第47話 人を信じたい
初戦は一分ほどで終了する。あまりに呆気なさ過ぎて、何もしていない気分になった。
「文雄、レディ相手に本気を出すなんてはしたないよ。ちょっとくらいは手加減してよ」
「そうだ、そうだ。男と女では勝負にならないぞ。片手縛りくらいのハンデをよこせ」
琴美からの理不尽な抗議に、苦笑いを浮かべる。片手を封印したら、ボールをキャッチするのは無理だ。
「詩織を入れたとしても、絶対に勝てないぞ。別の競技で優劣を競うことにしようぜ」
琴美に腕をつかまれた。予期していないことだったので、頭は真っ白になった。
「橘くん・・・・・・」
名前はかろうじて聞こえるも、そのあとは何も耳に届かなかった。いじめを受けた脳が、音をシャットアウトしていた。
10分くらいして、ようやくこちらに戻ってくることができた。
「橘くん、どうしたの?」
詩織もどういうわけか、右腕をつかんでいる。彼女たちは何を目的としているのだろうか。
言葉を話せそうにない男に変わって、南が事情を説明する。
「琴美さんが腕をつかんだ瞬間に、いじめの記憶がフラッシュバックしたんだと思う。見た目は取り繕っていても、傷は相当なレベルに達している」
詩織は何を思ったのか、体を思いっきり寄せてきた。
「橘くん、つらい思いをしていたんだね」
先ほどまで仲間だったはずの女性は、1億パーセントの嫉妬を見せつける。
「文雄、デレデレしないで」
詩織はやっていることに気づいたのか、体を勢いよくはなした。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
南と抱擁したときとは、異なる温かさがあった。体温は同じだとしても、感じ方は異なるらしい。
四人のところに、体育の教師がやってきた。
「橘、体育は楽しいか?」
「まあまあといったところです」
男なら気楽にやれるけど、女とはそうはいかない。神経に気を配りながら、運動することを必要とされる。
「二人三脚をやってみたらどうだ。彼女たちを信じてあげられたら、未来のヒントをつかめるかもしれない」
「今は無理です」
「植野、朝倉の二人は、橘を心から信頼している。そうでなかったら、二人三脚をやろうなんていわない」
琴美、詩織ははっきりと頷いた。
「そうだぞ。ペアとして走ってみようぜ」
「橘くん、一緒に走ろうよ」
南の不機嫌メーターは、さらにパワーアップ。体育の授業が終わったときに、大爆発するのは確実だ。
「真心、不機嫌な顔をするな。橘は心のピースを、一つずつ、一つずつ、取り戻そうとしているところなんだ」
「は~い」
南だけでなく、いろいろな人と仲良くなりたい。その思いに嘘はつけなかった。
「植野さん、朝倉さん、一回ずつ一緒に走りたい」
琴美はゴリラのように、胸をパンパンと叩いた。
「善は急げだ。すぐに行こうぜ」
「植野さん、力が強すぎるよ」
腕を引っ張られる男を目の前にして、詩織はくすりと笑っていた。南はいつにもなく、悲しそうな表情をしていた。
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