第18話 武士道シックスティーン
奥宮真希と、鈴木、叶愛、源太郎、環、鵜澤の六人は座敷わらし退治に対する作戦会議を、源太郎の自宅で相談していた。源太郎は逃げるジムニーに投げつけられた木刀の一部を穴が開くほど眺めていた。奥宮の両親から真希が居ないと連絡を受けた叶愛と鈴木が愛車であるジムニーで武家屋敷通りを探索していたところに、彼女と対峙していた座敷わらしを発見し、慌てて引き戻し、窮地を救ったのだった。
『こりゃ手刀か何かで斬ったもんばい』木刀を目に近づけ、源太郎は呟くように言った。『マジですか?こんなの手刀で斬れます?』鵜澤が驚きを隠せないように声を張りながら尋ねた。『こりゃ武道ば極めとる者にしか出来ん芸当ばい』源太郎は再度、折れた木刀の切れ跡を確かめるように答えた。奥宮の前に挑んだラガーマンは全く加減せずにアスファルトに叩きつけられた為に背中の骨を折る重症だと聞いた。『その座敷わらしとやらは、武家屋敷通り旧田村邸の方から出てきたらしいの』源太郎はあごひげを撫でながら奥宮に尋ねた。『そうですけど…何か心当たりでも?』束の間、源太郎は考え込むように黙り込み、部屋からは張り詰めた緊張感で皆がピリピリしていた。『叔父さん、何か知ってるんなら教えてよ』居ても立っても居られないと環が噛みつくように源太郎に、問いかけた。『もしも儂の予想が当たりなら、こりゃあ手に負えない案件ばい』源太郎ほどの格闘家が弱音を吐くほどの猛者に一同は絶句した。館を包み込みような雨音が虚しく響き渡る。『田村治五郎…』源太郎は呟くように名前だけ言った。『合気道の神様と言われた男で、少なくとも、合気道以前に講道館柔道で段位を取得した猛者であり、 オリンピック金メダルの柔道家に「あんなにポンポン投げられるか、やらせだ、ウソッパチだ」 と立ち会いを挑んで、投げではなくいきなり前蹴りを食らわせた豪傑たい。 儂の聞いた話じゃ柔道も合気道も負け知らずね』奥宮は源太郎の話を聞いて眉間に皺をよせて暫くの間、固まっていた。『その人の名前だけなら俺も聞いたことある。ブラジルの方へ柔術の普及に渡航したとかも』鵜澤が興味津々で源太郎に話しかけた。格闘技の経験はまるで無いが、総合格闘技に関しては小まめに試合を観戦に行くほどのオタクである。『ブラジルに渡ってから消息不明だけどさ、ご存命にしても110歳くらいのはずだぜ』鵜澤の言葉に皆が黙り込む。やはり亡霊の類であろう推測からどうにも抜け出せない。何よりもこの神業のような唯一無二の無双レベルの強さ。現役さながらのオーラを漂わせている。もっともこの座敷わらしも正体が田村治五郎と決まったわけでないが…『田村治五郎は才気ん塊んような人やった』源太郎がぼそっと漏らした瞬間、皆は一斉に凝視した。『それは、会ったことがある。と言うことですか?』鈴木が尋ねると、源太郎は頭を掻きながら膝をぴしゃりと叩いた。『思い出したくもなか、あんなにあっさりやられたのは、後にも先にもあの一回だけばい。まさに天衣無縫ってやつじゃの』まだ十代の血気盛んであった源太郎が、六十代である田村治五郎に決闘を挑んだのは、日本には敵は居ないと取材にこたえたのが気に食わず、ブラジルに行く前に敗北を教えてやろうと、道場破りさながら田村邸に意気揚々と乗り込んだ。合気道のからくりを解き明かさんばかりの勢いで、先だって田村本人に、『一切加減をしないんで』合気道の名門である「養老会」の道場を前にして、『本気で倒しにいくんで、そのつもりで技をかけにきてください』と宣う程に合気道自体に信用を置いていなかった。『あー、はいはい』と田村本人は済ました顔であったが、内心は腸が煮えくり返る程に腹立たしかったに違いない。足を掴まれた瞬間、ふわっと浮いた。まるで無重力の宇宙船の中にいるのかと錯覚するほどに一瞬にして景色が逆転した。小さい体で大きい相手を投げ飛ばす投げ技。相手の力を最大限に利用するので、ちょっとの力でもとんでもない威力になることを源太郎は思い知ることになった。道場の畳にしこたま叩きつけられた後に、立ち上がった瞬間、全てが歪んで見えた。眼前にいる田村治五郎本人でさえも、まるでピカソの絵のように幻影が歪んで何重にも見える。まさに複数の視点から見た幾何学的な形で捉え、自分の身に何が起きたのか瞬時には理解出来ない。酩酊したようにねじ曲がった風景が治ることもなく、次の一撃を喰らう。吐き気をもよおす程に強烈な掌底を腹に喰らう。平衡感覚を失い、足元がおぼつかない。腕も首も腰も踏ん張りが効かなくなる。田村は源太郎の腕を返してわき腹を伸ばし、腹這いにさせて抑え込む技で固め、源太郎はまな板の鯉のように全く身動きが取れなくなった。田村は能面のように無表情だ。すっと血の気が引いていく。今までに感じたことがない激痛に声すらも出ない。源太郎の額からは汗が滴り落ちていく。動けば余計に痛みが広がるから、うかつに動けない。田村は力を加えている様子はまるでなく、源太郎の中で合気道というものは本物だと痛感させられた。田村治五郎への信頼感、合気道へのより深い造詣が生まれた記念すべき痛みであった。完膚なきまでに叩きのめされた源太郎は、田村本人にリベンジするという気力もなく、その鍛錬して磨き上げた技、他を圧倒するほどの威圧感、自分にも決して屈しない精神力、その偉大さに心の底から謝罪したい気持ちになった。源太郎は当時の心境を思い出し身震いした。『この面子で、断トツに強い源太郎さんが歯が立たないんじゃ、勝ち目ないじゃん』鵜澤が雨音に消されそうなくらいに小声で呟いた。『まだそれが田村本人とは確定しとらん。しかもどう見たっちゃ年齢が釣り合わん』田村治五郎の身長は百五十センチ足らずと体重も四十キロで、座敷わらしとほぼ一致はするが、齢百十を越えた者がこれほどの動きが出来るとはとても考えられない。亡霊なのか幻影なのか、確かなことは実際に怪我人が多発していることだ。源太郎は田村と相まみえるまでは、合気道など世界最強を争う場に出てくるような武道ではないと高を括っていたが、今でははっきり言える田村治五郎は世界最強の格闘家の一人であることは疑いない。仮に叶愛を除いたこの五人で一斉に襲いかかったとしても軽く弾き飛ばされる事は火を見るよりも明らかである。かと言って、人が多ければ良いというわけでもない。源太郎は全員に木刀を持たせて剣闘を教えることにした。素手ゴロとなると、源太郎以下五名はとても歯が立たない。広い庭に横に渡した竹の束を木刀で思い切り叩きつける。シンプルではあるが、他人の力を利用する合気道にも通ずる最高の稽古である。弾力のある竹の束に、木刀をフルパワーで振り下ろしても、決して木刀をバウンドさせずに、どんぴしゃりのタイミングで抑え込む。シンプルであるがかなり難しく、一朝一夕で出来る芸当ではない。これを繰り返すことで刀捌きに慣れてもらうより他に方法はない。何が座敷わらしに通用するのか足掛かりすら掴めていない状況下で、自分たちに出来ることを模索していくことが最良の手段であると、源太郎は認識していた。その為、有効な稽古内容だけを取捨選択し、トレーニングに活かした。田村治五郎の技は一子相伝すらもされておらず、彼だけのものでこの世から消滅した。もっとも田村本人が亡くなっていればの話であるが。田村の合気道は、相手を組み伏せた上に、固めて動けなくなったところへボールペンで目を突き、そのまま脳まで突き刺して死に至らせる活殺術の裏の顔も持っている。過酷な太平洋戦争も乗り切る精神力は伊達ではない。真っ暗な曇天模様の空から無数の雨粒が降り落ちてくるが、奥宮は微動だにせずに訓練を続ける。北風に煽られることもなく、一心不乱に木刀を竹の束に叩きつける。まったく彼女の大した体幹能力に源太郎も驚きを隠せない。汗が迸る奥宮はきらきりと輝いて見えた。環や鈴木も慣れない木刀を扱いながらも、稽古を続けているうちに次第に成果は出てきた。『ちょっと休憩しない?』首に巻いたタオルで汗を拭う環が皆に声をかけた。『さんせーい』『喉が乾いたー』と各々が地べたに座り込む。『んじゃ、何か飲み物買っとくね。叔父さんはボスのブラックやね?』近所のコンビニに向かう環は源太郎にもリクエストを聞いた。源太郎は木刀を打ち込みつつ、環に頷いた。奥宮の道場から数分歩いたところにコンビニのチェーン店がポツンと立っていて、環はトートバッグを片手に店内に入り込み、頼まれていた飲み物を物色していた。片手に二本の缶コーヒーを器用につかみ、カゴに放り込む。ポカリやアクエリアス、緑茶なども追加する。レジに行き、店員さんに声をかけると『いらっしゃいませ』と丁寧な対応で頭を下げられ恐縮した。白髪頭の男性社員で年齢は五十後半から六十前後だろうか。この年代の男性は珍しいなと環は感じた。初老の男性は丁寧に環からトートバッグを受け取り中に詰めてくれた。『すみません、ありがとうございます』環がぺこりと頭を下げる。『いいえー、こちらこそ、どうもありがとうございました』初老の店員はメタルフレームの眼鏡の奥から再び微笑みかけた。環はもう一度、その店員を見つめる。何故だろうか、不思議なオーラというか妙な違和感がある。トートバッグを持ちながら、自動ドアを出ようとすると、首に圧迫感が広がり、苦しむ暇もなく、環の視界はそのまま真っ暗になった。
中央通りに面した石造りの町並みは、歴史を感じさせるが、整然として美しい。その脇にある旧田村邸では昼間は眠りについているかのように静まり返っている。榎並祐子が張り込み態勢に入ってから、早くも十時間が経過した。現在の時刻は午前九時。榎並の編集部に源太郎から連絡が入ったのが、三日前の事である。座敷わらしの件はちょっとしたNEWSにもなり、怪我人が絶えることなく、ドライバーとカメラマン、そして榎並が緊急発進し、旧田村邸を見張ることとなった。カメラマンの松宮が朝食のおにぎりを差し入れてくれた。『榎並さん具は何にします。鮭か梅か、ツナマヨがありますけど』松宮はおにぎりの入ったレジ袋ごと榎並に差し出す。『セブンならツナマヨ!』榎並は即答で言った。武家屋敷通りの路地に白いワンボックスは流石に目立ってしまうため、細かく場所を変えたりする。『もし、もしですよ、座敷わらしの正体が田村治五郎であれば、これ、とんでもないスクープですよね』格闘技マニアである松宮は興奮しながら榎並に問いかける。二十七歳の松宮は、多忙にも関わらず、いつも陽気で気の良い後輩だ。『勝負は今夜あたりかもね。座敷わらしが動くとしたら…』榎並は肩を解しながら答えた。慢性的な寝不足でもう三十時間以上は寝ていない。源太郎の依頼とあって、文芸部から一時的に報道部への応援に駆けつけた。今日あたり動き出す。改めてそう思うと身体というのは現金なもので、知らず知らずに全身の疲れが少しずつ抜けていくのが分かる。それにしても旧田村邸は空き家のように全く動きが見られない。実際に空き家らしいのだが…辺りが闇に包まれた頃、ついに榎並の寝ずの時間が四十時間を超えた。鉛のようなだるさの上に、睡眠不足による頭痛、同じ姿勢のままの関節痛、腹の底にある慢性的な気持ち悪さでふらふらするも、双眼鏡で旧田村邸をじっと見据えると、小さな影を発見した。『松宮くん、ターゲットが動いた』榎並は後部座席で熟睡していた松宮を揺らして起こす。ふわあと大きなあくびで身体を伸ばす松宮に、座敷わらしが現れたと源太郎に知らせるよう小声で伝えた。松宮は慌てて携帯電話をカバンから取り出した。ぬっと大柄な体躯の男四人が小さな人影を取り囲んだ。そのうちの一人は見たことがある。旧日本プロレスの創始者であり、現役プロレスラーのジャイアント寛治だ。プロレスに興味のない榎並にも分かるくらいにカリスマ性のあるプロレスラーだ。試合もテレビで何度か見たことがある。『なあ、あんた、やりすぎたな』座敷わらしに向かい合い、ジャイアント寛治が長い顎をさすりながら声をかける。二メートル近い上背から見下ろす迫力は、大人と子供の喧嘩にしか見えない。『え?ウチのレスラー五人を半殺しにしといて、のうのうと散歩なんぞしやがってよ。サクサクッとやってやろうか?』ジャイアント寛治の周りにいる三人もプロレスラーだけあって、かなりの大柄だ。『なあ、あんた、田村治五郎だろ?座敷わらし気取ってるけど、こっちにゃ情報入ってるんだわ』ジャイアント寛治を筆頭に四人は、座敷わらし目掛けて突進し、手首を掴み取った。しかし当の座敷わらしはびくともしない。榎並は眼の前で何が起こっているのか理解出来ないほどに神秘的なものであった。四人合わせて四百キロ近くある者がその十分の一しかない小柄な男を動かせないのである。こんな技を誰が真似できようか。手首を掴んでいたジャイアント寛治の使い走りの男二人が宙を舞い、地面に叩きつけられた。そして座敷わらしはジャイアント寛治の胸ぐらを掴み取り、そのまま背負投げで受け身を取らせることもなくアスファルトに何度も何度も叩きつける。そして最後には容赦なく顔を踏みつけられた。榎並と松宮は思わず目を逸らす。ジャイアント寛治は完全に失神していた。隣にいた松宮は、青ざめたまま呆然としていた。
源太郎は近所で武道具店を営む佐藤武道具店のオーナーである佐藤秀海(五十七)から
すずさんと司書の猫下さん バンビ @bigban715
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