第13話
エリンと約束してから数ヶ月後のある日。
私達はレミュドー川の沿岸に座っていた。手にはスケッチブックを持って。
「風景画って嫌いだわ」
「毎回言ってるね、それ」
エリンが悪態をつくのを私は笑った。
「ごちゃごちゃし過ぎなのよ! 人物画や動物画はもっと簡単よ!」
「それはエリンだけだよ」
エリンは、私と違って人物画や動物、もっと身近にある物を描写するのが得意だった。彼女は人物画を描くのは簡単だと言っているが、実際そうではない。人物画はその人のバックグラウンド、そこから生まれる性格、そして、その時の感情などを反映させる必要がある。ただ描くだけでは駄目だが、彼女はいとも簡単にやってのける。
この数ヶ月一緒に絵を描いていたが、彼女は、天才だった。高飛車になるのも頷けた。
「あぁ! 屋根が面倒だわ」
「そこはもっと抽象的に描けばいいんだよ」
「抽象的って何よ?」
「しっかり描かないで、何となく屋根に見えるように……」
「
怒られてしまった。
「まあ、確かに」
細部を省略できるのは熟練者ができることか。未熟者がやればそれはただの面倒くさがりだな。
「次は人物画よ」
「はいはい」
私達は、交互にお題を出し合い、スケッチブックに描いて遊んでいた。エリンは修練なんて言ってるけど、私から見れば息抜きだった。今回は私のリクエストで風景画を描くことになっていたから、次は彼女のリクエストを聞く番だ。
「それにしてもやっぱり君は絵が上手だね。惚れ惚れしちゃう」
私のスケッチブックを覗き込んで執拗にうんうんと首肯している。
「そんな事はないよ。エリンだって十分に上手だよ」
これはお世辞ではなかった。大人が描いたと言われても信じてしまうだろう。彼女の絵はそれだけ達観していた。
「いいや! 私はまだまだ。絵を描き始めたばかりの君に負けてるんだもの!」
確かにこの世界で絵を書き始めたのはつい最近、エリンに会ってからだった。とはいえ、私は前世界で三十年近く絵を描いてきた。その差に雲泥の差が出なければ、私の積み上げてきた時間が無為になる。
今の家には紙や鉛筆(と読んでいるが鉛筆とは似て非なるもの物)を取り揃えるだけの財力はなかった。だから今私が使っている物もエリンに貰ったものだった。後から分かったことだが、彼女の家は裕福で、テイルロット商会のご息女であった。今の我が家とは雲泥の差がある。そんな境遇の彼女だが、特段偉ぶるでもなく、常に私と同じ目線でいてくれる。周りは私を使用人か何かと勘違いすることもあるようだけど。
「ははは。僕は別の世界で腕を磨いてきたんだよ」
へらへらと冗談めかして本当のことを言った。
「そんなことあるわけ無いでしょ! 寝ぼけているのかしら」
「どうだろ? 嘘だと思う? 別世界があるって言わたら」
「……」
冗談だったのに彼女は、真剣な顔して考え込んでしまった。
「どうだろ? ちなみに君の想像を聞かせて。別の世界ってどんなところ?」
「えっと……」
嘘をつくか、本当のことを言うか迷ったが、どうせ信じてもらえないだろうと本当のことを言う事にした。
「そうだね……。この街で一番高い所って、あの城のテッペンじゃない?」
私は城の塔を指さして言った。
「ええ、そうね」
指さされた方へ視線を移し、エリンは頷いた。
「あの先よりもずっと高い建物が沢山あるんだ。そして、そこに住んでたり、仕事したり……」
私は東京駅界隈を想像しながら言った。
「アルアン。そんなものあるわけ無いでしょ」
「いや、そんな事はないよ。だってこの世界とは別の世界なんだから、あるかもしれないじゃない? 後さ……」
「まだあるの?」
「うん。リャウダよりも速い乗り物がある」
リャウダは丸い球状の体に首や顔が無く、8本足でなかなか面白い動きで走る動物だ。馬より全然遅く、人が歩くよりかは少し速く移動できるぐらいだ。だが、ここで私が言っているのは
「他には?」
「空飛ぶ乗り物もある」
「えぇ!? 空を飛ぶのは魔物だけでしょ!?」
この世界で空を飛ぶのは魔物だけである。空を飛ぶ物体を見たら魔物だと思わなければならない。
「ううん。それに魔物がいない」
「それは住みやすいわね。自由に外を歩けるわ。こんな城壁に囲まれた国なんて息が詰まっちゃう」
「いいでしょ? エリンの言う通り、その世界は壁がないんだ。ずっと遠くまで街が続いてる。もちろん山とかあるけどね」
「なんか随分、見てきたように言うわね」
そりゃあね、と心の中でつぶやく。
「まあ、エリンは信じないでしょ。こんな別世界。あったらいいなっていう、僕の妄想だよ」
「その割にはいやに具体的だわ」
疑う眼差しを私に寄越す。
「そうよ。その話を信じれば、君はもうずっと絵を描いて生きてきたってことよね」
「うん。まあ、そうなるね」
「じゃあ! 信じるわ! 君は別世界で絵を描いていた! だからズルなのよ!」
「そういう論法でくるか……」
「そうよ! だから私は君に勝てないの。勝てなくてもしょうがないのよ。そもそも絵を描いてた時間が違うもの」
「ま、これは妄想だから」
私はタジタジになったが、大人気ない方法で逃げた。
「あー! ズルい!」
「いやぁ、自分の妄想力が憎いなぁ。さぁ、続きを描こう。まだ、
「いいわ! 君がどんな境遇でも私は最後に勝ってみせるわ!」
そういうとエリンは、スケッチブックに転がしていた鉛筆を握り、手を動かし始めた。この娘はとてつもなく絵が上手になる。技術も心構えも両方を備えている。芸術家はメランコリックになればなるほど、その者がもつ世界や表現力が増す者もいるが、彼女はどうだろうか。憂鬱さを持つことでその力が延びる伸びしろを持っているというなら、末恐ろしい子供だ。
私も負けていられない。
スケッチブックに転がしていた鉛筆を握る。
芯を紙にあてる。
やがて
「エリン、どう? うまくかけた?」
「ぐねねねね……」
「どうしたの?」
「うまく描けない……。あーっ! やっぱり私は才能がないのね!」
「見せてみて」
などと言いながら彼女の膝の上に乗っているスケッチブックを覗き込んだ。
「あぁ……、うん」
彼女の風景画は決して下手ではない、下手ではないが上手でもない。年相応の画力だ。私は言葉を失って気の利いた言葉を言ってやれなかった。慰めの言葉でも言ってやれれば女性にモテるのかしれないが、生憎そのような感性は持ち合わせていなかった。それに彼女にはそのような気休めの言葉は逆効果に思われた。
「もっと! もっと! 絵を描かなくては!」
エリンは、いきなり立ち上がるとレミュドー川の向こう岸へ言い聞かせるが如く叫んだ。
この娘の何がこんなにも責め立てるのだろうか。両親から何か言われているのか? と勘繰りたくなるぐらいの情熱だ。
「まだ子供だからしょうがないよ」
「君だって歳変わらないでしょ!? 何なら君のほうが歳下じゃない!? そのくせ人を描いても、風景を描いても私より上手いのよ! 私は誰にも負けたくないのよ!」
私はハハハ……と笑うしかなかった。
「いい!? 必ずリカロンド美術学校に入るのよ! そこで君を打ち負かすわ!」
打ち負かす……なんて物騒な。
「勝ち負けなの?」
「フッ! そうよ。私と君の勝負よ」
見下される形で言われた。
「じゃあ、それまでは一緒に頑張ろう」
返答に困った私はそれだけ言った。リカロンド美術学校へ入るにしても1年以上先だ。今かっこつけても明日以降遊ぶ時に気まずくなる。
「そ、そうね」
私の呑気な回答に毒気を抜かれたのか、彼女はそれだけ言った。気が付くと
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