ドゥラエレーデの思い出2 戦績

 4戦目はいきなりの重賞挑戦となり、東京芝1800mG2東京スポーツ杯2歳Sに出走します。

 この時の鞍上は世界的名手ライアン・ムーア騎手を迎え、ファンは歓喜しました。

 ゲートが開くと滑らかにスタート、内で1馬身ほど先行した馬の横につけ、コーナーを回っていきました。非常に無駄のない動きでポジションを確保します。

 最内より少し外の芝の良い場所を走りつつ、内の馬と逃げて最終コーナーで合図が入り、ドゥラエレーデは先頭に立ちました。

 共に逃げていた馬や先行策をとった馬はそのまま後退、残り200mを切った当たりから後続勢が差足を伸ばし、差し切られての4着となりました。

 差し有利の中で先行勢で再先着となり、相手も後に重賞戦線を賑わすハーツコンチェルトやダノンザタイガーという中で4着というのは、非常に意味のある4着でした。

 人気を背負った注目馬達の影に隠れてしまいましたが、確実に実力を見せていました。また、名手が導き出した先行力と最後までファイトする根性強さを最大限に活かした競馬は、彼の最適解でもありました。

 このレースでドゥラエレーデがいつか一発確実にやってくれるだろう、そう確信し、それは他のファン達も同様でした。


 そして、5戦目で初のG1、中山芝2000mホープフルステークスを次の舞台としました。

 その年の2歳重賞戦線の締めを飾る舞台で、強敵達が揃いました。前走で対決したハーツコンチェや血統がやばいファントムシーフ、派手な戦績を引っさげた馬達が名を連ね、ドゥラエレーデはめちゃくちゃ地味なポジションとなりました。勝ち上がりに3戦要したダート勝ち上がり馬程度の扱いだったと思います。そういうわけで、18頭中14番人気というG2四着の成績がないものとされた人気となりました。

 そして、この時の鞍上はやはり乗り替わり、5番目の男として手綱を取ったのはドイツリーディング3年連続一位の初来日短期免許外国人騎手、バウルジャン・ムルザバエフ騎手となりました。

 ドイツリーディング3年連続一位とかいう化け物ジョッキーが来てドゥラエレーデファン、どころか日本競馬ファンがビビり倒しました。別にいつもの短期外国人という人もいました。

 日本で初めてレースをして勝利した際には、ムルザバエフ騎手を当然のようにドイツ人と思っていた競馬民はアジア系の顔立ちに予想を何かと裏切られました。イメージと違う人が来たのでそれで軽く盛り上がった覚えがあります。

 ムルザバエフ騎手は活動拠点がドイツですが、出身地はカザフスタンだそうです。アジア系です。

 そうして未知の騎手を背に大舞台、歓声の中でドゥラエレーデはその身をゲートに収めました。十番ゲートからすっとゲートを出たドゥラエレーデはそのまま内によりつつ、鞍上横山典弘で逃げを打った8番トップナイフの外につけます。

 前走と同じく逃げ馬をピッタリとマークしたままレースは進み、最終コーナーで鞍上が促し、直線で内のトップナイフに並びかけました。

 追い越しを狙って、逃げ切りを計って両馬の騎手がムチを振るい、横山典弘のトップナイフとB・ムルザバエフのドゥラエレーデによるマッチレースが始まりました。暮れの中山の芝は後続の脚を鈍らせ、先頭2頭との2馬身差は埋まらず、2022年最後のG1は、中山は完全に両者の為の舞台となりました。

 怒涛の勢いで絶えずムチが飛び、手綱を握る手すらも常に全力で馬を促し続け、2頭は並んでゴール板を通過しました。

 その1馬身半程度遅れて大外を回ったC・ルメール騎乗キングズレインが入着しました。

 はっきり言ってどちらが勝ったかわかりませんでした。

 短く長い審議の時間が終わり、正式に着順が発表されました。


 1着ドゥラエレーデ


 2着トップナイフ


 3着キングズレイン


 鼻差にも満たない、僅かな差でドゥラエレーデが壮絶な負い比べを制し、G1勝利の栄光を得ました。

 私の人生において最上の喜びと言っても過言ではない瞬間でした。今回綴っているドゥラエレーデもですが、3着キングスレインも好きな馬の一頭でした。応援していた馬二頭が両方入着したという喜びも加わって、あの瞬間は最高の時間でした。

 あの時、あの瞬間に死んでも悔いは無かったです。むしろ、あの至上の歓喜の中で命を終えるのは、開け放たれた天国の門へ祝福を受けながら踏み込むのと同じでした。

 言葉は不要です。あのレースと勝利の前にいかなる賛美の言葉もその価値を失います。

 この勝利によって来日3週間かでムルザバエフ騎手はG1勝利騎手となりました。他のレースでも勝ちまくってたと思います。台風一号ライアン・ムーアが去って、台風二号バウルジャン・ムルザバエフがやって来たという状況だったと記憶しています。

 とにかく叩き合い、最後の競り合いに強く、並んでゴールしたときの勝ったな的な安心感はムルザバエフ騎手のみです。

 日本競馬民の脳を焼き払って去っていきました。


 6戦目はなんと海外戦、G2メイダン、ダート1900mUAEダービー。鞍上はC・デムーロ騎手で挑みました。

 元々勝ち上がりはダート、スタミナもあるので長いダートはいけるだろう、ただし向こうの砂が合うか。という具合で半信半疑な意見があったと思います。

 そもそも、初めての条件と初めての騎手が多すぎるのがドゥラエレーデのローテ。

 初海外の大舞台の幕が開けると、まず最内から日本馬デルマソトガケが飛び出しハナを主張。8番ゲートにいたドゥラエレーデは鞍上C・デムーロに促され、早々に逃げたデルマソトガケの1馬身ほど後ろにつけます。

 日本馬ワン・ツーのままレースは進み、コーナーで鞍上の手が動き、ドゥラエレーデも首を下げてストライドを伸ばしていきます。しかし、差を詰めさせるどころか先頭デルマソトガケは他馬を突き放して一着、続けてドゥラエレーデが2着となりました。

 勝ち馬のデルマソトガケはドゥラエレーデの新馬戦にいた一頭で、2頭のワン・ツーはある種運命的でした。

 着差も1着から2着まで5馬身、2着から3着まで5馬身という具合でかなり圧倒的なレースとなりました。

 映像で見ると着差がどんどん広がり続けるので、どんどんカメラが引いていくというなかなかお目にかかれないレースとなりました。

 このレースでは日本が大活躍をしており、3着コンティノアール鞍上坂井瑠星、4着ペリエール鞍上O・マーフィーと日本場が四着以上を独占しました。もう一頭の日本馬ゴライコウ鞍上川田将雅は残念ながら12着という結果でした。


 7戦目は東京芝2400mG1日本ダービー、鞍上はやはり変わって坂井瑠星騎手となりました。

 2000mがベストというのがファンの中でもあったので、距離が長いという意見が多かったかと思います。

 ゲートが開いた瞬間、騎手を振り落として一人旅に出かけて行きました。

 良くない意味で記憶に残るダービーでした。


 8戦目は阪神芝2200mG1宝塚記念に幸英明騎手で挑戦となりました。

 初の2200m、たかが200mとはいえ、あまり距離の融通の効くゆとりある馬体ではなかったので、距離延長のお試し程度の認識が多かったかもしれません。私はそういう姿勢でいました。

 宝塚記念はファン投票の為、強い馬が集まり、世界リーディング1位のイクイノックスがいたりと豪華メンツ勢ぞろいでした。

 レースでは勝ちパターンの逃げの後ろで待機し、コーナーで交わすといういつもの戦法でしたが、流石に相手も悪くねばりも虚しいく10着という着順でした。

 残り200m当たりで脚が鈍っていたので、やはり2000mが限界というのが示されたというレースでした。


 9戦目は中山芝2200mG2セントライト記念に出走となりました。また2200だよ。

 ファン内では距離に何かと不満が集まりましたが、決まったものは仕方がありません。それよりもここでようやく、9戦目にして騎手かぶりが発生しました。今回の鞍上は坂井瑠星騎手です。ダービーは落馬からの競走中止なので、見方によってはやはり初騎手もではありますが。

 レース内容はもう前走とほぼ同じです。言うことは無いです。

 そんな事より一着馬レーベンスティールとその鞍上J・モレイラ騎手の話がしたいくらいです。

 本題からズレるので次に行きます。


 10戦目は中京ダート1800mG1チャンピオンズC、今回はなんとあのバウルジャン・ムルザバエフ騎手が手綱を取ることとなりました。聞くところによるとドゥラエレーデに騎乗するため、来日を早めたとかなんとか。ファンは泣いた。インタビューでドゥラエレーデは思い出深い馬とか言ってて更に泣いた。

 伝説のコンビ復活で最高潮に達する中、9番人気に支持されて。

 9番人気だと。どうしてそうなった。舐められるにも程があると。多くのファンはそう感じました。UAEダービー2着馬がここまでコケにされた事例は今までないでしょう(データには基づいていません)。

 レースでは、内枠5番ゲートから出るとゆっくりと前を伺いますが、外から坂井瑠星騎手が促し促しのレモンポップが大外から最内へ切り込み、逃げを打ちます。そこですぐには内に向かわず、外の馬を交すと少しだけ進路を外に出して他馬の進路をカット、コーナー付近で逃げるレモンポップの1馬身半後ろにつけます。

 隊列が決まり、レースが動いたのはやはりコーナー、ここでドゥラエレーデが追い越しを図りますが、逆に離され、内から松山弘平騎手がムチを入れたテーオーケインズが上がってきます。

 ここで易易と抜かされないのがムルザバエフ騎手とドゥラエレーデ、粘りに粘って鼻差以上は譲りません。このまま2頭が2着3着と思われました。

 しかし、2頭の競り合うその外から全身を躍動させダイナミックに追う原優介騎手の期待に応え、渾身の末脚を爆発させたウィルソンテソーロがレモンポップすら捉える勢いで上がって2着を攫って行きました。

 テーオーケインズとの追い比べを制したドゥラエレーデは3着となりました。

 とりあえず、全てが良かったレースです。一着は距離不安を跳ね除け、逃げの技術はトップレベルの坂井瑠星騎手と共に逃げ切りを果たしたレモンポップが一着。

 二桁人気の予想を一蹴し、勝利を虎視眈々と狙い、チャンスを活かして最も印象的な戦いを演じた原裕介騎手とウィルソンテソーロが2着。

 名手のテクニックと追いの技術、状況を選ばない安定した強さと競り合いにおける無類の勝負強さを見せ、実力を証明したバウルジャン・ムルザバエフ騎手とドゥラエレーデが3着。

 他馬も素晴らしい馬でした。


 現状のドゥラエレーデの戦績は以上となります。


 10戦目にしてようやく多くの人達がドゥラエレーデの実力を認識した。今はそんな状況じゃないかと私は思っています。少々遅かったかもしれませんが、対戦相手が対戦相手なので仕方がないと言えるでしょう。

 とにかく、ドゥラエレーデという馬が強い馬だと認識されてとても嬉しく思います。

 時々、適性不明とかなんとか色々言われてますが、やはり馬体的特徴からダートによっていると思います。しかし、芝でもやれる馬と思っています。

 あと、ムルザバエフ騎手は永久ドゥラエレーデ担当騎手でいてほしいです。ちなみに身長は169で騎手の中では高身長で手足の長い体をされています。武豊なみです。

 真面目な話をすると、逃げを見ながら他馬にプレッシャーを与え、ベストなタイミングで仕掛ける等、ドゥラエレーデの勝ちパターンはテクニカルであり、馬の勝負強さを十二分に活かした競り合いも追いの技術が必須です。

 それらの要素を高い次元で備え、特に競り合いには絶対的な強さを発揮するのはバウルジャン・ムルザバエフ騎手の他にいないでしょう。

 今はまだ3歳であり、晩成血統的にもこれからもっと活躍していく可能性は十分にあります。ゆくゆくは名の通り、父の後継者として種牡馬としても活躍してもらいたくも思います。

 これからのドゥラエレーデの活躍を期待し、無事に競争馬生と残りの馬生を健やかに過ごしていける事を願います。



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