007 望まぬ再会

 気付くと氷太朗は砂の上で寝転がっていた。

 つい一瞬前までナルと公民館に居たのに――一体何が起こったというのか。

 確か、突然現れた魅流に頭を掴まれ……。


「掴まれて……どうなったんだ?」


 目の前が真っ暗になった後の記憶が無い。


「ここ二日、こんな事ばかりだな」


 記憶が途切れ、気付いたら見知らぬ土地で寝ているという展開にすっかり慣れてしまった氷太朗は、特に慌てる様子もなく立ち上がった。

 足元に砂が敷かれているので、最初、屋外に居るのだと思った。だが、眼を凝らすと、四方と頭上に壁のような物が見える。ということは、ここは室内なのだろう。そう言えば、随分とカビ臭い。


「どこかに閉じ込められたのか?」


 そう呟いた時、足元に置かれた『物』が目に入った。

 神社の本殿をそのまま縮尺したような、木造の置物だ。

 これは――神棚だ。


「まさか……ッ⁉」


 氷太朗はすぐに察した。

 世界広しと言えど、地面に神棚が置かれるている場所は一つしかないからだ。

 間違いない――ここは酒月家の蔵の中だ。


「ということは……僕は現世に戻って来たのか……?」


 咄嗟に氷太朗は自分の恰好を確認する。服装はナルから借りた着物のままだ。という事は、肉体に戻ったというわけではないのだろう――霊のままだ。


「一体どういう事なんだ?」


 何故魅流は氷太朗の頭を掴んだのか。何故記憶が途切れているのか。何故酒月邸の蔵で寝ていたのか。何故現世に戻ってこれたのか。何故霊のままなのか。

 わからない事があまりにも多すぎる。


「あ、そうか。酒月さんに訊けばいいのか」


 ここが酒月邸の蔵ならば、すぐ近くに美夜がいるはずだ。常夜の事情と氷太朗の肉体探しの全容を把握している美夜が。

 氷太朗はゆっくりと蔵の扉に歩み寄り、手に力を入れると――目の前が真っ白になった。原因は明白である。強すぎる夕日で、ずっと暗闇に居たせいで開ききった瞳孔が眩んだのだ。

 咄嗟にギュッと目を瞑った氷太朗は、手をかざして陰を作りながら、目を開けていく。ゆっくりと。慎重に。

 だが、半分くらい開けたところで――一転し、大きく見開いた。

 目を疑うような光景が広がっていたからだ。


「な……ッ⁉」


 薙ぎ倒された門。

 粉々にされた石畳。

 焼け落ちた松の木。

 瓦礫と化した離れ屋敷。

 割れた瓦の上に血を流して伏す酒月美夜。

 そんな彼女の傍に経ち、見下す坂之上氷華。

 どれも――理解の範疇を超えたモノばかりだ。


「なにをしてるんだよ……姉ちゃん……!」


 殆ど無意識に、氷太朗は言った。ハエの羽音のように小さく弱々しい声だったが、十メートル程度離れた位置に立っていた氷華は聞こえていたようで、弾かれたように此方を振り返り、そして血相を変えた。


「ど、どうして……どうして氷太朗がここに……ッ⁉ 貴方、ここで何をしてるの……⁉」

「それは僕の台詞だよ、姉ちゃん!」


 漸く本来の声量に戻った氷太朗は、一歩前に出た。


「これはどういう事……⁉ 姉ちゃんがやったの……⁉」

「ち、違う……! 違うわッ!」


 氷太朗は、自身の質問に対しての否定だと思った。そう思って、安堵しかけた。

 けれども、違った。


「貴方は氷太朗じゃないわ……! 違うわ……! だって氷太朗がこんな所に居るわけないもの……!」


 氷華は絆創膏まみれの右手で自分の頭を鷲掴みにしたかと思うと、ガリガリと爪を立てて掻き始めた。


「わからない――わからない‼ 貴方は誰ッ⁉ 誰なのッ⁉」

「僕だよ! 氷太朗だよ! 姉ちゃん、僕がわからないの⁉」

「あの子は今、常夜に居るはずよ! ここに居る筈がない‼」

「どうしてそれを――ッ⁉」


 氷太朗の脳裏に良からぬ憶測が過る。

 下らない憶測だ。

 きっと、違うに決まっている。


「ね、姉ちゃん! 一体何が起こっているというの⁉」


 取り敢えず状況を把握することが先決だと思った氷太朗は問うが、氷華は「五月蠅い五月蠅い五月蠅い!」と喚くばかりだった。それどころか、氷太朗を睨みつけたかと思うと――眼にも留まらぬ速さで間合いを詰め、胸倉を掴んできた。


「この妖怪め! 氷太朗の顔で、氷太朗の口調で、私を化かそうとするな! 消し飛ばすわよ!」

「姉ちゃん……本当に僕が分からないのか⁉」


 氷太朗は臆することなく訴えた。


「僕だよ! 氷太朗だよ! 坂之上氷太朗だよ!」

「五月蠅い! 五月蠅い五月蠅い‼ 黙れッ‼」


 激昂した氷華は右腕を振りかぶり、手刀を構える。

 彼女が手を上げるのは、これが初めてというわけではない。何度も何度も殴られてきた。蹴られてきた。だが、此の度のように殺意を込められられるのは初めてである――錯乱している何よりもの証拠だ。

 氷太朗は避けようと思った。だが、胸倉を掴む氷華の腕が思った以上に力強く、身動きが取れない。

 避けることは叶わないと悟った氷太朗は、ギュッと目を瞑り、歯を食いしばった――しかし、待てど暮らせど、痛みはやってこなかった。

 ゆっくり目を開けると、氷華が苦しそうに顔を顰めているではないか。


「ぐぅ……うううぅぅ……ッ!」

「どうしたの⁉ 姉ちゃん⁉」

「それ……やめてよ……!」


 そう呟いたかと思うと、氷華はその場に蹲った。

 氷太朗は咄嗟に膝をつき、「大丈夫⁉」と彼女の顔を覗き込む――その直後、氷華の姿が消えた。吹き消された蝋燭のように。

 一瞬の出来事である。あまりにも突然消えたものだから、氷太朗は体勢を崩し、その場に転んでしまった。

 頬に痛みが走る。勢いよく倒れたせいで頬を擦りむいてしまったのだろう。だが、そんなものに構っている暇はない。すぐに立ち上がり、少し離れた所で倒れている美夜に所に行く。


「酒月さん、大丈夫⁉」


 美夜を抱き起すが、反応は無い。揺すってみても、同様だ。ただ、脈もあるし、呼吸もしているので、死んでいるわけではないのだろう。

 外傷は――腕や額に小さな火傷がある。庭の松も燃えているので、熱や炎による攻撃を受けたと考えて間違いない。


「一体ここで何があったんだ……?」


 そう呟いた時である。視界の端に人陰が見えた。

 咄嗟に、右手で美夜を抱えながら、左手で腰に差していた脇差を抜いた。だが、近付いてきていたのは――美夜によく似た少女だった。

 氷太朗は彼女を知っていた。


「えーっと……酒月さんの妹さんだっけ?」

「は、はい。酒月美夕です。貴方は坂之上氷太朗さんですよね?」

「うん、そうだよ。久しぶり……だよね?」

「そうですね。七年振りくらいですかね――ここで、何があったんですか?」

「さ、さぁ……」


 そう答えるのが精々だった。

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