第34話「予言の魔女」(7)

 室内に渦巻いていた風がぴたりと止んで、静まり返った部屋には小鳥の囀りが優しく広がる。ディオーネが消えたことで、ようやくフロイドが我に返った。きょろきょろと辺りを見回し、目を丸くしたまま頬に触れたり額を押さえて呆然としていた。


「き、消えた! えっ、やっぱりあれは夢? いやいや、でもこんな昼間から夢見るとか、僕仕事しすぎなのかな」

「夢でも幻でもないわ。あなたのご先祖様が肖像画に棲みついていて、私が来たから出迎えてくれたのよ」


 座り込んでいるフロイドに手を貸して立ち上がらせたとたん、盛大な溜息と同時に抱き着かれた。ずっしりと体を預けるように圧し掛かられ、苦しさのあまり唸ってしまった。


「うあっ、苦しっ!」

「はぁー、びっくりしたよぉ。僕さ、敵国の騎士とか野盗とかは容赦なく倒せるんだけどねぇ。幽霊とか死霊っていうの? そういうの見るとなんか力抜けちゃうんだよねぇ。あぁ、思い出しただけで眩暈が……」

「フロイド、今すぐに離して。呪うわよ?」

「キーラの呪いならいつでも歓迎するよ」


 ノアと同じことを耳元で言われ、苦々しく顔を歪めて奥歯を噛み締めた。どうして私に寄ってくる男は変わり者ばかりなのか。服従したいだの、呪いをかけてくれだの。やはり私は呪われているのだろうか。それともそういう運命にあるのか。

 半ば諦めかけたところで、私に巻き付いているフロイドが引きはがされ、その瞬間に私はノアの腕の中にすっぽりと納まる。私を取り戻したノアの表情はなぜか自信満々。今までなかった余裕さに満ち溢れている感じがするのは、きっとディオーネに言われた言葉がかなり影響しているようだ。


「残念だけど、キーラが俺以外の男を選ぶことはないから諦めた方がいい」

「はぁ? 誰がそんなこと決めたんだよ」

「君の先祖のディオーネだよ。俺にかけられた呪いを解くには、俺とキーラが心の底から愛し合うようにって条件を出したんだ。ディオーネは未来を予知する魔女なんだろう? つまり、俺とキーラの未来も決まってるってことだ」

「いやいや、死霊になった魔女の予知なんて当たると思えないねぇ? ディオーネの予言に従って密航したことは目を瞑ってやったけど、陛下に報告して今すぐ処罰してもらおうか?」

「そんなことしたら、ディオーネに負けないくらい強力な呪いをかけてあげるわよ?」


 ああでもない、こうでもないと言い争う二人の会話に言葉をかぶせて遮った。

 私はいたって真剣だし本気で話しているつもりだ。それにもかかわらず、ノアが背後で「かっこいい」とか「どこまでもついて行くよ」と騒ぐし、睨まれたフロイドはなぜかうっとりして気味が悪い。


「いやいや、怒った顔も美しいねぇ! あぁ、ゾクゾクするよ」

「はい、はい……それよりフロイド、帰りの船を手配してもらってもいいかしら?」

「えっ? もう帰っちゃうの? ずっとクムンドにいればいいのに。僕がしっかり面倒みるよ?」

「それはお断り。ここへ来た目的は果たせたけど、長居はできないわ」


 一応、クムンド帝国とエルディア帝国の国交は途絶えたまま。本来であれば、交流が続いている他国へ渡って、船や馬車を乗り継ぎながら何週間もかけて入国するしかない。それを全て飛ばして最短経路で、おまけに貨物として入国した密航者だから、ここで咎められたら勝ち目はない。その時は蒼ノ月の期間が終わっているだろうから、魔術をどうとでも対処できるが、できれば極力魔術は使いたくないものだ。


「秘密裏に用意してもらえない?」

「もちろん、キーラの頼みならなんでも叶えてあげちゃうよ。あぁ、そうだ……ザザには気づかれないように動かないとなぁ。あいつめちゃくちゃ細かいしバカ真面目だし、小言が多くてさぁ」


 その姿でも想像したのか、フロイドは面倒そうに顔を顰めた。

 おそらくザザというのは、フロイドの傍にいた隻眼の騎士のことを言っているのだろう。眼帯をしているのに僕の行動を逐一把握していて怖いだとか、慎重すぎて腹が立つとブツブツ文句を言っていた。


「フロイド、なんとかなりそう?」

「ザザさえなんとかできれば問題ないさ。船が手配できるまで少し時間がかかるから、ここでゆっくりしてるといいよ。あとで双子ちゃんに食事用意させるからさ」


 そう言ってフロイドは軽快な足取りで客間の入り口へ向かう。外へ出ようとした直前で何か思い出したらしくか、ドアノブを掴んだままこちらに半身だけ振り返った。じっと真剣な面持ちでこちらを見つめたかと思えば、ニッと白い八重歯を見せて無邪気に笑った。


「いつか国交を復活させて、自由に会いに行けるようにするよ。キーラのことは諦めないから、そのつもりで待っててよねぇ。あっ、そっちの瓶詰伯爵は消えろ」


 私に向けていた笑顔とは打って変わって、今にも飛びかかってきそうな野犬のような顔をノアに向けて部屋を出て行った。嵐が去ったあとのような静けさだけが室内に残った。


「厄介な人と関わっちゃったわね……」

「ちょっと面倒だが、エルディアに戻ってしまえば簡単には会いに来られないから平気だ。もし来られたとしても、俺が追い返すから安心していい」


 そこで会話は途切れ、再び静けさの中に置かれる。沈黙は二人きりであることをより強く認識させるせいか、視線一つ動かすのも躊躇ってしまう。

 目を合わせられずにいる私を誘うように、ノアは存在を確かめるように私の手に優しくれた。反射的に顔を上げたその先にあったのは、目を輝かせて色っぽく微笑むノアの顔。我慢できない、そんな嬉しさと愛おしさが溢れたように力強く抱きしめられた。


「ノア! 急にどうしたのよ」

「キーラ、ありがとう」


 泣きそうになるくらい、優しくて温かい言葉が返ってきた。

 茶化すわけでも、冗談で言っているわけでもない。溢れ出す想いを吐き出したような、そんな言葉に聞こえた。

 いつになく唐突だったから突き飛ばしてやろうかと思ったが、そんな優しい声で言われたらそれもできなくなった。行き場を失っていた手を、恐る恐る背中に回す。応えるように、ノアが抱きしめる腕が強くなった。


「この呪いが解けることはないって、生まれた時から諦めてた。正直、ここへ辿り着けても無理だろうって思ってたが、それが手の届くところまで来た。全部、キーラのおかげだよ」

「言っておくけど、ディオーネの出した条件を揃えないと解いてもらえないのよ?」

「簡単な条件だよ。必ず俺のこと好きになってもらうから。いや、そうさせるよ」

「自信たっぷりね」

「キーラのことが好きだからね」


 ―― キーラ、あなたにとってノアは特別な存在になるわ


 私はディオーネの言葉を何度も繰り返していた。

 ディオーネが二つの条件を突き付けたということは、いずれノアが特別な存在になるという未来が待っているということ。そして、ノアの呪いが解ける時、私はノアを心の底から愛すということだ。

 私とノアが呪いを解く方法を求めてエレミア家へやってくることを、300年も前から予知していたくらい魔力の強い魔女。私の想いがノアに向き始めることも、きっと私以上に察知しているのかもしれない。ノアがこれ以上呪われないよう、私のことを諦めてもらうつもりだったのに、状況は私の願いとは逆の方へと進み始めてしまった。

 ノアを自由にするにはアーデンを見つけ出し、ノアを愛すこと。私を諦めさせるには、愛してはいけない。愛さなければ呪いは一生解けることはない。私にはどちらを選ぶことも切り捨てることもできない。矛盾と葛藤の狭間に置かれた今なら、アーデンの気持ちがわかるような気がした。

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