第5話
そして、マーメイド号に乗る日がやってきた。雲のひとつもない快晴の空を見て、その素晴らしさに感謝してしまった。軍服の人魚姫のことを調べるのがあまりにも嫌で、現実逃避しようとしていたのだろう。
しかし、これをやることになったのは私にもきっかけがある。嫌だ嫌だと思ったところで、最初から断れば良かったのではという考えがよぎってしまうため、諦めざるを得ない状態になってしまった。
覚悟を決めて、船が出る港まで行った。しかし、前日まで別の仕事があったせいで、寝不足だった私は、いつの間にか寝てしまっていた。どんだけ寝るんだ。
起きたのは、その港がある駅まであと少しで着くというタイミングだった。危ない。今回は寝過ごさずに済んだ。
駅から出て、港の方に向かう。そこには、魚の鱗のような柄の描かれた、一際目立つ船があった。近所の人だろうか、大勢の人々、特に家族連れが集まっていた。
その群衆を全く相手にすることなく、私は船へと向かった。エメラルドグリーンの美しい色の船、マーメイド号。私はそこに乗り込んだ。
乗り込んですぐの所に、見覚えのある男性が立っていた。間違いなく、石田さんだ。
響「こんにちは、青井さん」
蒼介「あ、響さんすか。こんちわっす。ついに来ましたね、マーメイド号の初航海」
響「そうですね」
蒼介「楽しみすか?」
響「そうですね。結構ワクワクしてます」
軍服の人魚姫のことを考えなくていいなら、自動で動く船に、無料で乗れるというのだ。なんて貴重な経験だろう。少しばかり心を弾ませていた。
響「それで、あなたは何してるんですか?もしかして、先に乗って整備とか?」
蒼介「違いますよ。なんか、俺が乗客の世話をしないといけないらしくて」
響「それは…大変そうですね」
蒼介「ホントっすよ。というわけで、俺が荷物は部屋まで持っていきます」
響「いいんですか?そのぐらいなら自分で…」
蒼介「大丈夫っすよ。そもそも、誰がどの部屋なのか把握してるのは俺だけですし」
響「じゃあ、お願いします」
蒼介「はいよっと」
せっかくの機会なのに、ここまで働かされるなんて、便利屋というのは大変だと思わされる。さすがの探偵でも、ここまで忙しくなることはない。
そもそも、私と青井さんでは根本的に仕事が違うので、一概に比べようもない。しかし、仕事の種類の幅広さを考えると、まだ探偵のほうが楽な仕事だと思う。
もっとも、探偵の中で言えば、私はトップクラスに大変だと思う。基本的に浮気調査や迷子のペット探しなどといった日常的な内容ならいいのだが(浮気は本当に日常的なのか?)、私は殺人事件の推理をすることがやたら多い。心労の絶えない仕事だ。
自分の仕事のことを考えつつ、船の甲板に出た。海を見てみたが、特に感動することなんてなかった。水平線に昇る太陽も、透き通った青の海も、そこにはない。期待なんてしていなかったのでそこまで気にならないが。
私の部屋に荷物を置いてきた青井さんが戻ってきた。しかし、私の方には来ないで、さきほど私が荷物を渡した場所に立っていた。恐らく、乗客全員の荷物を運べと言われているのだろあ。やはり大変だ。一気に二人来たら手伝ってあげよう。
そこに、二人組がやってきた。一人は白髪がよく目立つ男性、もう一人は黒と緑の二つの色の髪をした女性だ。歩き方や荷物などを見ていると、どこか親子のようだと思わされる。
蒼介「こんにちは。おふたりは黒子 拓次(くろこ たくじ)さんと溝辺 緑(みぞべ みどり)さんであってますか?」
拓次「そうです。私が黒子、こちらが、娘の緑です」
蒼介「了解です。それじゃ、荷物は俺の方で部屋まで持っていきますよ」
緑「本当ににいいんですか?一人で持っていくには重いと思いますよ」
拓次「緑、そんなに大きなキャリーケースじゃなくても良かったんじゃないか」
緑「しょうがないでしょ、いい感じのかばんがなかったんだから」
蒼介「あー、気にしないでいいっすよ。そんぐらいなら持っていけます」
緑「いいんですか?本当に」
蒼介「大丈夫ですって。本当に」
響「青井さん。もし良ければ、私がお手伝いしましょうか?」
蒼介「え?響さん、いいんすか?」
響「もちろんです。せっかくですし、お手伝いしますよ」
蒼介「じゃ、こっちをお願いします。部屋割りは、客室の前にそれぞれのネームプレートがあるんで、それを参考にしてください」
響「了解です」
私は、黒子さんの荷物を持っていくことになった。溝辺さんのキャリーケースを大きいと言っていたが、黒子さんのかばんも重いので、あまり人のことを言えたものではない。
しかし、引っかかることがある。黒子さんは娘だと言っていた。これは間違いないことだ。そうだとしたら、やはりおかしいと思う。どうして、黒子さんと溝辺さんは、親子でありながら名字が異なっているのだろうか?
気にしないでいいことだとは思うが、気になってしまうとそのことが頭から離れない。何もないはずがない。家庭内のいざこざぐらいなら何とか無視できるかもしれないのだが、もしそうでないとしたら。
恐ろしい想像だが、もし過去に何かしらの事件に巻き込まれたとか、そういった事情が絡んでいるとしたら。他人事のはずなのだが、どうにも無視しがたい。
私の探偵としての癖が行き過ぎたものなのか、はたまたこの時点で嫌な予感がしていたのか、それは分からない。しかし、これだけは確信していた。あの親子は、容易に話せないような秘密を抱えている。
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