第8話
それから五年の月日が経ち、私は五歳になった。新しい両親からは『リーグレット』という名を貰った。最初はその名を呼ばれた時、自分の事を呼ばれているのだと気が付くことができなかったが、月日が経てばやはり慣れるもので、自身の中から違和感が無くなっていった。この世界では私のことを斎藤翔太と呼ぶ者は誰もいない。
そして、この世界の独特の言語にも慣れ始めていた。私が子供だから理解できないのか、日本語しか話せないから理解できなかったのか定かではないが、耳がその言語に慣れ始めると次第に言いたいことは何となく分かってくるし、発音も両親の真似をすれば習得できた。今は、五歳児らしく喋ることができるまでに成長した。
私は今の日課である散歩にでかけている。この世界には圧倒的に娯楽が少ない。日本では、いやあの世界では娯楽過多とも言えるほど娯楽があった。テレビ、映画、動画サイト、掲示板、音楽、劇、スポーツ、読書……。枚挙にいとまがない。しかし、この世界での娯楽というのは、劇や音楽鑑賞、読書、絵画鑑賞、運動……とこの程度しかない。
何故か球技は無いし、もちろん電気が無いから電化製品を使う遊びはない。子どもたちの間で流行っているのは『レブォールデッチ』という遊びである。これは日本で言うところの『鬼ごっこ』である。名前もほぼ同じ意味だ。
新しい父から聞いた話であるが、この世界には魔物が住んでいるらしい。動物とは違う、凶暴な生き物。日本にはいない異径の怪物らしい。ゲームや漫画やアニメではよく出てくるアレだ。その魔物の中にレブォールという種名をつけられたものがいて、その魔物に触れられると仲間に引き込まれる、つまり同じレブォールになってしまうという伝説がある。
以前父が若い時に遭遇したことがあるらしく、友人の一人がレブォールに触れられ、レブォールになってしまったのだと言って私を脅かした。
幸いこの街の周りにはいないらしいし、街は城壁で囲まれているから魔物などに脅かされることはない。ちなみにレブォールデッチは私が勝手に作った遊びだ。もとからあった遊びではない。デッチはこの世界でごっこという意味に近い言葉だからそうつけた。
「レブォールデッチやろうぜ」
窓の外から私を呼ぶ声がした。隣の家のサイカランだ。天頂の光、この世界では『レヴィ』と呼ばれているがさんさんと地上を照りつける。元の世界では太陽と呼ばれるもの近いらしい。らしいというのは、この世界には惑星という概念はないため、あの光が星なのか、はたまた生き物なのかはようとしてしれないからである。だが、あの光は元の世界と同じように昼と夜とをもたらす、この地上の生き物たちの大事な指針であり、栄養素であるのは間違いない。
私は母、フュンゼに
「行ってきます!」
というと木製の扉を勢いよく開け放った。家の前の道路にはサイカランともう一人カーナが居た。
「遅いぞ! リーグ!」
私は二人からリーグと呼ばれている。今声を上げたのはサイカランだ。サイカランは長身的で細身だがガキ大将のような少年だ。金髪で短髪。どの世界でもガキ大将が纏う雰囲気はそう変わらない。
かたやカーナは気が弱いいい子だった。目が隠れるほど長い前髪に私よりも背が低く運動音痴であったが、体を動かすのは嫌いではないらしく、よく三人で遊んでいる。
「リーグ君。遊びに来たよ」
「何して遊ぶ?」
私は聞いた。
「バーカ! レブォールデッチに決まってるだろ!」
「あればかりでは飽きてしまう」
「いやいや、おもしれーじゃんかよ。レブォールデッチ」
同じ遊びを何度も繰り返すのは子供らしいなと感じた。大人になると同じ事がずっとできなくなる。
「たった三人でか?」
ここにいるのは三人。しかも一人は運動音痴ときており、実質二人だ。これでは面白くなるものもおもしろくならない。
「じゃあ、お前はいい案出せるのかよ?」
そう言われるとぐうの音もでない。妙案も無い私たちは、サイカランの遊びにのることにした。場所を移すと、すぐさまレブォール役を決める。
「僕は、レブォール役がいいなぁ」
のんきにそう言ったのはカーナだった。運動音痴な彼が最大限この遊びを楽しめるのはこの方法しかなかった。
「また、お前レブォールかよ。たまには人間もやれよ」
不平を言うのはサイカランだった。毎度毎度こうなのだから、彼も嫌気がさしているのだろう。
「サイカラン。君はどうする?」
カーナに何を言っても無駄だと知っている私はサイカランのように彼を責めたりせず、どちらがどの役をやるかを決めることを優先した。
「じゃあ、俺はレブォール役をやるよ。リーグは人間役な」
「分かった」
レブォール役が二人となると、残りは人間役をやるしか無い。いくら運動音痴といっても二人対一人は厳しいものがある。運動音痴ではないにしても私自身、運動が得意な方ではない。
「よし! 用意スタート!」
大きな広場の中だけがフィールドだ。一人しかいない人間にはかなり不利な状況である。
「フッフッフ……。カーナ! 右から行け!」
「うん」
その言葉を合図に二人が両サイドから挟み打ちするように迫ってきた。しかも、二人のスピードが極端に違うせいでどう逃げようかという判断が鈍る。逡巡した結果、私ははさみうちされる前に中央突破を目論んだ。移動速度のはやいサイカランは私を捕らえることができずに通り過ぎてしまったが、比較的緩いスピードのカーナはすぐに方向転換を行い、私に向かってきた。
カーナを巻こうとすると、今度は別の方向からサイカランがやって来て私を捕まえてしまった。これで人間は一人もいなくなってしまった。
「ハッハッハァー! レブォール軍の勝ちだぁ!」
サイカランは勝ち誇ると、満足気に
「もう一回!」
と言った。
そして、それを数回繰り返した後、
「次、何する?」
こう言いだしたのはサイカラン本人だった。
「じゃあ、これ見る?」
のほほんと言ったのはカーナだった。彼の右手にはいつの間にやら一冊の本が握られている。これ、というのはその本の事のようだった。
「何の本?」
私は疑問に思い聞いてみた。
「魔物図鑑だよ」
魔物図鑑。響きから察するに動物図鑑のようなものだろう。
「実際に魔物に出会って生きて帰れた人の言うことを基に作ったんだって」
以前居た世界の図鑑ほど充実した内容では無いだろうが、これは期待できる。
「へぇ! 早く見せてよ」
気が付くと私はそう言っていた。久しぶりにワクワクしている。いろんなものを体験したと思っていたがまだまだ経験不足なのだ。
街の中には、レミュドー川という一本の大きな川が流れている。一旦私達はその川へ移動し、舗装された縁へと腰掛けた。フェンスなんてものは無いから下手をすると川へ落ちる可能性があるが、ここの住人はそんな事はお構いなしに足を投げ出している。
カーナを中心に両サイドに私とサイカランを据える。カーナはパラパラと膝にのせた図鑑をめくる。図鑑とはいえそう重量のあるものではない。
「僕はこの魔物が好きなんだ」
最初にカーナはあるページを見せてくれた。『ドネーブ』と書かれている。名前の下には精緻に描かれた挿絵があった。パッと見た限りだと、黒猫のような生き物だ。
「この魔物、爪で人を引き裂いて食料を漁るんだって。道行く旅人を襲うんだって。体長は大きいものだと
けろっとカーナは言ったが、よくよく考えるとこのようなものがそこら辺を普通に歩いているから恐ろしい。もちろん日本でだって、熊による被害が度々ニュースになっているぐらいだから、魔物が当たり前のこの世界では至極当然とも言える。このドネーブなる魔物が熊より小さいとはいえ、一メートルを超す猫……、もうここまでいくと虎と変わらないから、襲われたらひとたまりもないだろう。熊に襲われた状況はテレビ等では詳細に被害者の状況を報じないが、ネットを漁るとその凄惨な描写はよく現れていたから、ついついそういう想像をしてしまう。
「これのどこがいーんだよ?」
サイカランが質問する。彼の美学としてもドネーブに好意を持てないようだ。
「じっくり見てみれば分かるかもよ?」
カーナは、サイカランに図鑑を渡した。というより半ば押し付けるようなかたちだった。渡された方はじっくりと読んでいる。
そのうち
「やっぱり分からねぇ!」
と図鑑を突き返した。
「えぇー? リーグはどう思う?」
突き返された図鑑をそのまま私に渡してきた。やはり私は挿絵に目をやってしまう。どのような技法が使われているのか、どんな道具が使われているのか、それに目がいってしまう。描かれた対象物は二の次だ。黒猫に近いその魔物は黒い体毛で覆われているが、その一本一本を丁寧に描いているように見える。筆のようなもで繊細に描いたのか……、いや、わざとパサつかせた筆で一度で数本の毛を表現している。ドネーブの瞳も特徴的で獲物に狙いをすませて獰猛に光っているように見えるがその反面、生き物特有の命に燃えるような輝きは感じられない。何かに狙いを定めているという時はその生き物の生きるか死ぬかの瀬戸際だ。その瞬間瞬間に命の灯火が風前にさらされている。その時、生き物というものの命は殊更輝くというもの。
いや、私はそこまで考えて思考を停止させた。この絵はさっきカーナが言ったように、生きて帰ってきた者の証言を基に描かれた想像の産物だ。獲物を狙っている瞬間を写生したものではないから、そのような生の輝きのようなものが感じられなくてもいたし方ないだろう。だが、逆にこれが魔物という私には馴染みのない生物の特性だったら?これは『生物』ではなく、『魔物』なのだから、全て前の世界のことを当てはめるのはナンセンスだろう。
しかし、この絵を書いた人の技量は凄い。ドネーブの右下に署名があった。
『ヒルダン=ユッカ=ウエザリン』
こちらの言葉でそう書いてあった。ヒルダン……という人物がこの絵を描いたのだ。有名なのだろうか?
私は次のページをめくる。一つ目の筋骨隆々の四脚、三本腕の巨人が描かれている。サイクロプスに似ている。次のページはイモムシのような何とも形容しがたい生き物が描かれている。嫌悪感を覚える挿絵だが所詮は挿絵。それ以上でもそれ以下でもない。更に次をめくる。次は『ハサル』と書かれている。先程のドネーブが猫だとするとこちらは狼のようである。満月をバックに狼が遠吠えしているような描写だ。
親近感を覚える。このような構図はゲームでも漫画でも結構ありがちだったからだが、先程とは打って変わって大胆な筆使いではなく、繊細なタッチで描かれている。だからなのか、そんなありきたりな構図でもその迫力は満点だった。そして、やはりこちらもヒルダンの署名があった。
「その絵が気に入ったの?」
私が食い入るように見ていたからだろうカーナが、言ってきた。
「ううん。魔物って言うより、このヒルダンという絵を書いた人が気になるよ」
「え? 絵を描いた人まで気にしてるの? リーグは、凄いね。僕はそんなところまで見ていないよ」
「というか、お前字が読めるのか?」
横からサイカランが口を挟む。彼が驚くのも無理もない。何故ならこの世界ではそんなに識字率は高くないからだ。私は文字という概念が理解できているからこの世界の文字を習得することは難しくなかった。また、カーナも両親が勉強熱心なのか意外に字が読めるのだが、街民の半分以上が字を読むことが出来ない。だから五歳にしてここまで読めるのは珍しいことなのかもしれない。
「字は勉強すれば読めるようになるさ。サイカランも読めるようになりたければ教えてあげるよ」
「おう! その時は頼むな!」
「カーナは、ヒルダンって名前聞いたことある?」
ダメ元で聞いてみる。五歳児が画家の名前など知っている確率などかなり低い。
「うーん……。噂は聞いたことあるよ」
知っていた。この世界の五歳児を侮ってはいけなかった。
「何で知ってるの?」
「パパとママが話していたから……。絵を描いてそれを売って大金持ちになった人だって」
「へぇ……」
そんな噂は聞いたこと無かった。父も母も絵には興味がないからだろう。絵で生計を立てる。多くの画家が憧れる生き方だ。誰だって自身の表現が評価されて、それにお金を出してくれて、それで飯を食べられるのであればそうしたい。
このヒルダンという男はそれを成し遂げた、そういうことなのだろう。
「リーグは、その本気に入ったの? それなら貸してあげるよ」
「え? 本当に?」
「うん。そんなに食い付くとは思わなかったよ」
「
私が礼を言って、その日は解散となった。
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