第9話 『三匹のおっさん』

『すいませーん、鈴木さーん』と間延びした女性の呼びかけが後ろから聞こえた。振り向くと、会社の事務員である生田いくた 美来みく(24歳)が大きな段ボール箱を両手に抱えていた。『すみません。扉開けておいてもらえます?』と視線で、鈴木の部署を促しながらそう言った。『あ、持ちますよ』と鈴木は、生田さんの段ボールを代わりに抱え込んだ。『ありがとうございます。奥のキャビネットの上に置いて欲しいです』と言われて『了解』と返事し、唯一の取り柄である長身を活かして、キャビネットの上に載せた。生田さんは鈴木に笑みを見せて頭を下げた。その間延びした言動から、頭の悪そうな単なる白痴美女にしか見えないし、自発性のある娘でもない。今風に言えば、鈍感と捉えられてもおかしくないが、多少、鈍いにしても与えられた仕事を着実にこなし、手抜きは一切しない姿勢を鈴木は買っていた。なにより彼女は、元々の性格が明るいせいか、その場にいるだけで、人を和ませてくれる雰囲気の持ち主であった。鈴木は個人的に彼女の会社に対する積極的な姿勢を気に入っていたし、契約期間が満了となったら、彼女を正職員としてウチに雇い入れてもらうよう人事部長に直談判するつもりでもあった。

『何これ?』環は、呆れたように鈴木の借りた本を呆然と眺めた。「チカラのいらない護身術」「ラクに逃れる護身術」「とっさのとき、すぐに穫れる護身術」などが重ねられていた。『スピは誰かに命でも狙われてるの?ってか相手がデューク東郷レベルなら、こんなの借りても無駄よ』カウンターで口角を吊り上げながら環は返答した。『いや、あの、実はですね…』鈴木は、声を潜めて、環に耳を近づけて、話しかけた。『ストーカー?』環の周りに響くような大声に、鈴木は両手でかき消すような仕草をした。『猫下さん、声が大きい』右手の人差し指を唇の前に置き、しーっというニュアンスをする鈴木に対して、おいおい、と環は内心で呆れた。このような本を読んで、一介の素人が誰かを守れるような強者になれるポテンシャルを要求するか?とは言葉には出さなかったが、ため息は盛大に吐き出た。言えば鈴木のやる気の出鼻を挫くし、それはそれで鈴木が気の毒だ。『ストーカーって、叶愛かのあちゃんに?』と聞くと、周辺を意識しながら、静かに頷き相槌を打つ。『分かった』と環は鈴木に返答した。『え?』鈴木は口をほころばせながらも、何が分かったのか要領を得ないままに問いかけた。『だからさ、ストーカーに困ってるんでしょ?一人娘の大事な叶愛ちゃんが…』と環に言われて『はい、おっしゃる通りでございます…』と鈴木は頭を下げた。『じゃ、私と、もう一人、用心棒を連れてくるから…』『え?』意味が分からず、真意を問うように鈴木は返答した。『だから、護身術の用心棒と、ストーカー対策は、私と知人が引き受けたから、スピは大舟に乗ったつもりで見ておいてよ』と環に言われるも、鈴木は警戒心が強まり、疑わしそうな目で、環を覗き見た。翌日、鈴木は図書館に併設されたカフェで待っていると、環は袴を着た大柄な初老の男性を引き連れてやってきた。少し厳しい顔をした男性は松葉杖をついていて、よく見ると片脚が無かった。用心棒を連れて来ると聞いていた鈴木は一瞬目を疑った。環は鈴木に気がつくと、こちらに向かい、手を振ってきた。隣りにいる白髪頭の初老の男性は明らかに困ったような表情をしていた。『すずピッピ、こちらにいるのが、用心棒で、私の叔父さんの源太郎さん』紹介された初老の男性は迷惑そうな顔で、ギロリと鈴木に視線を浴びせた。鈴木は慌てて頭を下げた。『ったく、忙しいのに、障害者を引きずり回してよぉ、おめぇ~、ほんなこつ、あほたい』源太郎は環を横目で睨みながら憎まれ口を叩いた。『誰があほよ、どうせ暇して酒ばかり煽ってるくせに…協力する気ないの?』環は叔父である源太郎の肩をパンと叩く。『協力もなんも、そんなもん警察に任せとけばよかろ?』野太い声が、静かなカフェの中で響き渡り、周りの客が何事かと視線を浴びせてくる。ガタイが大きく、髪を短く刈り上げているので、色紋付羽織袴の男性は、さながら菅原文太のようで、昔さながらのヤクザを彷彿とさせた。その隣に凛とした姿勢で立つ環は相変わらずド派手さが漂うパンク系ファッションで、鋲を打った革ジャン、引き裂かれたTシャツ、タータンチェック柄のボンテージパンツ、ネイティブアメリカンのお店で売られているようなネックレス、安全ピンのピアスにガーゼシャツ、真紫の寝癖のような無造作ヘアでぱっと見、二人は何の関係性なのか全く分からない。一気に荒っぽい雰囲気の充満したカフェは、あらゆるところから、ヒソヒソと小声が木霊して、鈴木は身の置きどころのなさに、終始ソワソワしていた。しばらく待っていると、カフェの入り口の方から小柄な女の子が少しおどおどした様子で、こちらに向かってきた。小さなフリルがあしらわれた丸襟シャツに、カーディガンをレイヤード。カーディガンのボタンをすべて閉め、首元から丸襟をのぞかせお洒落な雰囲気にふんわり広がるタフタスカート&細いヒールのロングブーツで白いマフラーを羽織っていた。『叶愛!』と鈴木が声をかけると、こちらにちょこんと頭を下げた。ポニーテールにした少し日焼けした小顔の女の子は、鈴木とは似ても似つかないくらいの可愛らしくて可憐な美少女だった。四人は所在無さそうに、周りをキョロキョロしながら、空いている席を探して腰掛けた。叶愛は、コーヒーに砂糖とミルクを驚くほど入れると、熱いのもかまわずに一気に飲み干した。空になった紙コップを眺めてふうっと大きく息をすると、大事そうに紙コップを両手に抱えながら、事の真相を話し始めた。数日前からストーカーに狙われていること。通学のバスの中で、制服やカバンをカッターナイフのようなもので切られたこと。無言電話がたびたびかかってくることなど、かなり悪質な手口である。源太郎はコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、むーんとうなり、あとはずっと黙っていた。『叶愛ちゃん、それ、警察に相談したの?』と環が聞くと、叶愛は申し訳無さそうに首を振った。鈴木は環がこのような事態の為にわざわざ連れてきてくれた用心棒である源太郎をチラリと横目で見る。環には申し訳ないが、大柄で袴の上からでも分かるがっちりした体型の持ち主でも、片脚だけではどうも心許ない。俯き加減で目を瞑っていた源太郎は、鈴木の視線に気づいたのか、顔をあげて鋭い視線を浴びせてきた。『なんか?』ふいに源太郎に声をかけられて鈴木は慌てふためいた。『い、いえ、その、あの』源太郎は、ぎろりと鈴木を睨みつける。その視線の強烈さに鈴木はぎくりとさせられた。『叔父さんが片脚だから、不安なんだよね。そうだよね?』隣りにいる環は、無遠慮に鈴木に言うと、源太郎の眉はますますつり上がっていた。『大丈夫、この人、こう見えて剣道三段だし、元空手の師範でもあったから』と源太郎の肩をバンバンと叩いた。『で?儂らは何ばすりゃ良かばい?』源太郎は、環と叶愛を交互に見ながら聞いた。叶愛は申し訳無さそうに背中を丸めていた。『決まってるじゃん!夜の見回り兼叶愛ちゃんのボディーガードよ』『はあ?』環が言い終わるや否や、源太郎は顔をしかめてカフェに響くようなドスの効いた野太い声があげた。『デカい声を出さないでよ!叶愛ちゃんびっくりしてるじゃん』環は源太郎のいかり肩をグーパンチで殴り嗜めた。『ボディーガードも何も儂はそげんこと一切聞いとらん!』『いま言ったじゃん!』『なんかー』カフェのテーブルを挟んで、ワチャワチャと取っ組み合いのようなものが始まり、鈴木は慌てて止めに入る。『ちなみに、すずピッピの友達の鵜澤さんも参加してくれることになったから』環は源太郎の胸ぐらをつかみながら、間に挟まれた鈴木の方を向いて言った。『ここにリアル三匹のおっさん成立だね』『誰がおっさんかあ?』『あ、ごめん、おじいさんだ!』源太郎と環の二人の漫才のようなやり取りにリラックスしたのか、叶愛はクスリと笑みをみせた。『あの、私は何の特技もない、ただのしがないサラリーマンなんですけど…』鈴木はかしこまりながらか細い声を出した。『可愛い娘さんの為ならケビン・コスナー並みに身体を張れるでしょ!』環に軽く肩を小突かれて、思わず身体を丸めた。翌日、夜の見回りの為に、鈴木は定時で会社をあがらせてもらい、三匹のおっさんチームは鈴木宅で待ち合わせをした。『よお、きさん中々よかところに住んどーね』野太い声に振り返ると、羽織袴の源太郎が玄関先に居て、鈴木は驚きのあまり、ひゃっと声を出した。そして間もなく、『うぃー、来たぞー』と鵜澤もツナギのままやってきた。右手にはゴルフクラブを握りしめていた。『それは、物騒でないかな?』と鈴木は鵜澤に注意をうながした。『なに、これはただの脅しだって』『けど、警察に職質受ける元だぞ、そりゃ』鈴木は半ば呆れながら苦笑した。『ところで、こちらの方は?』と鵜澤は話をはぐらかすように、右手を源太郎の方に指し示す。今日の源太郎は松葉杖でなく、白杖を手にしていた。ストーカーを叩きのめすためであろうか、鈴木は身震いした。『こちらの方は、猫下さんの叔父の源太郎さん』鈴木から紹介を受けても源太郎さんはニコリともせず、憮然とした表情のまま正面を見つめていた。環は仕事のために来ることが出来ず、叶愛は自宅の部屋にて勉強をしていた。夜の帳が下りる中、ズッコケ三人組ならぬ三匹のおっさんは、パトロールを始めた。白杖を持つ初老の男性と、ゴルフクラブを持つツナギの男に、上下スウェット姿の、なで肩でさえない中年。一見したところ何の接点も感じられない三人は、口も聞かないままに歩き始める。『どう歩きゃあよかばい?』源太郎は先々進みながらも焦れて、後ろを振り返り鈴木に尋ねてきた。ぬっと懐中電灯を持ち、菅原文太のような厳つい顔を寄せてきたので、鵜澤は『うひゃあっ』と思わず悲鳴をあげてしまった。その瞬間、鈴木の腕を見知らぬ誰かがぐいと掴んできた。『うわっわわわっちょっ』源太郎と鵜澤は前を歩いていたので二人のどちらかではないことは確かである。鈴木は緊張で背中に猛烈な汗をかいていた。『げ、げ、源太郎さん』と懸命に声を出した。源太郎は何かを察したようで、持っていた白杖をびゅんびゅんと振り回し、鈴木の腕を掴む影へと近づいてくる。振りほどけ無いほどの強い力に鈴木は腰が抜けて尻もちをついた。こんな状態にも関わらず、源太郎が弧を描きながら振り回す白杖の音か妙に耳に心地良く聴こえた。源太郎は『かあぁーっ』と雄叫びをあげて、白杖を振り下ろすと、カコーンという音が暗闇に響き渡り、ドサリと何かが倒れた音がすると、鈴木を掴んでいた手は放され、解放された。懐中電灯で照らして確認すると、制服警官が頭にこぶを作り横たわっていた。『ストーカーん正体はこいつやったんか?』源太郎は打ち下ろした白杖を構え直し、鈴木と鵜澤に聞いた。『いや、絶対に違うでしょ』鵜澤は青ざめた表情で答えた。鈴木は腰を抜かしたまま呆然と事態を見守っていた。

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