第2話 峠

「ふぁ〜あ」


 口の中のほろ苦さで目が覚めた。太陽はすっかり昇ってる。

 木の上でも案外安眠できるな。


 激流の川で口をゆすいで顔も洗ってさっぱりする。


「まだそんなに空腹感は無いな」


 新しい葉服(ようふく)を作って出かける準備を整える。




 川を辿ればここに帰って来れる。というか帰ってこなくても問題ないな。荷物も拠点も何も無いから。




 少し歩くと動物の骨があった。

 近くに散らばってる骨の形からして猪かな。


 そういえば昨日殺した猪はまだまだ吊るされてんのかな。他の動物に食べられてそうだけど。


「おっ!牙あるじゃん」


 昨日の猪は持ってなかったな。ぶっとくて反り返ってる。


「ちょうどいいじゃん」

 削ったらナイフにできるかな。


 牙を拾って散策を続ける。



 川の上流に向かって歩いていってるけど景色が全く変わんない。



 太陽が真上に来たぐらいで再び川で水浴び。汗を流して萎(しお)れてきた葉服(ようふく)を取り替える。


 ついでにそばに落ちてた岩に牙を擦り付けて削ってみる。

(ズッズッズッ…ズッズッズッ…)


「うーん。かなり硬いな」

 耐久性は問題なさそうだな。


 それから気付けば日が落ちてた。


 すっかり夢中になってた牙削り。数時間続けた成果もあってかなり持ちやすく振り回しやすいサイズと形になった。



 刃渡り二十cmくらいのナイフ。中々出来が良い。



「あとは試しに何か刺したいんだけどな。さすがにそれは明日にするか」


 水浴びをして木の上に登る。


「あ、今日も何も食べれなかったな」

 なんてことを思い出したけどぐっすり眠れた。



 葉っぱをちぎって咥えてナイフを振り回してルンルンと真っ直ぐ歩いてく。


「なんか動物と全然合わないな」

 結局初日の猪一頭だけか。物足りないなぁ、ナイフを早く試したいんだよ。

 


 手持ち無沙汰でナイフの振り方を色々試してたら、誰かの野営後なのか一箇所に枯れ木がいっぱい落ちてる。


 ジャングルに入ってから初めての枯れ木だ。


「んー。まだ少し暖かいな。朝方まで誰かがいたのか」

 触ってみるとほのかに暖かい。指先にじんわりくる温かさだ。



「うおっ!」

(ズコッ)

 そこから立ち上がって歩いたらとズボッと足が地面に埋まってバランスを崩した。



「結構深く掘ってるな」

 膝まですっぽりと持ってかれた。土が被さってるだけで柔らかい。


「そうだ。落とし穴でも作ろう。

 やっぱり罠と言ったら落とし穴だよな」


 ナイフを作った時に余った猪の牙。デカすぎたから半分に折ったやつ。

 持ってきておいて良かった。



 既に掘られてた部分をサッと掘り返してさらに大きく深く掘る。


「ふん!」



 幅三メートル高さ三mの落とし穴が完成した。

 蓋は蔦を張り巡らせて上から土をかけて完成。


 間違えて落ちないように目印として蔦の先をひょっこり出しておく。


 作り終わってから気づいたけど最初の穴、トイレだわ。まあ、自然なんてそんなもんでしょ。


 便は肥料になるんだから問題無し。ほんのスパイスさ。



「さすがに腹減ってきた」

 体感あと一週間は持つ。水さえあれば。



 ここを仮の拠点に決めたから周囲の安全を確認しておきたい。

 人とばったり会っても困るし。

 ついでに動物と会いたい。ナイフが血を求めてる。




 なんてことを考えながら歩いてたら。

「グルァァァァアア!!」


 猪同じく標準より遥かにでかい狼と遭遇した。


「びひゃぁぁぁ!!」

 俺の得意技、鼻フック投げ落としも腕が鼻に届かなきゃ繰り出すことさえ出来ねぇ。


 俺を見下ろす狼を前に俺は逃げ出した。


 後ろ足を抜いてすぐさま急旋回。

「ひぃぇぇぇえ!」


 逃げながら後ろを振り返るととすぐそこに人なんか丸呑みするくらいでかい口があった。

「グルゥゥゥア!」

 赤い舌が上下に振られて唾を撒き散らす。


 俺はとにかく真っ直ぐ走る。

 ハードルを飛び越える要領で垂れ下がってる蔦を飛び越える。

 もう、つま先がおでこに付くんじゃないかってくらいに前傾姿勢になってひたすら足を上げる。


 恐らく俺は今、一本の槍になっているんじゃないかな。

 それくらい真っ直ぐに顎がしゃくれて空気を切ってる。

 


「ふっ」 


相手が速ければ速い程、俺は速くなるのを知ってるか?

 しかしこれ程までに速い生物とは出会ったことがねぇ。

 そして今、俺は初めての領域に入った。


 さっきまでうるさかった呼吸の音は聞こえず、目の前の情報だけが脳に送られて蔦を無意識で跳び越えてる。

 これが冥土の土産ってやつか?死に瀕して体が思い通りに動く。


 しかし、それは限界の合図だった。


(ブチィィン!!)

 限界を超えた反動は肉離れという形ですぐに訪れた。

「くそっ!まだ息は切れてないのに!まだ疲れてないのに!」


 急激な超運動に下半身は耐えることが出来なかった。


 つま先が蔦に引っかかり、地面を転がる。

 しかし、勢いを殺さずに転がり立ち上がる。そして走る足を止めない。



(もうすぐ拠点に着く。

 あそこには落とし穴が!)


 震える筋肉を掴んで無理やり走る。すぐ後ろに迫る狼の息遣いが聞こえる。

 極限の集中状態なんてものはもう無い。今は感情のエネルギーで体を動かしてる。


 振り返ればきっと邪悪な笑みを浮かべた狼がいるだろう。


 が、しかし。

 助かる道を見つけて緊張が一瞬解れたからか、限界を超えても無理やり押さえつけていた筋肉は一瞬でバーストした。

(おいーー!!)


(ズゴゴゴゴゴッ!)

 前のめりに倒れ込んでしまったが勢いを止めたら食われる。

 必死にもがき犠牲となった左足を捨てて三足歩行ですぐ目の前にある落とし穴目掛けて飛び込んだ。

「とうっ!」


 俺の頭上に大きな影が被さったのは、速度が落ちた俺に追いついた狼が俺に飛びかかってたからだ。

(しかし狼よ。俺の勝ちだぜ)


 プールに飛び込むように頭の上で手を合わせて土を突き破る。


(ズボッ)

 ほとんど抵抗無く地面が抜けて穴に落ちる。


 下は当然擬似剣山。木の枝を削って先をとんがらせたのを敷き詰めておいた。


 時間が無くて限られた本数を均一に差し込んでたおかげで奇跡的に人一人分のスペースが剣山の間にはある。そして狼にとっては狭すぎるスペース。

「よっしゃ!」


 体全体を捻りS字のポーズをとって、スローモーションになった落下の中で横目に剣山の先端を見ながら地面に落ちた。

 ひぇっ、スレスレだぜ。


(ぼふっ)

「ボヘェッ!」



 覆いかぶさるように落ちてきた狼は剣山の餌食になった。

(グシャァ)

「グルガァッ!」


 一際大きな叫び声が森に轟いた。

 視界いっぱいに狼の体が映る。



(ひゃっほーいっ!閃きの勝利ってやつだな)


 ダバダバと上から血が垂れてくる。

 日も落ちて狼が被さってるせいで真っ暗だ。


(こりゃ、しばらく動けないな)



 バーストした足には力が入らない。反対の足も限界だったようでバーストしてる。

 筋肉が完全にちぎれてるのがわかる。


 他の動物が来ないことを祈って血腥(ちなまぐさ)さに不満を抱きつつも眠りに入る。

(結局ナイフ使ってない…)




 目が覚めると異臭が鼻を曲がらせた。

 試しに足に力を入れてみると、もうすっかり治ってた。


「おいしょ。おいしょ」

 剣山の隙間を這って狼の下から出て、三mの壁をひょいっと登って脱出する。


「うお〜…」

 上から見ると壮観だ。俺より遥かにでかい狼が串刺しにされて横たわってる。


 幸い動物は寄ってこなかったか。


(バシャンっ!バシャンっ!)

 川の水で体に付いた狼の血を洗い流す。




 というわけで狼を捌いてみる。

 詳しいやり方なんて知らないからテキトーに分割してく。




 頭、足、胴に分けてもまだでかい。



「なにこれ」

 お腹の中からなんか玉が出てきた。

 全体的に紫で艶っとしててビー玉みたい。


(コンッ、コンッ)

「うん、硬いな。匂いはそうでも無い」


 ポイッと口の中に入れて舐めてみる。

「うぉん、うごご」


 目を閉じてテイスティングしてみても特に味は無い。

(ぺっ)


 手に吐き出してじっくりと見てみる。

「最近口の中が寂しかったんだよな」

(はむっ)


 口の中で玉を転がす。


「うん。いいじゃん」


 舐めながら解体を再開する。飴を舐めてるみたいで満足感がある。


(んー。焼けば食べれんのかな?)

 腹の肉をブロックにして切り分ける。


「骨の急造ナイフじゃ、やっぱり切れないな。

 潰しながら切るって感じか。

 それでも刺す分には問題無し」

 切り分けた肉を片付ける。



 


 昨日追いかけられてる途中にふと思ってやりたくなった事がある。


 そこら中にある枝から垂れ下がった蔦。

 昨日逃げる時すげぇ、邪魔だった。


 それで思った。

「よっと…」


 まずは蔦に飛びついて体を前後に激しく揺らす。

 段々と振り幅が大きくなってきたら前の蔦に飛び移る。


 そう、ターザンだ。

 蔦を掴んで振られて掴んでを繰り返す。

(ブフォン!ブフォン!)

「ほいっ!」


 木にぶつからないように注意して次から次へと前に進んでく。


「ひやっほーーーい!」

 どんどん速度が上がる。

(ブフォン!ブフォン!ブフォン!)


「どおわっ!」


 勢い余って思わず川に身を投げ出す。

 ブランコからジャンプして降りる時みたいな臓器が浮き上がる浮遊感に襲われる。

(ふふぉー!)



 咄嗟に空中で掴んだ俺よりも大きい葉っぱをちぎって川への着地前、川の流れに逆らわずにそっと置いて上に乗り込む。

(パッシャーン!!)

 大きな水しぶきが立ち上がる。



 勢いよく落ちたが、何とか葉っぱが持ちこたえてくれて俺は今、葉っぱに乗って川を下ってる。

 もう一度言うが俺は今、葉っぱに乗って川を下ってる。

「気持ちいい」



 後ろにある葉っぱの付け根を握って上手くバランスを取る。

「波に乗るぜ!」



 パシャパシャと水しぶきが体を濡らすのが気持ちいい。

 激しい水流にもこの葉っぱは耐える。

 さすが俺が認めたパンツの素材なだけはある。



 一か八かだったけど功を奏した。あのまま生身で落ちてたら激流に飲み込まれてたぜ。



(ザッパーン!!)

 が、正面から巨大な魚が飛び出してきた。人一人飲み込める大きな口を開けて俺を丸呑みにしようとしてる。


 葉っぱを蹴って陸に飛び移る。

「トイヤッ!」

(ズザザッ)


 なんとか陸に届いた。

 振り返ると魚は葉っぱを飲み込んでた。

(ザップーン!)



 おでこよりも顎が前に出てたな。サケとかか?

 めちゃくちゃでかい個体だ。可食部が普通のに比べたら何十倍もありそう。

 魚の寝袋とかできるかも。


 釣りとかやるのありか。



 あのまま川を下りたかったんだけどな。

 それにしても大迫力の魚だな。自然が豊かだからあんなに大きくなってんのか?猪も狼も大きかったしそういう森なのか。

 この世界ではこれが普通なのか。


 ならもっと色んな動物に会ってみたいな。でもそうなると植物も大きくなるかも?

 って、今までの葉っぱがそうじゃん。


 人が乗って激流の川下りができる葉っぱなんて聞いたことないし。


 この森面白いな。もっと見てみたい。


 川に沿って下ってく。ほんの数分で拠点に着いた。




 川で水浴びをして玉も口から出してしっかり洗う。

(味は無いけどなんか満足感はある)


 それから枯れ木を使って火を起こす。


(ブリュン…ブリュン)


 火種が出来たら木くずで包んで空気を送る。

「ふぅー。ふぅー」

(ボワっ)


 しっかり火がついたら枯れ木に落とす。

(パチ……パチパチ……)


「あったかいな」

 燃え上がる炎に手を翳して温まる。

「そうだ。肉を焼いてみよう」

 切り分けた狼の肉を取ろうと立ち上がった。


「動かないでください!」

 そこには杖を構えた女性が立っていた。



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 茶髪でビタっと七三分けで水色のヘアピン。下の方で二つ結びをしてる。眼鏡。


 少しフリフリが付いた白シャツをズボンに入れてサスペンダーを付けてる。

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