第10話『三匹のおっさん ふたたび』

三人は現行犯で逮捕され、警察に連行され、留置場に留置された後、身元引受人として来た環と叶愛に説明されて、めでたく釈放となったが、三人共に疲労困憊で、鈴木などはこれからどうなるのかを考えると一睡も出来なかった。そしてこともあろうか、ストーカーは三人組が留置場に勾留されている時に、通学のバス停から再び、制服のスカートを刃物で切り刻む卑劣な犯行に及んだ。そもそも三人組の夜警によるパトロールへの通報の声質も、どうやら音声変換ソフトによるもので、機械的な声で、『怪しい三人組が彷徨いているので、補導か、もしくは職質して欲しい』との連絡があり、不承不承、付近の交番警官が動いたら、源太郎の白杖で思い切り殴られて意識を失ったとのこと。おっさん三人組は、三蔵法師の手のひらで操られた孫悟空の如し、深い諦念へと誘われた結果である。三人組は、一枚も二枚も上をゆく姿を見せぬストーカーに対して、煮えたぎる程の憤りを覚えた。鈴木と源太郎、鵜澤の三匹のおっさんと、環に叶愛の二人の乙女たちは、鈴木邸にて、居間でテーブルを挟んで作戦会議を行っていた。『あん野郎、うち達ば罠にはめて絶対に許しゃんたい!』源太郎は顔を紅潮させて、怒りをあらわにした。『で、極めつけはコレ!』と環はA4用紙をテーブルに叩きつけた。その紙には、「鈴木叶愛は売春行為をしている売女だ!ただちにクビにせよ!」と書かれていた。このA4用紙が叶愛の通う塾のポストに投函され、それを発見した塾の講師が、鈴木と叶愛に事情の説明を求めたが、これまた事実無根で、鈴木は呆れた様子で、塾をしばらく休ませてもらうことを申し出た。講師の疑るようなものの言い方に、源太郎は抗議におもむく所存であったが、それは流石に鈴木と叶愛からき止められた。『こげな怪文書回して、どげんする気なんじゃコイツは』源太郎が引き千切らんばかりにテーブルからA4用紙を奪うと、リビングの電話が鳴り始め、一同は一斉に振り向いた。『あたしが出る』上下スウェット姿の叶愛は立ち上がり、リビングの方へと向かうと、他の者たちは耳をすませた。『もしもし、鈴木です』留守録に切り替わる寸前で受話器を取るも、電話の向こう側は完全に沈黙している。叶愛はICレコーダーを用意するように、鈴木にジェスチャーした。液晶画面には非通知の表示が出ていた。『もしもし、鈴木ですけども…』相変わらず、向こう側からは何も聞こえてこない。『番号を間違えているみたいですので切りますね』と叶愛が言った瞬間に『死ね』と機械的な低く押し殺した声がスピーカーから響いた。『野郎!』と源太郎が叫ぶや否や、白杖を用いて駆け足でリビングに向かい、叶愛から受話器を奪い取ると『ツー、ツー』と電話は切られていた。恐らくはボイスチェンジャーを使用したようで性別の見当もつかなかった。逆探知を恐れてなのか、その日は嫌がらせ電話が鳴ることは無かった。何事もなく、二週間が経過した頃に事件は起きた。鈴木の亡き妻の墓参りに、ボディーガード役として側についていた源太郎と叶愛は、階段の上から何者かに突き落とされ、二人は十五メートル下の歩道にまで転げ落ちた。源太郎は身を挺して、叶愛を庇った為に、肋骨を骨折し、叶愛も右脚首を剥離骨折した。源太郎は背中にも猛烈な痛みを感じ、医師に診てもらったところ脊椎圧迫骨折も併発していることが分かり、全治一ヶ月と診断された。連絡を受けた鈴木は、慌てて会社を早退し、入院先の病院へ駆けつけた。源太郎は六人部屋の窓際のベッドで寝ていて、側には競馬新聞が置かれていた。『源太郎さん』カーテンの隙間から鈴木が声をかけると、仰向けで寝ていた源太郎がピクリと身体を震わせ、瞳を開けた。『お、おお、来てくれたんか』源太郎は申し訳無さそうに頭をかいた。『すまんの、儂がついていながら、このざまじゃ』源太郎が詫びをいれるのを見て鈴木は慌てて制止した。『とんでもない!源太郎さんが庇ってくれなければ、叶愛はもっと酷いことになってました』歩道に倒れ込む二人を発見した通行人によると、源太郎は叶愛を抱き締めるように庇い、下敷きになっていたらしい。『会社は?』と源太郎に聞かれて『早退しました』と鈴木は答えた。『大げしゃなことになったな。申し訳なか』源太郎は悔しそうな表情を浮かべ、顔をしかめた。『儂はなんでんなか、やけん、叶愛ちゃんと一緒におってやってくれ』源太郎はそう言うと再びベッドに潜り込んだ。卑劣な不意打ちとはいえ、源太郎は突き飛ばされたことに対して、少しでも油断してしまった自分が許せなく、憤りを隠せなかった。叶愛は源太郎と同じ病院に暫くの間は入院することになっていた。松葉杖をついていた叶愛は、待合室で鈴木と対面して、よほど怖かったのか、鈴木の胸で思い切り泣いた。娘の頭を優しく撫でながら、犯人に報復することを心の中で誓った。鈴木はその日より、定時であがることにして、娘と源太郎さんの様子を見舞いに行くことにした。『すみません、今日も私用で先に帰ります』と支店長に頭を下げると、脇から怒号のような大声が響いた。声の主は、野口係長であった。『鈴木くん、君ねえ、どんな事情があるか知らんけど、その勤務態度はなんだね?え?必死に頑張っている他の社員の影響を考えたことがあるのかね?』鈴木は拳を握りしめながら、黙して係長の話の先を促していた。『君のような社員が会社にとって、一番害になるってこと、考えたことがあるのかい?』フロア内は水を打ったような静けさに包まれていた。隣の席から後藤が心配そうに見つめてくる。説教を終えた係長は満足したのか、カバンに荷物をまとめて、鈴木よりも早く退社していった。『なあ、おい、鈴木、係長とか支店長に本当のこと言わなくていいのかよ』後藤は周りに聞こえないように小声で鈴木に話しかけた。『うん、変に心配かけたくないしさ』鈴木は無理して明るく笑った。『越前市の総合病院だっけか?入院先は』後藤は見舞いに行きたいと言っていたので、鈴木は恐縮しながら頷いた。『はい、お茶です』不意に後ろから声をかけられぎくりと振り返ると、事務員の生田美来が笑みを浮かべたまま、煎れたばかりのお茶を差し伸べてきた。『あ、ああ、ありがとう』『鈴木さん、あんなのに気にしちゃダメですよ。鈴木さんが頑張ってるのは皆がちゃんと見てるんだから』鈴木は生田が、係長のことをあんなの呼ばわりしたことに苦笑しながらも御礼を言って、お茶を受け取った。『あれ?美来ちゃん、オレのは?』と隣の後藤が言うと『後藤さんは馴れ馴れしいからダメ〜』と軽く舌をだした。『あの娘、本当に可愛いよな〜』生田が自分の席に戻った後、後藤は小声で鈴木に話しかけた。鈴木は横目でチラリと生田を見てから、カバンを持ってタイムカードを押し、会社を後にした。見舞いに行くと、先客で環と、鵜澤が来ていた。源太郎が酒が飲みたいとワガママを行ってらしく、環と二人で罵り合いをしていて、看護師から注意を受けていた。環は話しがあると、源太郎と鵜澤、鈴木の三人組を二階の休憩室に誘導した。休憩室は待合や食事等に使用できるフリースペースで、周りには誰も利用者は居なかった。鈴木は『餌は撒いてきた?』と環に聞かれて、真剣な表情で頷いた。『じゃ、作戦決行は今夜ね!』環はそう言うと、さらに皆をテーブルの中央へ寄せ集め、改めて作戦を説明した。 深夜の病棟に、スリッパの音が廊下から響き渡る。ダークブルーのナース衣装を着た看護師は、「鈴木 叶愛」と書かれた名札のある部屋の前で立ち止まった。コンコンと聞こえるか聞こえないか位の音でノックし、そろりと扉を開けて、室内を覗き込むと、深夜の為に閑散としていた。カーテンで区切られた寝室をそっと開けた。六人部屋だが、現在この部屋は叶愛しか利用していなくて、叶愛は真っ白い病院の布団に包まれて、すやすやと眠っているようであった。看護師はスカートをまくり上げ、内腿にベルトで巻いたサバイバルナイフを取り出すと、布団に包まれた膨らみに思い切り突き刺した。『ぐうっ』と悲鳴にも似た声を聞き、看護師は大きく吐息を漏らし、再びナイフを担ぎ上げた瞬間、後ろから両の手を羽交い締めにされた。『え?』看護師は後ろを見て険しい表情を見せた。『はい、それまでよん!』ショートカットで紫に髪を染めた女が、看護師と目があい、白い歯を見せた。その瞬間、ガバッと布団をまくり上げ、中から剣道の防具と枕を両手で握りしめた男が、『死ぬかと思った』とゼイゼイと息を吐いて、頭部と喉を保護する面の防具を外すと、汗だくの鈴木の顔がそこにあった。抱えていた枕はサバイバルナイフでざっくり切り込まれて中身の綿がはみ出ていた。環は逃れようとする看護師をガッチリと羽交い締めで抑え込んでいた。『にわかに信じられなかったけど、やはり犯人は貴女だったんですね。生田さん』鈴木に言われた看護師はガックリと膝をついた。出口を見ると、頭に包帯を巻いた源太郎と鵜澤の二人が逃げられないように塞いで仁王立ちをしていた。生田美来は、ナース姿のまま、『あああああああああ』と獣の咆哮のような声をあげて、そのまま環に放された両手を床につき、四つん這いになり、泣きわめいた。以前に弁当を忘れた鈴木の会社に、叶愛が届けに行ったときに、凄く綺麗な姿勢の女性に目が釘付けになったことがあった。こんなに綺麗な女性がいるんだと、憧憬どうけいの的のように見入っていた。そして自分が階段から突き落とされたとき、ほんの一瞬後ろを見ると、その憧れの女性のシルエットが映り、それを叶愛は、皆に話していた。恐らくストーカーはこの女性だと目星をつけて、環は罠を張った。両の手のひらで顔を覆い、崩れ落ちて号泣する生田を環は抱え込み、休憩室へと運んで行った。環は三人組にはついて来るなと指示した。泣いている人を慰める術を、環は白なかった。ただ目の前にいる女性が泣き止むのを環はじっと待ち続けた。生田は十分以上泣き止むことなく、ただ泣き続け、環は黙って泣き顔を見続けた。環はタバコを取り出して、火を点けるとゆっくり煙を吐いた。やがて泣きやんだ生田は、小さな声で、ごめんなさいと言った。『私に謝っても仕方ないよ』と環は言うと、そのまま席を立とうとした。『あの…』『なに?』生田は呆然とした面持ちで、環を見つめた。『理由は聞かないんですか?』『理由なら警察で話したらいいじゃん』環は突き放すように言った。『えーっ』批判めいた生田の言い方に、環はイラッとして、椅子に座り直した。『私…私…振られてしまって…』生田はか細い声で向かいに座る環に打ち明けた。『誰に?』『…鈴木さんです…』その瞬間、環は煎れたばかりの紙コップの緑茶を噴いた。『アンタみたいな美人を振るなんて贅沢な男だね。すずピッピは』あんなおっさんのどこがいいんだか…という言葉は寸前で飲み込んだ。『私、自分で言うのも何なんですけど、この顔のせいで、何かミスしても皆が庇ってくれたり、下心丸だしで近寄ってきたりする人ばかりで、正直うんざりしていたんです』環はふーんとこぼした緑茶を拭きながら上の空で聞いていた。『でも、鈴木さんはそんなことなくて、こんな私にも対等に接してくれて、凄く魅力的に見えたんです』環はまたもせそうになりながらも、懸命に堪えた。『私、勇気を出して、告白したのに振られてしまって、悔しくて悔しくて、彼の娘さんの存在が邪魔してるのかなって…お弁当届けに来たときも、仲が良さそうで、もう、めっちゃ嫉妬して…居なくなったら私、鈴木さんと付き合えるのに…って思って、居ても立っても居られなくなって、病院の場所も盗み聞きして…邪魔者を始末しようと考えて…』そう言うと生田は再び泣き出した。『どうかしちゃってたんです。彼の娘さんに、嫌がらせとかストーカーとか、困らせることばかり…』きい、と扉が開き、鈴木が顔を出してきたが、環は手をひらひらさせて追い払った。『まあ何年かかるか分かんないけどさ、警察で罪を償っといでよ。出てきたら、私の職場に迎えてあげるから』どうして?と言われて『だってアンタ面白いじゃん!』と環は項垂れる生田に白い歯を見せた。環は普段からカバンに偲ばせているドストエフスキーの「罪と罰」の文庫を差し出して、休憩室を後にした。廊下にいた三匹のおっさん達は心配そうに見守っていた。『警察に連行せんでよかと?』と源太郎が聞くと『大丈夫、きっと自分の足で自首するよ』と環が言い、『ズッコケ三人組、任務完了だね』『せからしか!誰がズッコケ三人組なら』源太郎は怒鳴りながら、笑うと響く肋骨を押さえ込んだ。『あ、違った、ズッコケ中年三人組だ』環は舌を出して、ダッシュで源太郎の追撃から逃げて行った。

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