005 不純物

 二時間前、神社は避難命令を発動させた。

 対象は電波塔から五キロメートル圏内に居る者全て。対象者は最寄りの避難所に身を移さなければならない。これは警報ではなく命令であるので、法的拘束力があり、背けば刑罰の対象になる。にも関わらず、それを無視する者が多く居た。

 アシもその一人であった。アシは電波塔から三キロメートルの距離にあるスナック『愛姫』のカウンターでグラスを磨いていた。

 そんな愛姫のドアが開いた。それもかなり乱暴に。

 アシはいつものように「いらっしゃい」と迎えたが――迎えられたナルは、いつものように「やってるかい?」と言える余裕を持ち合わせていなかった。


「何やってのよ、アシ姐さん⁉」

「何って、仕事よ。今日は営業日だからね」

「営業もクソもないわよ! 避難命令出てるのよ⁉ すぐそこでドンパチやってるの⁉」

「大丈夫、大丈夫。姫様の結界は強力よ。よっぽどの事が無い限り壊されないわ」

「よっぽどの事があったらどうするのよ⁉」

「その時はどこに逃げてもお終いよ」

「いや、そうだけどさぁ! それでも逃げないと!」

「貴女、意外に小心者なのね……」


 普段警察の取り締まりに抵抗しまくっているので国家権力の言うことを聞くのが大嫌いなのだと思い込んでいたアシは、ナルの思わぬ側面を見たような気がした。

 私達の事は放っておいて、貴女だけ避難しなさい――そう言おうとしたが、カウンターに座っていた酔っ払いに先を越されてしまった。


「お堅いこと言ってないで、ナルさんも吞みましょうよ」

「あん?」


 聞き馴染んだ声にナルは、眉間に皺を寄せて店の奥を見てみると――奥のカウンターで魅流が顔を赤くしていた。手にはワイングラスもある。


「魅流! 氷太朗の魄に土手っ腹刺されてくたばったんじゃないの⁉」

「勝手に殺さないでくださいよぉ。私はこの通り生きてますよ。傷も、小輪様に治してもらったので完璧に消えました。おまけに便秘も解消されて、私、最高にハッピーです」

「アンタは呑気で良いわね。……って、小輪様って誰よ」

「この方です」


 ナルが首を傾げると、魅流は身体を反らせて奥に座っている人物の顔が見えるようにした。

 魅流の隣に座っていたのは、とても美しい女性だ。年齢は二〇代後半くらいで、和装と長い髪が本当によく似合う。町ですれ違えば百人が百人、振り返るだろう。

 ナルはその横顔に、見覚えがあった。


「氷太朗……?」


 そう、坂之上氷太朗にそっくりなのだ。


「いえ、坂之上氷太朗にそっくりなのではありません。坂之上氷太朗が私にそっくりなのです」


 言って、女性はナルを見た。


「初めまして、天戸ナルさん。坂之上小輪と申します」

「坂之上……あ! もしかして、アンタ――」

「そうです。私が鈴鹿御前と坂之上田村麻呂の第一子にして、坂之上氷太朗の先祖にして、顕明連ケンミョウレンの持ち主であるあの小輪です。以後、お見知りおきを。……驚きました?」

「え、ええ。驚いたわ。どうして――」

「どうして氷太朗の御先祖様がここにいるのか、ですか? 魅流様に降霊術で呼び出されたんですよ。顕明連ケンミョウレンの使い方を訊きたいと言って。迷惑な話ですよね。常世でのんびり暮らしていたと言うのに。……あ、今言った『常世』は『あの世』の事です。ややこしいですよね、申し訳ございません。そんなこんなで千年振りに現世に来た私は、そのままあの世に帰るのもアレなので、アシ様の所に挨拶に来た次第です」

「アシ姐さんと――」

「そうなんですよ。知り合いなのですよ。アシ様と出会ったのは一三〇〇年前の話です。何を隠そう、私とアシ様はこの『常夜』の立ち上げメンバーなのです。いやぁ、あの頃は『常夜』を開発するために連日屋敷に籠ったものです。懐かしいですね」

「開発するためって――」

「そうですよ。私もアシ様も常世を創った四人の賢者の一人です。ご存知でしたか?」

「いや――」

「ご存知ないですか……。それは残念ですね」

「さっきから最後まで答える前に話を進めるんだけど! 何、この人!」


 ナルは漸く不満を爆発させると、小輪は舌を出して「すみません」と謝罪した。「私、他心通タシンツウにより、他人の心が読めてしまうので、ついつい先回りしてしまうのです」


他心通タシンツウって、六神通の一つだっけ? 面倒な能力ね」

「ええ。忌々しい能力です」

「それって坂之上家なら全員が使えるの?」

「いいえ。他心通タシンツウ宿命通ショクミョウツウ漏尽通ロジンツウは坂之上家でも才ある一部の者しか使えません。確か氷太朗は使えなかったはずです」

「坂之上氷華は?」

「彼女は才ある者ですから――使えますよ。もっとも、他心通タシンツウはとっくの昔に封印してしまったようですが」

「じゃあ、氷太朗はかなり分の悪い戦いになるんじゃないの?」

「なるでしょうね。六神通に限らず、氷華と氷太朗とでは能力に差があります。よほどの奇策が無い限り、氷太朗は氷華に勝つ見込みはないでしょう」

「わかってるなら、どうして助けてあげないのよ。それでもご先祖様?」

「若い人の争いに年寄りが割って入るのは野暮ってモノです。いつだって時代は若人が切り拓くものですから――それよりも、私と一緒にグラスを傾けませんか? 奢りますよ。魅流様が」

「いいですよ! 今日だけですからね! ほら、こっちおいで!」

「おいで、おいで」


 ゆらゆらと手招きをする魅流と小輪。

 少し考えてから観念したナルは後ろ手にドアを閉めてから、魅流の隣の席に掛けた。アシはすかさず熱々のおしぼりとコースターを彼女の前に置く。


「ご注文は?」

「ビール。キンキンに冷えたヤツ」

「そうこなくっちゃね」


 そう言ってアシは冷蔵庫から小瓶を取り出し、ナルの前に置いた。

 ナルはその小瓶をカウンターの角に叩きつけて見事に蓋を飛ばすと、間髪入れずに喇叭らっぱ飲みした。

 爽快感が一気に喉を駆け抜ける。


「うふふ。あれだけ怒っていたのに、今はビールで頭が一杯になっている。鬼というのは本当に可愛い種族ですね」

「うっぷ……。そりゃどうも」

「おっと。一瞬で頭の中が沢山の疑問符で埋め尽くされましたね。さて、どれからお答えしましょうか?」


 ニコニコと美しい笑みを向ける小輪。

 見透かされているナルは面白くない。面白くないが――ここで意地を張っても、何も得られないのは火を見るよりも明らかなので、素直に問うた。


顕明連ケンミョウレンって何なの?」

「随分と抽象的な質問ですね。此方も抽象的に答えるならば――あれは六神通が一つ『天眼通テンゲンツウ』を鍛えるための修行の道具です。実は、顕明連ケンミョウレンには他にも五振りの兄弟剣があるんですよ」


 名をそれぞれ大通連ダイトウレン小通連ショウトオレン通響連ツウキョウレン澄明連チョウメイレン韋速連イソクレンと言う。

これら五振りも、顕明連ケンミョウレンと同じく六神通を鍛える機能が備わっている――大通連は宿命通ショクミョウツウを、小通連は漏尽通ロジンツウを、通響連は天眼通テンゲンツウを、澄明連は他心通タシンツウを、韋速連は神足通を鍛える機能を有している。


顕明連ケンミョウレン、大通連、小通連、通響連、澄明連、韋速連を総称して『三明三通の剣』と言います」

「他の五振りはどこにあるの?」

「通響連、澄明連、韋速連は私の母である鈴鹿御前が乱暴に扱って壊れてしまいました。大通連、小通連は父・坂之上田村麻呂が知人に譲ってしまい、行方知れずになっています」

「なんじゃそりゃ。残った顕明連ケンミョウレンも常夜に渡しちゃうし――アンタ達、宝刀を雑に扱いすぎてるんじゃないの?」

「先も言いましたように、三明三通の剣は六神通を鍛えるための修行道具です。ダンベルや腹筋ローラーと大差ありません。……少なくとも、私達にとってはそのような認識でした」


 しかし、周囲の人々は違った。

 三明三通の剣を価値ある宝剣として捉え、あろうことか奪い合った。


「金銀財宝のために争いが起こるのは百歩譲って理解できますが……三明三通の剣のために血を流すのは、腹筋ローラーを巡って傷害事件を起こすようなモノです。理解出来ません。そんな阿呆なことが起こって良いわけがありません」

「だから、常夜に隠したの?」

「はい」

「子孫が返して欲しいと言ってきたら返して欲しいって言い残して?」

「よくご存知で。……ああ、氷太朗から全部聞いたんですか。でしたら隠し立てする必要もありませんね――預けた時、自身の六神通を鍛えるために顕明連ケンミョウレンを使いたいと願う殊勝な子孫が現れると踏んでいましたのでああ言ったのです。それがまさか一四〇〇年後も腹筋ローラー巡って流血沙汰が起こるとは……。呆れて物も言えません」

「あー……」


 何とも言えない気分になったナルは、返す言葉も見当たらなかったので、逃げるようにビールを飲んだ。

 スナック『愛姫』に微妙な空気が流れる。

 それを打破したのは、空気を読む能力を母の腹の中に置いてきた魅流であった。


「腹筋ローラー欲しさに町一つブッ壊そうとする女の顔を拝もうとは思わないですんか?」

「実は一回、会ってるんですよね」

「え、マジですか? どうして?」

「貴女と同じ降霊術で、ですよ――二年ぐらい前ですかね。あの世でノンビリしていたら氷華に降霊術で呼び出されました。用件は、顕明連ケンミョウレンの在り処を知りたいとかなんとか」

「教えたんですか?」

「教えるワケないじゃないですか。大祓いで降霊術を無効化してすぐ逃げました」

「小輪さん、霊のくせに妖術使えるから強いですよね」


 通常、降霊術や口寄せ術により呼び出された霊は術者により行動制限が掛けられているので、自由に動けない。妖術を使うなぞ、以ての外だ。しかし、小輪はその強すぎる霊力により、降霊術で召喚された身に関わらず自由に動き回ることが出来るし、妖術を使う事も出来る。今スナックで酒を飲んでいるのが何よりの証拠である。


「ずっと気になってたんだけど――坂之上氷華ってどういう人間なの?」


 アシは尋ねると、小輪は「とても純粋な女の子ですよ」と短く答えた。


「人一倍才能があって、人一倍責任感の強い……人一倍純粋な女の子です」

「そのようね……」


 ナルは静かに肯定した。

 ナルは坂之上氷華という人物と会った事はない。情報も、氷太朗の話と町を滅茶苦茶にした事以上の物は持っていない。他に何も知らない。だから否定も肯定も出来ないはずなのに――小輪の発言は的を射ていると思った。

 人一倍才能があったから、一六歳で両親の稼業を継げたのだろう。

 人一倍責任感が強かったから、全てを捨てて、只管氷太朗の幸福の願ったのだろう。

 人一倍純粋だったから、歪んでしまったのだろう。


「誰か一人、彼女に手を差し伸べてやれる人が居れば――全ては変わっていたでしょう」


 可哀想に、と小輪は呟いた。

 それを聞いたナルは弾かれたように立ち上がった。


「氷太朗が居るわ」


 と言って。


「今、氷太朗が必死に手を差し伸べてる」

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