第16話 小説王
F井県の市内にある文豪社F井支店。駅前にある
三日後、鈴木の病室に話があると呼びつけられた源太郎は、入るなりいきなり用件に入ってきた。『話ちゅうとは一体なんなんや?』源太郎は寝たきりの鈴木と隣りにいる環を睨めつけた。『あの…』鈴木は萎縮して口ごもったが、意を決して、大きく息を吸い込んだ。『龍造寺源太郎先生!最新作である「向こう側にあるその朧げな図書館」の続きを書いてください』源太郎は鈴木のとっさの言葉に目を見開き、軽く息を漏らした。『なして儂が作家であることば知った?環から聞いたんか?』源太郎は意外そうな声を上げたが、鈴木はかまわず話を続けた。『僕はずっと、昔から…今みたいに読書にハマる前から貴方のファンでした』環は鈴木の本棚から叔父の作品が全作揃っているのを見て、言葉を失った。こんなにも身近に、自分の叔父の作品を愛してくれている人がいるなんて想像もしていなかった。そして病室で鈴木に叔父の素性を全て話したのだった。『十三年振りに出された新作「向こう側にあるその朧げな図書館」には感銘しました。こんな作品をずっと読みたかったんだと…』鈴木は言いながらも源太郎の視線を痛いほどに感じていたが、かまわず話を続けた。『嬉しかったんです。環さんの叔父である貴方が、作家の龍造寺源太郎だと知って、本当に嬉しかった。だって、本の内容と変わらないほどに貴方は本当に優しかった』源太郎は無言のまま、憮然とした表情でじっと鈴木のことを見ていた。『結局蓋ば開けてみりゃあ、そげん売れんやった。万人に受け入れてもらえんやったんだ。今更続きば書くも何も無か』環は不意に苛立った。やりきれなさが急にこみ上げてきた。迷うのはいい、自信がないことも仕方ない。だが、この局面に置いては揺れていて、断筆宣言をしながらも未だに自分を捨てきれていない。ある部分で割り切る勇気を持っていない叔父の姿勢に心底腹がたった。『叔父さん!いい加減にしなよ!』静かな病室に環の乾いた声が響き渡り、源太郎は驚いた様子で環を見据えた。『断筆宣言したとか何とか言いながら、家でこっそり書いてるの知ってんだからね。結局は才能っていうのは気持ちなんだよ。実力やセンスの壁にも挫けずに続けるかどうかの境界線なの』環は唖然とする源太郎を前に、つい軽く息を漏らした。『それが情熱なんだよ。それでその情熱を持って長くやり続けることこそが才能なの!売れる売れないなんて関係ない!』環はぴしゃりと言い放つと、黙ったままの源太郎を睨みつけた。静まり返った病室にノックの乾いた音がして、一同が振り返るとスーツ姿の榎並祐子がそこにいた。『すみません、盗み聞きするつもりは無かったのですが、話が聞こえて…』環は、瞳にうっすら涙を溜めながら榎並に頭を下げた。『龍造寺先生、実を申し上げますと、先生の「向こう側にあるその朧げな図書館」が今回、本屋大賞発掘部門にノミネートされました』突然の降って湧いたような話に病室にいる全員が目を瞠った。しかも三年前の八月の発売から消化率二十五%以下で正直、全く売れていない小説であり、絶版処理されたが、書籍のプロから最高評価を受けたことで、再び大きな話題作になり、再出版が確定したことを榎並は述べた。『先だって、私は先生の新作の続編を連載させることを文芸部門の編集長に約束させました。先生、皆さんが貴方の新作を待ち望んでいます』榎並は鼻息荒く、顔を紅潮させて皆に説明をした。『あー、もう皆おせっかいすぎるばい。しぇっかく休めるて思うとったとにしゃあ』源太郎は照れくさそうにボリボリと頭を掻いた。『待っていましたよ。私もようやく文芸部に異動できて、気がつけば先生の担当になれました。いつか、こういう日が来るんじゃないかって』榎並は照れくさそうに笑った。今度は源太郎が驚く番だった。『あんたもほんなこつしつこか性格ばい。負けたばい。書くばい。あんたん週刊誌で連載ば』源太郎は人目もはばからず、頭を掻きつつ大声で言った。そして照れながらも利き腕の右手を差し出した。榎並は泣き笑いの表情のまま、激しく頷き、両の手で源太郎の右手を握り返した。鈴木と環はその様子を見て、お互いに微笑みかけた。
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