第9話:ジャーナリストの武器1

 お堂を出た真理は薄暗闇の兵頭邸の隅々にまで目を凝らすが、巨大なムカデの姿は見えない。だが、着衣のまま水に入ったような、体に纏わりつく不快感が、道造が近くにいることを悟らせる。

 正面の背の高い草が揺れる。ここではない。風に吹かれただけだ。


「どこだ? どこにいる? 確実に近くにいるはずなのに何で視界に入らないの? 視界……まさか、う……え?」


 ドサッ!


 一拍子遅かった。高い木の上から老人の顔を付けた巨大なムカデが真理の上に落ちてくる。そして、衝撃で倒れた彼女に、長い体を絡みつかせる。


「何だ新しいお柱様は男の方だったっぺかぁ。わしは若いおなごが好きなんじゃぁ。このすべすべの肌がなぁ」

「うわぁぁ」


 道造は絡ませた体で真理を締め上げ、無数の足で彼女の体を撫で回す。

 ここで捕まるわけにはいかない。真理は体をよじらせて必死に抵抗する。その懸命な思いはポケットの中の希望に届いた。


「これを拾っておいてよかった」


 ポケットからオイルライターを取り出して、片手で蓋を開ける。そしてホイールを回し着火させると巨大ムカデの体を炙った。地下の祠を出る前にもう一度お柱様となった省吾の方を見た。その時に床に転がった彼のオイルライターを発見し、お守りとしてポケットに忍ばせておいたのだ。


「ぬおおおぉぉぉぉ!」


 巨大なムカデは火が苦手らしい。体の締付けが緩んだ隙に、真理は絡みつく足をすり抜け、どうにか脱出に成功する。そして道造にライターを投げつけ、彼を怯ませると力の限りに走り出す。


「はあはあ……。どうする? どこに逃げる? 考えがまとまらない。まずは道造を巻いて冷静になれる場所を確保しなくちゃ」


 柵を飛び越え、草地に分け入り身を隠す。呼吸を整える間もなく、不快な気配、耳障りな雑音が近づいてくる。真理は目立たないように腹ばいで前進する。だが、薄暗闇の中で探った手元には地面がなかった。

「うああ……」


 藪の先は急斜面の坂になっていた。

 体制を崩した真理の体は転がるように地面を滑り落ちる。転がった先の家の壁にぶつかり停止するが、その衝撃で、か弱い女の体ではすぐに立ち上がることができない。


(呼吸を……呼吸を整えないと……)


 体内を酸素が巡ると活力が戻る。重い体にムチを打ち、這いつくばるようにしながら空き家の中に身を隠す。


「ひひひひひ。どこにも逃げ場なんてないっぺ。素直にこの村の糧になれ」


 遠くで道造の声が聞こえる。真理が坂を転げ落ちたために見失ったのか、周囲を探索しているようだ。


「このまま追いかけっこをしていても埒が明かないよね。私にとっての……ジャーナリストにとっての武器は情報だけ」


 だとすれば情報を精査し、解決策を導き出すしかないと真理は考える。まずは達成すべき課題だ。それに向かって行動しなくてはならない。


「目的は省吾と揃ってこの異界から脱出すること。そのためにはお柱様のルールを正確に把握しなくちゃね」


 真理は考える。

 怪異となった道造は儀式的なもので柱に埋め込むことができるのだろう。そのために人を誘い込む。それはこの空間を安定させるためでもあり、自分自身も矛盾世界の輪廻に囚われた歯車なのだろう。

 『お柱様の顔を見たものは人柱にされる』 これは実際とは微妙に異なる。

 なぜなら、最初に珠里を見つけた時にも、省吾の帰還を真理が認識した時にも、入れ替えは行われていない。


「正確には触れている時か? お柱様に触れてお互いに認識した時に入れ替えが起こった。そして、入れ替わった人間が完全に供物にされるには少しの時間が必要なのかも? そうでなくては入れ代わり続けることになるし、私が人柱になった時にも血液が全身を巡るように、体内が少しづつ変化していった感覚があった」


 頭に手を当て、この入れ替えを行わずに省吾を助け出す方法はないだろうかと思考を巡らせる。


「道造を倒すか?」


 真理は室内に落ちていた小型のナタに手をかけるが、即座に大きなムカデの化け物を思い浮かべて首を振る。


「無理だ! 私は平均的な女性の腕力しかないし、特殊な神通力などもない。こんな慣れもしないものを振り回したってかえって隙を作るだけだ」


 パキパキパキ キュクルルロロ


 遠くからまた、不快なノイズが近づいてくる。逃げる姿は見られなかったはずだし、今は音も立てずに物陰でじっとしている。なのにどうしてトレースするように追ってこれるのだろうか? 真理には思い当たる節があった。


「匂いか? 緊張して、さらに走り回ってだいぶ汗をかいたもんね。女の匂いを追ってつけまわすなんて変態もいいところだよ。それにあいつはムカデのようにほとんど目が見えず、発達した触覚でのみ探知しているのは間違いない」


 真理は省吾と二人で初めて道造に遭遇した場面を思い出す。離れた場所からとはいえども、こちらに目を向けたはずなのに気づく様子もなく通り過ぎたのだ。あれは二人の方を見たのではなく、小屋にいる集落の手下、つまりムカデの群れに命令を出しただけなのであろう。


 突然、真理が身を寄せている簡素な家の薄い板壁がバリバリと音を立てて破壊されていく。そして、ポッカリと空いた壁穴から、大きな触覚を生やしたニヤケ面が覗き込む。


「み~つけた~ぁ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る