第9話
家に帰ると早速私は図鑑を自室の木製机の上に広げた。二十ページ程の薄い図鑑だが、挿絵は全て手描きのものだ。その労力を考えると高価な物だと推測できる。折り曲げたり汚したりしないようにしなくては……。
これらの絵は全てカラーである。つまり、この世界には絵の具に相当する何かがあるということの証明だ。
最初から目を通していく。ガラッバというコウモリに似た魔物や、グートという人のシルエットをした魔物達が描かれている。このグートに関しては幽霊の類だったり、単なる見間違いの可能性があるが、魔物ということにしておこう。ドネーブよりも前のページにもヒルダンの絵はあった。『キュクトリ』と銘打たれているその魔物はハチドリそのものだ。こんな可愛らしい生き物が魔物だと言うのか。信じられない気持ちで目を通す。
キュクトリ
体長:
翼を広げた時:
大空より羽ばたいてきて、人々を襲う。青黒い体毛と刃物に似た嘴で滑空時に刺してくる。速度は40ラーベルを越える。雑食。この魔物は直進しか出来ないため、逃げる場合は横に逃げると良い。
説明だけ見るとなるほど魔物である。しかも翼を広げると今の私よりも断然大きい。こんなものが空から飛んでくるのだから、恐ろしい限りだ。ふたたびページをめくっていき、最後まで読み終える。結局、ヒルダンの絵は三つだけだった。だが、この図鑑に参加した誰よりも技量も色彩センスもデッサンも優れていた。この人に会うことは出来るのだろうか?
そんな私の願いは数年後に叶うことになる。
それから三年の月日が経った。
昨年から学校に入学し、今は週に三回ほど学校に行っている。日本の学校とは授業内容が違うから新鮮といえば新鮮である。サイカランもカーナも同じ学校に行っており今も仲良くしてもらっている。
学校と言っても、教会の一部屋を間借りしているだけだし、教師も牧師が兼ねている。だから、この世界の理はもちろんだが、それ以上にこの教会に関わる宗教について学ぶことのほうが多かった。
「今日からは、
席につくなり牧師……、いやここでは先生と呼ぼう。
「国事?」
一人の生徒が声を上げた。先生はニコリと笑う。
「過去に
「えー? 知らなーい」
「オレ知ってるー」
「嘘つけ! お前何も知らねーじゃんかよー」
生徒たちは銘々勝手に喋りだす。
「ははは。では、知らない子も知ってる子もこれからしっかり学んでいきましょう。では、まず初めに言語の成り立ちですが……」
先生はひと呼吸おいた。
「世界では、『デノディール白教』が一般化していますよね。皆さんも実感している筈です。生活のあちこちに見え隠れしますからね。では、私達が今、喋っているこの言葉はどこから産まれたのでしょうか? それは二千年も昔に遡ります。デノディール白教の開祖、デノディールが全神
「お父さんから聞いた通りだぁ」
ある生徒が出し抜けに言った。先生はニコリとした。
「デノディール白教はこの
前世界のように国によって言語が違うということもないらしく、その点は便利だなと純粋に思った。
「さて、少し話は逸れますが、どこでもデノディール言語でお喋りできるからと言って何処にでも行けるわけじゃありません」
「どういうことー?」
「世界には四つの国があります。」
先生は4本指を立てた。このような仕草はこちらでも前世界でも変わらないようだ。
「まず、ひとつは私達が住むこの国、『サージュシェル』。ここから東へ向かうと兵士の国『トュネル』。ここから、北へ向かうと魔法国家と呼ばれていた『ラマサー』。そして、最後に山の向こうにある魔物達の国『ウォルドア』が……」
「魔法の国って本当にあるんですかぁ?」
話の途中に割って入る形で、ある生徒が質問をした。それは私も気になっていた。魔法なんてものがあるのなら、私自身が使ってみたい。
「……少し前まではラマサーのことをそう呼んでいました。ラマサーに住むすべての人々が魔法を使うことが出来たと言われています」
「すごーい! 手から火とか出せたのかな!?」
子供の考えることはどの世界でも同じだ。
「ええ。昔の話ですがね。今は、魔法は誰も使うことができないと聞いています。年代を経るに連れ失われたんでしょうね」
「魔法というのはどういう原理なのでしょうか?」
私も疑問に思っていたことを口にした。日本人の感覚では、魔法を使用できるという感覚や原理が理解できない。
「おや? リーグレット、君が質問をしてくるなんて珍しいですね。いつもは『そんなこと知ってます』って顔しているのに」
私はそう指摘されて、恥ずかしくなって頭をかいた。
「皆さんも同じような疑問を持っているでしょう。私も魔法が使えるわけじゃありませんから、伝え聞いた話しかできませんが、魔法の起こりというのはデノディール様がレヴィ様より教えを啓示されたと同時に、魔法の力も授かったといわれています。これはデノディール白教の経典にも記載があります。そして、原理について。これも本に書かれていたことですが、かつて偉大な魔法使いと言われたベナンムという人が言うには、『魔法というのは、魔法が使えると信じる心』が必要だそうです」
信仰心ということか?
「もっと具体的に言うと、『何かを成し遂げるという確固たる信念……、つまり、例えば手のひらから火を出すということを必ずやってみせる、ということだ』とのことです。……。いかがでしょう? リーグレット。この説明で納得できますか?」
納得できるか? と言われれば納得はできないが、この世界ではそうなのだと言われれば納得せざる負えない。ここは日本ではなく、
「ということは先生、私もここにいる皆も手から火を出したり、空を飛べると
これは私だ。
「まぁ、ベナンムがいうことが正しければその通りなんでしょう。私は魔法を使うことはできませんが……」
「それなら先生! 信仰心が足りないんじゃないですか!?」
ある生徒がはやし立てると教室にはどっと笑いにつつまれた。
「ははぁ、痛いところをついてきますね。しかし、牧師なのですからしっかりとレヴィ様とデノディール様の事を信じておりますよ! 毎日、レヴィ様に挨拶をしております……!」
先生は苦笑いをして弁明した。成し遂げられると信じ続けること……、日本であれば根性論などで一蹴されるだろう。そんなものが魔法の源泉ということか。だが、それは一つの真理なのかもしれない。何かを最後まで成し遂げられる人というのはそんなにいないという。夢を叶えるためにも富を得るためにも最後まで自身を信じるということが必要不可欠だと言われていたから、それと同じかもしれない。
「では、話を戻しますよ。デノディール言語が通じるからと言ってどこへでも行けるわけではない、というお話でした。この世界では唯一デノディール言語が通じない国があります。それはウォルドアという魔物の国です。魔物は独自の言語体系を持っているため、デノディール言語は通じません。ウォルドアはここから一番離れた国ですから、皆さんがそこへ行くことは無いでしょうが……」
「ウォルドアは誰が治めているのですか?」
「ウォルドアは人間と同じように王が治めているそうですよ。それも伝え聞いた話ですがね」
ウォルドアまで行った人間がいるということだろうか? 無謀な人間はどこにでも、どの年代にもいるからウォルドアへ行って帰ってきた人間がいてもおかしくはないか。魔物の王。つまり魔王だ。ゲームやアニメでおなじみだが、そう呼ぶのが無難だろう。
「では、先生。前に僕は魔物図鑑で魔物の事を読んだことがあります。魔物の国というのですから、とても恐ろしい国なんでしょうか?」
カーナが聞いた。サイカランもカーナも同じクラス……、いやクラスを分けるほど生徒がいないため年齢に関わらずごった煮にしてしまっているため、学校に通うことが即ち同じ教室で授業を受けることを意味する。
「うん。私も行ったことはないが魔物の恐ろしさはよく知っているから、想像するだけで恐ろしくなってくるね。大人になっても皆さんは行かないようにしましょう」
はーい、と威勢のいいの声が響いて国事の授業は終わった。
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