へ入ると両親には中々会えなくなる。それを踏まえて私は沢山話をした。また、両親と離れ離れになるのかと思うと哀愁に駆られたがぐっと堪えた。別に今生の別れではないからだ。
そして、翌日の朝、画材と衣服を持って再びリカロンド地区へ戻り、学校の寮へと向かった。あてがわれた部屋の中には木製の机と本棚、木製のベッドが一台あった。机の上には筆や鉛筆が置かれ、紙がいくつか乱雑に置いてあった。こんな物までくれるのかと思ったが、筆は毛がパサついているし、鉛筆も妙に短く、紙も黄ばんでいる。おそらく前の部屋の主の置き土産なのだろう。
筆や鉛筆など高価な物を気前よくくれるわけが無いか。ただでさえ授業料がかからないのだから、それ以上は何も望むまい。机を物色していると机には何やら彫られているを見つけた。
「何々? 俺は世界一の画家になる! だって? まあ、志は高い方がいいか」
学校らしい。小学校や中学校の特別教室にも同じように誰かがメッセージを彫っていた。内容はとても下らないものだったが、思春期の子供らしさがあったのを思い出した。
私も斜に構えたりしないでこれだけストレートに生きたほうがいいのかもしれない。折角もらった二度目のチャンスだ。
「こうやって、掘ったりする文化はあるくせに何故か彫刻は無いんだよな……」
私は不思議だった。この世界には芸術と呼べるものが絵しかないのだ。前世界でも絵はもちろん彫刻だってあったし、何ならスマートフォンの画面を割って現代美術と称していた者もいた。まあ、そのような輩はそのうち椅子を置いているだけで美術に仕立て上げてしまうだろうが。
話を戻すが、この世界にはそのような芸術文化が無いのだ。何故かと書籍を読みたくてもこの世界にはそのような気の利いた歴史書は無いのだ。
「とりあえず荷物を出すか」
私はそう独りごちると荷を紐解き、とりあえず画材を並べ衣服をどう見ても宝箱にしか見えないチェストに仕舞い、一仕事終えた私はこの部屋唯一の窓から外を眺めた。存外心地良い風が吹いている。ここからの風景も悪くはない。地上三階のこの部屋からはサージュシェルの街並みが一望できた。さすがに我が家は遠すぎて見えない。
サイカランやカーナはどうしているだろうか?
サイカランは城の兵に志願したと聞いたし、カーナは図鑑を作るのだと言って前世界で言う出版社に入った。まだまだ私達は子供だが、この世界には子供でも働き口がある。もちろん、いきなり一端の仕事は任されたりしないだろうが下積み時代とでもいうのか雑用ぐらいは仕事はある。学生の道を選んだのは私だけで二人は仕事の道を選んだのだ。
「今度、帰る時があったら聞いてみるか……」
一時風に当たった後、校内を歩き回ることにした。寮を出て、リカロンド地区を少し歩く。石畳の道路を歩く。両脇にはお店や酒場、カフェのようなものが軒を連ねている。住んでいた地区とは異なり活気に溢れている。心なしか道行く人達に笑顔が多い気がする。
吉田さんのアトリエがあった商店街をふと思い出した。あのスーパーの女子高生は元気だろうか? 私があの世界から消えたことを知っているだろうか? いや、知っているはずもないし、知っておいてもらう必要もない。あの娘の人生に何の影響も与えられない私の身を案じてもらおうなどと思うのは傲慢以外の何ものでもない。今はこの
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