第36話「瓶詰伯爵は常闇の魔女さんに服従したい」(2)
視線の先には17、8歳くらいの少女が立っていた。身なりからして間違いなく、どこかの貴族のご令嬢だろう。深紅のドレスに白いローブ、金色の髪が良く映える可愛らしい子だった。
零れ落ちそうなほど大きな目に涙をいっぱいに溜めていたのだが、どうやらその瞳は明らかに私を睨みつけていた。もしかしなくても彼女の目的は私に間違いない。
「メルリ、エステルをお願い。オリビンもスフェンも、先にシェリルさんのお店に行って」
「キーラはどうするんだ?」
私がちらりと彼女を横目で確認すると、みんなは納得したように頷いた。
近くにお付きの者がいるだろうが、今のところ彼女は一人。勇敢にもたった一人で立ち向かおうとしているのだから、死霊とはいえ男三人を従えて迎え撃つわけにはいかない。
「お嬢、ご武運を」
「キーラ様、あまりご無理なさらぬようお願いしますね」
「ほどほどに頑張るわ」
メルリ達を送り出し、いざ彼女と対峙する。瞬き一つせず、ポロポロと涙をこぼしながらこちらを睨みつける彼女に、妙な罪悪感を覚えながら一歩ずつ近づいた。
「ちょっと、よろしいかしら? あなたが常闇の魔女ね」
「……えぇ、そうよ。その様子だと、私を待ってたのかしら?」
声をかけると、彼女は体をびくりと跳ね上げた。強気の姿勢は崩していないものの、私に対する恐怖心が瞳の奥にちらついている。残念ながら、私は彼女のことは何も知らないけれど、おそらく彼女は私に纏わる噂は聞いているのだろう。魂を食われるとか呪いをかけられると思い込んでいるのは明白。私が動く度に体をビクビクさせるから、見ていて少し面白い。
「こんな夜に一人で待ち伏せなんて、よほど言いたいことがあるみたいね。私に何の用かしら?」
「先日、贔屓にしている仕立て屋で領主様にお会いしましたの。本当にお美しい方で、息をしていらっしゃるだけで尊いような……はぁ、思い出しただけで胸がいっぱいになりますわ。白金色の髪も、俯いた時に見える長い睫毛も、あぁそれから、ティーカップを持つ長い指もたまらなく色気がおありで――」
話始めたかと思えば、その勢いは一気に加速して止まらなくなった。私の予想通り、彼女の目的はノアと関わりのある私に抗議をするためだ。
ノアが私のことを話して回っていることで、その影響力は街の人が徐々に好意的になり始めただけではない。ノアに一目惚れをして恋に落ちた令嬢たちの嫉妬の矛先がすべて、私へ向けられるようになってしまった。
クムンドから帰国してからというもの、こうしてノアに振られた令嬢たちに待ち伏せされることが非常に増えてしまった。私自身が彼女達に直接何かをしたわけでもないのに、どうして恨まれたり嫌がらせを受けなければならないのか。とんだとばっちりだ。
「わたくしが店を出ようとした際に、執事よりも先に扉を開けてくださいましたの。目が合った時、お恥ずかしそうにしていたので、きっとノア様もわたくしのことを……その時、確信しました。わたくしの旦那様はノア様以外に存在しません。誰よりもノア様を愛し、添い遂げる自信があります。この想いは誰にも負けませんわ!」
彼女の話はまだ続いている。睫毛の長さから目の色、しまいには指先の細さや綺麗さの話までしている。
話を要約すると、彼女は仕立て屋で偶然会ったノアに一目惚れをし、紳士的な態度で接してくれたことで、ノアも自分のことを気に入ってくれたという出来事を自慢しているのだろう。恋は盲目というが、まさに彼女のためにあるような言葉。私は彼女が心地よく饒舌に話しているのを黙って聞いていた。
「ノア様はとってもいい香りがしますの。あの香りはノア様のために作られたような高貴な香りでしたわ」
「なんとも素敵な出会いをされたのですね。よかったではありませんか」
「よくありません!」
たまっていた涙をハンカチで拭ったかと思えば、キリッと表情が険しくなり、悔し気に唇を噛み締めて私に迫った。キスでもされるんじゃないかって錯覚するくらい、顔をぐっと近づけて至近距離から威嚇してきた。
「わたくし、どうしてもノア様を手に入れたくて、お父様に頼んで縁談のお話を進めてもらいましたの。そうしたら、誰からの縁談も受けずにお断りしていると聞いて……調べてみれば、ノア様はあなたみたいな得体の知れない魔女に心を奪われていると聞いて、いてもたってもいられなくて!」
「え、得体の知れないって……」
なんと失礼な。確かに、私自身が自らのことを他人に話していないし明かしていないのも原因だが、相手もそれを〝知ろうとしない〟で遠巻きに見ているだけだから得体が知れないわけだ。
ノアが私に心を奪われたということまで調べ上げたのなら、もう少し私についても調べておいでと喉まで出かかったが、面倒なことになりそうなので飲み込んだ。
「人の魂を食べるとか死霊の餌にするとか、物騒な噂しか聞かない魔女なんかに、ノア様が想いを寄せるなんて考えられません。妙な魔術を使って心を惑わしているのでしょう? さっさと魔法をといて差し上げて。迷惑ですわ」
「領主様を虜にして私に何の得があるっていうの? 心配しなくても、あなたの恋を邪魔するつもりはないから安心して。好きなだけノアを慕ってあげて。私は先を急いでいるから、これで失礼するわね」
「逃げるつもり!? やっぱりノア様に妙な魔法をかけているのねっ」
その場から逃げようとする私を食い止めようと、彼女は慌てて立ちはだかった。こちらに手を伸ばし、腕を掴まれそうになった瞬間――体がふわりと後ろに引かれた。
腕の中にいると認識したと同時に、柑橘系の香りが鼻先を掠めていく。抱き寄せているのがノアだと振り返らなくてもわかってしまった。
「ノア様!」
悪魔のように険しかった表情も一変。彼女の顔は瞬く間に恋する乙女全開の眩い笑顔に早変わり。視線は私を通り越して背後にいるノアに向けられていて、なんだか存在を忘れ去られたようで寂しくもある。
「こんばんは。君は確か、フェデル男爵のご息女、ベリア嬢ですね」
「わたくしのことをご存じでしたの!?」
「えぇ、もちろん。フェデル男爵が所有する農園で作られた葡萄酒は有名ですし、私の父もよく取り寄せて飲んでいましたからね」
「そうでしたのね……ノア様! わたくし、初めてお会いした時からずっと――」
しっ、とノアは自らの唇に人差し指を立てた。彼女はごくりと息をのんで、うっとりと目を潤ませながら口を閉ざした。
言うことを素直に聞いている彼女を見届けるやいなや、何を思ったのかノアは私を抱き寄せる腕に少し力をこめた。まるで大切なぬいぐるみに身を委ねるみたいに、安堵の溜息をつく。
ノアがどんな表情をうかべているのか見えないが、目の前に立ち尽くす彼女の表情はしっかりと見えていた。ノアが私を抱き寄せるたびに、耳まで真っ赤に染めて恥ずかしそうしながらも、瞳には嫉妬と悔しさをしっかりと浮かべていた。
「申し訳ありませんが、その先の言葉を受け取ることはできません」
「わたくしはまだ何も!」
「二人を見つけた時から話は聞こえていましたから、言わなくてもわかりますよ。見ての通り、私は彼女に心を奪われています。もちろん、彼女の魔法にかかっているわけでもなく、すべて私の意思です」
「あぁっ、ノア様……」
ノアが私の髪を指に絡め取って、そっと唇を寄せた。
勝手に何をしているのかと強烈な恥ずかしさに焦る私を前に、彼女はその仕草をうっとりと羨ましそうに見つめている。「わたくしも同じように扱ってほしい!」なんて言葉が今にも聞こえてきそうなほど熱い眼差しを向けている。恋する乙女、おそるべし。
「キーラ、今日も最高に素敵だ。これから買い出しか? 今日は俺がポトフを作ってあげるよ。森から歩いてきて疲れていない? 邸まで抱っこしてあげようか?」
「いえ、今日の献立は決まってるし、自分で歩けるから遠慮するわ」
「相変わらず冷たいな。でも、それが素敵なんだよな。キーラ、遠慮しないで俺を使っていい。ほら、何でも言って」
そう耳元でささやきながら、ノアはちらりと彼女を見やる。おそらく、私にかけている言葉と行動の半分は本気で、残り半分は彼女の心を揺さぶるための挑発だ。
ノアを手に入れたいと必死になっている彼女には少々酷なことだろう。盲目的に突き進んでくる彼女には、ここまでしなければ伝わらないのかもしれない。
「わたくし、諦めませんから!」
いいだけ見せつけられた彼女は、半ば叫ぶように言い放って走り去った。
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