束の間の休息、そして……

 サスキアから渡された手紙。そこにはナルフェック王国の女王がヴィルヘルミナに協力する旨が書かれていた。ヴィルヘルミナはまだ少し疑う気持ちもあるが、現在世界の覇権を握っているナルフェック王国からの協力は非常に心強いものであった。

 サスキアを通してナルフェック王国の女王−−ルナ・マリレーヌ・ルイーズ・カトリーヌ・ド・ロベールに会う日程を調整してもらう。すると、年が明けてすぐナルフェック王国のソンブレイユ侯爵領で会うことが決まった。ソンブレイユ侯爵領はドレンダレン王国と隣接する区域である。


 ここで問題になってくるのが、ヴィルヘルミナがどうやって極秘でナルフェック王国へ渡るかである。ヴィルヘルミナは王太子妃なので長期で王宮を離れることが出来ないのだ。そこで、ヴィルヘルミナの食事に死には至らない程度の弱い毒を盛ることになった。この毒は感染症に似た症状を引き起こしてくれる。もちろん、後でサスキアが解毒剤を持って来てくれるので問題はない。

 その後、宮廷医から感染症と診断されたヴィルヘルミナ。彼女は国王アーレントから完治するまで王宮内隔離ではなく、予想通りエフモント公爵領へ戻ることを命じられた。感染症患者が王宮内にいることが余程嫌みたいだ。


 こうして、堂々と王宮を離れることが出来たヴィルヘルミナ。彼女はマレインと共にまず一旦エフモント公爵城へ挨拶に向かった。

「ヴィルヘルミナ、久し振りだな。いや、王太子妃殿下とお呼びした方が良いのかな?」

「ヴィルヘルミナ、会いたかったわ」

 ヴィルヘルミナは義父ちちテイメンと義母ははペトロネラから熱い抱擁を受ける。

「お久し振りですわ、お義父とう様、お義母かあ様。お元気そうです何よりです」

 ヴィルヘルミナは懐かしさで胸が込み上げるものがあった。

 ナッサウ王家の血を引くヴィルヘルミナ。エフモント公爵家の血が流れていなくても、二人の子供として愛情をたっぷり受けて育っているのである。

「マレイン、ミーナの護衛、ありがとな。エフモント領ここはひとまず安全だから、お前もゆっくり休め」

 ラルスはマレインの肩をポンと叩く。

「ありがとうございます、兄上。ですがそれは王太子妃殿下……ミーナにも言ってあげたらどうです?」

 マレインは優しげにクリソベリルの目を細める。

「いや、それはお前から言ってやれ」

 ラルスはフッと笑った。

 ヴィルヘルミナがナルフェック王国へ極秘で訪問することはエフモント公爵家の家族達は全員知っている。

 後で休暇を取ったサスキアと合流するまでヴィルヘルミナとマレインはゆっくり羽を伸ばすことにしたのである。






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 エフモント公爵城の庭園は色とりどりのビオラ、シクラメン、サイネリアなど、冬の花が寒さに負けることなく咲き誇っている。

 ヴィルヘルミナとマレインは、ゆっくりと庭園を歩いていた。

「こんな風に過ごせるのは本当に久々ですわね、マレインお義兄にい様」

 ヴィルヘルミナはふふっと微笑む。肩の力が抜けたような笑みである。

「確かに、ミーナは王太子妃としてずっと王宮あんな場所で気を張っていたからね。本当に、よく頑張ったよ、ミーナは」

 マレインは真っ直ぐ、愛おしげにヴィルヘルミナを見つめる。そんなマレインの表情に、ヴィルヘルミナの心臓はトクリと跳ねる。ヴィルヘルミナは嬉しそうにタンザナイトの目を細めた。胸のときめきと安心感。ヴィルヘルミナにとって、マレインは心の拠り所であるのだ。

 今は王太子妃と護衛騎士ではなく、以前のように『ミーナ』、『マレインお義兄様』と呼び合っていた。

「あ、ここ……。懐かしいですわ」

 ヴィルヘルミナは庭園の隅の大きな木を見て立ち止まる。

「そうだね。ミーナは何かあったら必ずこの場所に隠れていたよね」

 マレインは懐かしげにクリソベリルの目を細めて微笑んだ。

 ヴィルヘルミナの出自が判明した時も、自分のせいで家族が殺されてしまうかもしれない恐怖により、庭園の隅の大きな木の下ででうずくまっていたのである。

 その時、冷たい風が吹き、ヴィルヘルミナはぶるりと体を震わせた。

「やっぱり冬だから寒いね。ミーナ、これを着て」

 マレインは自身が着ていたコートをヴィルヘルミナに掛けた。

「ありがとうございます、マレインお義兄様。だけど、マレインお義兄様も寒いでしょう」

「ミーナが風邪を引いてしまう方が僕は嫌だよ」

 マレインはヴィルヘルミナに優しく微笑んだ。ヴィルヘルミナの頬はほんのり赤く染まり、体温が上昇するのが分かった。

わたくしも、マレインお義兄様が風邪を引いてしまうのは嫌ですわ。だから、そろそろエフモント城の中に戻りましょうか」

「ありがとう、ミーナ。じゃあ戻ろうか」

 マレインは優しく頷いた。そしてゆっくりとヴィルヘルミナの歩幅に合わせて歩き始めた。

「きゃっ」

 その時、ヴィルヘルミナが石につまずいてバランスを崩す。マレインはそんなヴィルヘルミナをしっかりと抱き止めた。

「ミーナ、大丈夫? 怪我はない?」

「ええ、ありがとうございます、マレインお義兄様」

 ヴィルヘルミナはマレインの胸に軽く顔をうずめる。

「……ミーナ?」

 マレインの頬がほんのり赤く染まる。

「……もう少し……このままで……」

 ヴィルヘルミナはか細い声でマレインにそう頼んだ。

「……分かった」

 マレインはヴィルヘルミナを抱きしめる力を少しだけ強めた。

(わたくしは……マレインお義兄様が好きだわ。……一人の男性として。だけど、まだこの気持ちは伝えられない。……革命を起こして、ベンティンク家やその派閥を一掃してからじゃないと……。だけど……今だけは……)

 ヴィルヘルミナはそっと目を閉じた。

(僕は……ミーナを一人の女性として愛している。だけど、多分今それを伝えたらミーナに迷惑がかかる。だから、悪徳王家や彼らに迎合する奴らの始末が終わるまでは伝えないでおこう。でも、せめて今だけは……)

 マレインは愛おしげにヴィルヘルミナを見つめていた。

 その時間は、凍てつく冬に降り注ぐ柔らかな陽光のようであった。






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 数日後、休暇が取れたサスキアとエフモント公爵領で合流した。そしてそのまま馬車でナルフェック王国へ向かう。

 エフモント公爵領から国境を超えてナルフェック王国のソンブレイユ侯爵領へ向かうには最低でも途中で一泊する必要がある。そこで、サスキアの仲間(ナルフェック王国の諜報員)がいる別の拠点の屋敷に泊まることになった。

 そして翌日、馬車でナルフェック王国の国境を超えてソンブレイユ侯爵領に入ったヴィルヘルミナとマレイン。極秘の訪問なので、ソンブレイユ侯爵城ではなくソンブレイユ侯爵家の別邸へ向かう。

 そして別邸到着後、サスキアにある一室に連れられる。

 部屋に入った瞬間、ヴィルヘルミナは思わず息を飲んだ。


 そこにいたのはナルフェック王国の女王。ルナ・マリレーヌ・ルイーズ・カトリーヌ・ド・ロベールである。月の光に染まったようなプラチナブロンドのサラサラとした長い髪、アメジストのような紫の目。彫刻のような美貌の持ち主で、神々しくミステリアスな雰囲気の女性だった。年齢は恐らくヴィルヘルミナの義両親、テイメンやペトロネラと同世代だと思われる。そして驚くことに、かなりの長身である。ヴィルヘルミナも女性としては長身の部類だが、ルナはそれ以上である。何と男性であるマレインよりも背が高い。

 ヴィルヘルミナもマレインも、ルナの雰囲気に圧倒されていた。


 ルナは上品でミステリアスな笑みを浮かべている。

「ようこそお越しくださいました。ドレンダレン王国王太子妃ヴィルヘルミナ・ノーラ・ファン・ベンティンク様」

 華やかで澄んでいて、かつ厳かな声である。

「いえ、こうお呼びした方が良いかもしれませんわね。ヴィルヘルミナ・ノーラ・ファン・……ナッサウ様」

 ルナの言葉に、ヴィルヘルミナはタンザナイトの目を大きく見開いた。隣でマレインも驚愕している。

(どうして……わたくしがナッサウ家の人間だと知っていらっしゃるの……!?)

 ヴィルヘルミナは目の前にいる、世界の覇権を握る女王に対して恐れをなしていた。

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