第17話 愛しの座敷わらし

鈴木叶愛は、前を行く剣道の防具袋と竹刀袋を肩に担いでいる学生を見かけて、駆け出した。『真希まきちゃん!』声をかけられた女学生は、驚きの表情を浮かべて振り返る。『やあ、叶愛じゃないか』髪をポニーテールにした一重瞼で切れ長の瞳の女学生は鋭い視線を叶愛と共に歩いていた友人に容赦なく浴びせてきた。その妖艶な佇まいは成年と見まごうほどで、見る者の目を釘付けにするクールビューティ振りである。剣道部の主将であり、インターハイ優勝の経験を持ち、宮本武蔵に憧れる剣豪で美人である奥宮おくみや真希まきは、叶愛とは幼馴染で、奥宮が一学年上であるが、ずっと真希ちゃん、叶愛と呼び合ってきた。『叶愛って、奥宮先輩と知り合いだったの?』と友人に問われて『うん、幼馴染なの』で返答した。『久しいな。茶でも飲んでいかないか?』と言われて叶愛と友人と奥宮は三人で近所のファミレスに寄ることになった。叶愛が注文したグリーンスムージーが気になり奥宮がそれを少しだけ飲ませてくれと受け取り、ぐいと一口飲むとぐえっと舌を出した。『なんだか野原を走ってたら転んだみたいな味だな』何それと叶愛は声を出して笑った。『ストーカー被害はどうなったんだ』と奥宮に問われて『うん、おかげさまで無事に解決した。犯人も捕まったよ』と叶愛はグリーンスムージーを飲みながら奥宮に説明した。『そうか、ならば良かった。私も近辺を捜索して、犯人を懲らしめるつもりであったからな』奥宮は幼馴染の叶愛がストーカー被害にあっていると聞くやいなや木刀を手にして毎晩パトロールに出てくれていた。幼少の頃より叶愛が近所の悪ガキたちに虐められていたりすると、奥宮は竹刀を手にして必ず助けてくれた。叶愛にとって奥宮真希の存在は幼馴染であり先輩であり恩人でもあった。『実はな…またきな臭い噂を聞いて…』奥宮は目の前のアイスティーをストローで掻き回せながら、小声で話しだした。『ウチの道場の少し離れたところに、寂れた武家屋敷通りがあるだろう?』奥宮の家は代々剣道をしていて、道場を営んでいた。そこから少しだけ離れた場所に武家屋敷が連なる武家屋敷通りがあり、道の両側には黒壁の塀が続いていて、ところどころに風格ある武家屋敷の門が建っており、黒塀の上には屋敷内の木々が続いていて、独特の風情を醸し出していた。『そこの一角の屋敷から、座敷わらしが夜な夜な現れて、人にイタズラをするらしい…』『イタズラってどんな』奥宮は束の間、迷いを見せた後に叶愛の顔を直視した。『うむ。どうやらその座敷わらしとやらは、強そうな人を見かけては、「いざ、尋常に勝負」と仕掛け、戦いを挑むらしく、子供のような身体の小ささにも関わらず、ぽんぽん人を投げ飛ばすらしい』奥宮は興味深く聞く叶愛にためらいがちに説明をした。『この座敷わらしはかなり強くて未だに負け知らずらしい。SNSとやらにも拡散されているようでな。私もお前のストーカー対策も踏まえてそちらの方向にもパトロールをしていたわけだ』叶愛と友人は、ほぼ同時に顔を見合わせた。『なんだか、怖いね…』軽い戸惑いのような表情が、両人の顔に浮いていた。『なんのつもりか知らんが、身体の大きな者や、剛力な体躯をした者を選別しているようでな…中には骨を折られた者までいるらしい』叶愛は両手で口をおさえて息を呑む。ややあって奥宮の方が先に口を開いた。『面白がってわざわざ対決を挑むユーチューバーまでいるらしい。全く困ったものだ』奥宮はグラスを片手に眉をひそめた。『まあ何か情報を掴んだら、私に一報くれないか?こういった輩は叩きのめすに限る』奥宮はそう言うと伝票を掴み、立ち上がる。『時間をとらせたな。ここは誘った私の奢りだ。ゆっくりとしてくれ』奥宮はそう言うと竹刀と防具袋を抱えて、レジカウンターの方へと向かっていった。『真希ちゃん、ごちそうさま』と叶愛が背中に声をかけると奥宮は右手をあげて応えて颯爽と出ていった。一方、父親である鈴木の傷は完全に癒えて、長かった入院生活からも開放され、ようやく通勤できるところまで落ち着いた。環の叔父である源太郎も、新たなる小説の連載に、書斎に籠もりきりで、いきいき仕事していると小耳に挟んだ。叶愛は先ほどの奥宮の話が頭から離れず、不安な表情で、友人とファミレスを後にした。自宅に帰り、父の夕食の準備をして帰宅を待っている間も、昼間に聞いた奥宮の話がずっと頭に引っかかっていた。座敷わらしと言えば、荻原浩さんの作品で「愛しの座敷わらし」ってあったなとふと思い出した。ただしこちらの座敷わらしは善であるが、奥宮が話していた座敷わらしは誰がどう見ても悪意しかない。叶愛は父の帰りを待つ間に、武家屋敷通を覗いてみようと決意し、自転車に跨った。夕方の西の空を見上げると、紅く滲んでいて哀愁を感じさせた。自転車をこいで十五分ほどして着いた武家屋敷が立ち並ぶ通りは、独特の風情を醸し出していた。何やら殺気にも似た異様な雰囲気を感じる。叶愛は格闘技の経験は全くないが、周囲から獣が佇むような不気味な静けさを感じ取っていた。その刹那、小さな影が視界に飛び込んできた。『ひゃっ』叶愛は声をあげて後ろに飛び退いた。影は尚も執拗に叶愛を追いかけてくる。『叶愛!』声がして振り返ると、木刀を頭上に掲げた奥宮がいた。『私の後ろにまわれ!』腰を抜かしてしまい立てない叶愛に視線で誘導する。影はするすると奥宮の方まで忍び寄る。『しぇあらあああぁぁ』野太い掛け声で影を威嚇するが、怯む様子などまるでなく、さらに距離を詰めてくる。影はかなりの達人のようで異様な殺気を放ち、動き一つにも無駄がない。びゅんびゅんという風を切る素振りの音がこちらの方まで鳴り響く。まさか座敷わらしが剣を扱うとは聞いていなかったが、相当なレベルであることは最早疑いない。奥宮の背中はシャツが張り付くほどにじっとり汗をかいていた。『ふーっ、ふーっ』懸命に呼吸を整え、剣を持つ影を睨みつける。覇気に飲まれまいと声を荒げるも、影はじりじりと迫りくる。『叶愛、私に何かあれば逃げろよ』背中に隠れて尻もちをついている叶愛に小声で知らせるも、この様子ではとても逃げ切れるとは思えない。油断したその瞬間に、刀のような物が眼前に飛び込んできた。『うわっ』咄嗟に木刀を斜めに防御するもガキーンという金属の音が鳴り響く。両の手が痺れてしまうほどの威力に、すっかり毒気を抜かれる始末。さらに身構え、第二陣に備えるも、緊張のあまり呼吸がやや乱れがちになっているのが自分でもわかる。奥宮が息を吸い込んだ瞬間、剣先が弧を描き、首筋を狙ってきた。咄嗟に身体を後ろに逸らせてギリギリのタイミングで躱すが、ヒリヒリした殺気が伝わってくる。正確無比な一撃であった。一瞬でも反応が遅れていたら完全に打ち込まれていた。額から汗が滴り落ちる。今度は素早く踏み込み、剣先を相手の胸元に突き出し、飛び込んだ。『つきぇぇああああああ』相手は後方に飛び、容赦無い回し蹴りが奥宮の左脇腹に食い込んだ。『がはっ』息が止まる。追い打ちをかけるように剣先が頭上に襲いかかる。刀同士がぶつかり合い、甲高い金属音がもの静かだった武家屋敷通りに鳴り響く。奥宮が鋭く相手の面を打ち込むも、それを簡単に受け流し、一瞬の隙をついて反撃してくる。(なんて武術の達人なんだよコイツは…)呼吸を整え、全神経を集中させ、奥宮は得体の知れない相手に打ち込んでいく。『めーん、めん、めん、めん、こてぇぇあああ』相手は奥宮の木刀の連打を捌いていく。打突だけなら通常の対戦相手なら五本は入っているが、この相手は全てを難なく捌いている。『くそっだらあああ』奥宮は木刀を頭上に構えたまま遮二無二、相手に突っ込んだ。踏み込みが甘かったせいか、相手の剣先が奥宮の耳を擦る。『やばっ』(やられる!)その瞬間、奥宮は覚悟を決めて歯を食いしばり瞳を閉じた。『待って!だめー!』という叶愛の声と共に相手の太刀筋も奥宮の額の寸前で止まる。『ん?なんで?』とあらわになった影を見つめると、白杖を手にした白髪頭の年寄りがそこにいた。『おいおい叶愛やなかか。こげんところで何ばしよーったい?』年寄りは叶愛に驚いた表情で声をかけた。『源太郎さんこそ』叶愛は年寄りに近づき、吹っ切れた表情で破顔した。『いや、こん付近で怪しげな座敷わらしがおるて聞いて、警備もかねて夜回りしとったところたい』博多弁を操る白髪頭は、奥宮に向き直ると、土下座に近い姿勢で頭を下げた。『叶愛ん友達やとつゆ知らず、てっきり噂ん座敷わらして思うて剣闘ば挑んでしもうて、まことに申し訳なかと』白髪頭が叶愛の知人だと打ち明けられ、奥宮は無言のまま目を丸くしていた。緊張から開放されてか、ようやく脇腹に食らった回し蹴りの一撃が痛みだしてきた。『いつつ…』『こりゃいけん。救急車ば手配しよう』と源太郎がスマホを手にすると『大丈夫ですから…』と片手をあげて奥宮は源太郎に断りをいれた。この様子を武家屋敷旧田村邸の中からそっと伺う輩がいた。剣のぶつかり合う音に顔を出してみると、剣豪二人がどちらも譲らないほどの熱戦を繰り広げるのを目の当たりにし、次の獲物にしようとほくそ笑み、また気配を殺して邸の中へと姿を消した。源太郎は、奥宮の手当てを環にしてもらっている間、ずっと叱られていた。『ひどい、青あざになってるじゃん。叔父さん、容赦なく蹴飛ばしたね』環は奥宮の脇腹に包帯を巻きつつ、源太郎を睨みつけた。『ほんなこつ申し訳なか。言い訳に聞こえるかも知れんが、暗うて全く姿ん確認がくじ出来んやったんだ』源太郎は再度、平身低頭に頭を下げて無礼を詫びた。『本当に、大丈夫なんで』奥宮は痛みで顔をしかめつつも片手を挙げて応えた。色とりどりの花が庭から見える。素敵な家に住んでいるなと奥宮は本心からそう思った。『はい、手当て完了!』と環は手をパンパンと叩くと、奥宮は立ち上がり、ありがとうございましたとお礼を述べた。事情を聞くと、奥宮もやはり座敷わらしの存在が気になり武家屋敷通りの周辺を探索していたのだという。なんでも奥宮のクラスメイトであるレスリング部の男子生徒が、座敷わらしにより全治二ヶ月の重症を負わされたらしく、学校中も今や座敷わらしの恐怖でもちきりであった。『じゃ、彼女を自宅まで送るから』と環も立ち上がる。奥宮はお構いなくと言おうとしたが、脇腹の痛さで声が出ない。『よろしく頼む』と源太郎は環に頭を下げた。奥宮は環のバイクで送ってもらっている間、ずっと源太郎に打ち負かされた悔しさで頭がいっぱいだった。なんでも幼少の頃より剣道に柔道、空手を嗜んでいたらしいが、それにしてもここまで完膚なきまでにやられたのは初めてのことであった。蹴られた脇腹の痛みが疼いて仕方ない。持っていた武器はステンレス製の白杖であったが、あれがもし真剣であればと思うと背筋が寒くなる。最後のインターハイに備えて是非とも指南をお願いしたいほどの逸材。目をぎゅっと瞑り、深呼吸を繰り返して、あの激闘を脳内に思い描く。何度も入ったはずの打突が寸前で躱されてゆく。幻影を追い続けるもすらりと逃げられ、挙げ句頭上に振り下ろされた白杖をもろに受けて身体が裂かれるような激痛でのたうち回る。何度イメージしても勝てる気がしない。ここ数日はこのような同じ夢ばかりを見る。起きた時には全身が汗だくになっていた。いずれにせよこれほどの屈辱を晴らすには自らがあの悪名名高い座敷わらしを成敗する他はない。インターハイ前の前哨戦にはもってこいの不足のない相手だ。首に巻いたタオルで身体中の汗を拭い、服を着替えて、髪をまとめ直すと、道場の角にかけている木刀を手にする。素振りをすると風が吹き抜けたような清涼な気分で満たされ、深呼吸をした後、再度素振りを繰り返す。奥宮は今夜また武家屋敷通りの探索に繰り出そうと独り言ちた。夕食後、時計が夜の八時を指した時、奥宮は木刀と鈴のついた刀袋を持ち、両親に気づかれないようにそっと道場の外へ出た。街路樹を抜けて、武家屋敷通りに近づくにつれ心臓の鼓動が速さを増してゆく。チリンチリンと刀袋につけた鈴の音色が逆に不気味で背中はすでに汗だくであった。ふと気づくと自分の前を、猪首のがっしりしたレスラー体型の男が歩いていた。古めかしいジャージで、見た目は完全に格闘技経験者であった。ジャージの上からでも分かるくらいに筋肉の発達したアメリカンフットボールかラグビー選手のような男は辺りを見回しながら歩いている。行く手を阻まれたら逃げる気力を根こそぎ奪うような迫力と覇気を奥宮は感じていた。男は足踏みをするように落ち着きなく身体を揺らしている。『なあ、姉ちゃん』急に男に声をかけられ驚きのあまり『はひっ』と変な声をあげてしまった。『あんたも座敷わらしを探しに来たのかい?』男は奥宮の刀袋をちらりと見て白い歯を見せた。その瞬間、男の背後から小枝を踏む音がして、目を凝らすと、白っぽい小さな人影が見えた。フードを目一杯かぶっており顔が全く見えない。間違いない、座敷わらしだ。目が合ったような気がしたが、座敷わらしはぼんやりした目で恰幅の良い男を見ていた。『出やがったな!』男はジャージの袖をまくり上げ、異様に太い二の腕を見せると、座敷わらしに向かってあり得ないくらいの勢いで突進した。その瞬間、糸の切れた凧のように大男がふわりと空に舞いあがった。と同時に顎を掴まれ、アスファルトに背中から叩きつけられた。受け身が全くとれなかった男は呼吸をすることもままならず、ゼイゼイと呻いている。奥宮は恐怖で声をあげることも出来ず、吸い込まれそうなくらいの沈黙が続いた。『いざ、尋常に勝負!』座敷わらしが初めて声をあげた。ごくりとつばを飲む。息を殺して後退する。額からは汗が止め処なく流れ落ちる。緊張のあまり息ができない。ほとんど足音をたてずに座敷わらしが近づいてくる。座敷わらしの右手から銀色の鋭利な刃物のようなものが見えた。『やばっ』突然クルマが通行し、ヘッドライトが座敷わらしを照らす。闇に覆われていた白っぽい人影が、あらわになる瞬間に街路樹の方へと身を隠した。暗さに慣れてきた目にフードを深く被りマスクをした性別もつかない年齢不詳な妖怪がそこにいる。クルマが過ぎ去った後、じりじりと奥宮のもとへ歩み寄ってくる。パキリと何かが弾けたような音がした。右手に持っていた木刀を確認すると綺麗に真っ二つに切られていた。再び闇に紛れた妖怪は、砂利の音を響かせて距離を詰めてくる。奥宮は恐怖のあまり、半分に割かれた木刀を落としてしまった。カランカランと乾いた音が虚しく響き渡る。キキキキキとブレーキ音のようなものが前方から聴こえてきたと思うと、先ほど通り過ぎたクルマがUターンをしてきた。激しくクラクションを鳴らし猛烈な勢いでくるクルマのヘッドライトの眩しさに思わず目を瞑る。ベージュ色のジムニーが腰を抜かし尻もちをついていた奥宮の直ぐ側に停車した。後部座席のドアが開くと、叶愛が手を差し伸べてきた。『真希ちゃん、乗って!早く!』奥宮は叶愛の腕を掴み、ジムニーに乗り込んだ。運転手の鈴木は勢いよくアクセルを踏み込む。隠れていた座敷わらしが再び姿を現し、発進したジムニーを追ってくるのをルームミラーから確認した。『二人とも、伏せて!』鈴木が声をあげた瞬間にリアウィンドウが割られた。車内にガラス片が飛び散る。叶愛と奥宮はお互いに身体をかばうようにうつ伏せになる。中には先ほど割かれた木刀の一部が紛れていた。座敷わらしがクルマに向けて投げ飛ばした物だと思われた。鈴木はかまわずにアクセルを踏み続けて、仁王立ちで立つ座敷わらしを置き去りにした。ジムニーは、深淵にも似た薄気味悪い夜の武家屋敷通りを抜けて行った。

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