第33話「予言の魔女」(6)
「ディオーネ、お願いします。アーデンの想いを知っていたなら、もう呪いなんて必要ないじゃないですか!」
「そうねぇ。ただ、ここまできたら簡単に解くのも嫌よね? そうだわぁ、キーラ。交換条件なんてどうかしら? わたしが出す条件を二つ叶えてほしいんだけど」
柔らかくふわりと笑う可愛らしさの向こう側に、何やら怪しげな企みがあるのをはっきりと感じた。呪いを解くのを拒んだ上に、まだ何か条件を突きつけようというのか。見た目の穏やかさからは想像できないほど強気だ。
「条件ですか? しかも二つ……やっぱり呪いを解く方法はあるんですね!」
「まぁそいうことね。条件の一つは、アーデンの魂を見つけ出してここへ連れてくること」
と、私の鼻先を人差し指でトンッと突く。ひんやりと冷たい指先が触れ、むず痒くなってさりげなく隠した。戸惑う私に、ディオーネは相変わらず愛らしく微笑む。
「連れてくるってことは、アーデンの遺骨が必要ってことですよね?」
「正解。知っての通り、魂は体が眠っている地から遠く離れることはできない。わたしの体はクムンドで眠っている上に、死霊として契約してあの肖像画に縛り付けられているからキーラについていくこともできないわ」
「つまり、アーデンの遺骨があれば魂ごとここへ連れてくることができますね。でも、連れてきて何をするつもりなんですか?」
「もちろん、あの時のこと謝ってももらうのよ」
アーデンの嘘がディオーネへの優しさから起こしたことだとわかっていても、嘘をついて傷つけたことに変わりはない。おそらく、ディオーネはそのことを未だに根に持っているのだろう。
「わたしに嘘ついたこと、直接謝ってもらわないと気が済まないのよねぇ。死霊術が使えるなら問題ないでしょ?」
「はい、おそらく。ちゃんとお墓さえ残っていれば、呼び寄せることはできますけど……ねぇノア、アーデンのお墓ってあるのよね?」
「……多分」
返ってきた答えはなんとも歯切れの悪いものだった。思い出そうとしているのか、ノアは腕を組んで唸りながら何度も首を左右に傾げる。呪いを解く絶好の機会だというのに、出だしから雲行きが怪しくなってしまった。
「多分って、知らないの?」
「アーデンは第二代当主で300年前の人だからな。一応、グランフェルト家の一族が眠る墓地はあるが、俺も実際に行ったことがなくて」
「ノア、しっかり思い出して! 呪いが解けるかどうかが決まるのよ。瓶詰生活から解放される、またとない機会よ」
「そう言われても……」
ノアは記憶を辿ろうとするが、焦れば焦るほど思うように出てこない。
諦めるのかと言いたそうに、ディオーネが目を細めてにやりとする。こんなところで躓くわけにはいかない。呪いが解ければノアは自由の身。一緒にいれば呪われる私より、穏やかに過ごせる人がいいに決まっている。
「必ず見つけて連れてきます! もう一つの条件は何ですか?」
「キーラとノア。あなた達、心の底から愛し合う二人になってちょうだい」
ディオーネは小首を傾げて声を弾ませた。
突き付けられた言葉がすんなり呑み込めず、思わずノアと顔を見合わせた。きょとんとするノアを見ているうちに、だんだん言葉が体に染み込んでいく。とんでもないことを言っているのだと理解できた瞬間、冷や汗がどっと吹き出した。
「あの!? それも条件なんですか?」
「ノアはキーラが抱えている光も闇も全て受け止めてあげて。キーラも同じようにノアのことを受け止めて愛してあげること。それをしっかり見届けたら呪いを解いてあげる」
「そんな条件のめません! どうしてそんなこと、あなたに決められないといけないの?」
「わたしとアーデンみたいになってほしくないから。今のキーラは、あの時のアーデンみたいよ?」
茶化しているかと思えば、そう言って見下ろすディオーネの眼差しは真剣で、憂いと悲しみが薄っすら滲んでいた。
アーデンはディオーネの幸せを願って、あえて自分が悪者になることで彼女を遠ざけた。向けられていた愛情を憎しみに変えることで、別れたとしても未練を残すことなく別の人を愛すことができると思ったからだ。
かつてアーデンがそうしたように、今、私を想うノアを突き放そうとしている私は、きっとアーデンと重なっていたというのか。私はアーデンのようにノアのことを想っていないはずなのに……。
「キーラ! この条件なら全く問題なさそうだな!」
戸惑う私をよそに、二つめの条件を突きつけられたノアはなぜか余裕そうだった。何をもってして条件を突破できると判断できたのか。その呑気さには呆れて溜息すら出ない。
「何が問題ないっていうの。私はあなたのことなんて、これっぽっちも――」
「キーラ」
呆れたディオーネの声が耳に刺さった。溜息と同時に、こっちを向きなさいと言わんばかりに顔を掴まれてしまった。ムッとしたディオーネと、頬をつねられて戸惑う私が向かい合う。逃げようとすると、ディオーネはさらにムッと顔を顰めた。
「あなたはまだ、自分の過去から逃げ続けてるでしょ? 今の状態では進むものも進まないわよ?」
「……それが、あなたの見た私の未来ですか?」
訊ねた私に、ディオーネはただニコニコと笑っているだけで、その先に何が待ち構えているのか話そうとはしなかった。
大きな緋色の瞳は私とノアのどんな未来を見たのだろう。知りたいという好奇心と、知りたくないという恐怖心がせめぎ合う。結果を知ったところで、その通りにしなければならいわけじゃない。どちらにとっても幸せな結果であることだけを願うだけだ。
「残念ですけど、その未来は外れます。私はノアを好きになることは絶対にありません。独りで生きていくって、決めて――」
「甘いわねぇ」
「いたたっ」
否定したとたん、ディオーネに思いっきり頬をつねられた。涙目になる私を、呆れたようにムッと睨みつけたかと思えば、少し寂しそうに眉をひそめて溜息をつく。
「人間ってねぇ、決して独りでは生きていけないの。自分では独りだと思っていても、必ず誰かに助けられて支えられているものよ。あなたの傍には、あなたを必要としてくれる人がたくさんいるでしょ?」
その言葉が体の中に溶けるよりも早く、エステルやオリビン達の姿が脳裏を駆け巡った。
わかっている。口では〝独り〟だと言っているが、本当の意味での独りではない。母を亡くした瞬間から、幼い私に子猫のエステルが寄り添ってくれたから、ベルヴァータ家の広い邸も寂しくなかった。オリビンにスフェン、メルリだって、眠っていたところを突然死霊として叩き起こされたのに、文句一つ言わずに私のわがままに付き合ってくれている。
わかっている、わかっているの。だからこそ、彼ら以外に頼るわけにはいかない。大切な人を失う悲しみは母だけで十分。これ以上、そんな存在を増やしたくなかった。
「何と言われようと、私は私の思う通りに進みます。そうやって今まで生きてきましたから」
「もう、本当に強情ねぇ。自分は弱くてちっぽけな存在だと認めちゃいなさい。その瞬間からあなたはもっと強くなれるわよ。それと――」
床をトンッと爪先で蹴り上げ、ディオーネはふわりと宙に浮かぶ。少しだけ高い場所から身を屈め私の耳元に顔を寄せた。小さな声で何かを言っているのかよく聞こえなくて、首を傾げながら彼女の声に意識を集中させた。
「どうでもいい存在なら、アーデンみたいに冷たく突き放して知らないふりをしていればいいでしょ? ねぇ、どうして彼のためにそこまで行動するの?」
「それは……私といれば、必ず呪われて不幸になるから」
「ノアにはそうなってほしくないのね。それって、わたしに嘘をついたアーデンと同じ考えよねぇ。キーラ、あなたにとってノアは特別な存在になるわ」
何を言わんとしているのか、提示された言葉の一つひとつで思い知らされる。アーデンと同じ――それが私の心を大きく揺さぶった。
アーデンが嘘をついたのは、ディオーネを不幸にしないため。自分を犠牲にすることで立ち止まりそうになるディオーネを先の未来へと送り出した。そのアーデンと同じなら、私にとってノアという存在が大きく変化しつつあるということだ。
「二つの条件が揃ったら、グランフェルト家にかけた呪いは解いてあげる。また会えること、楽しみにしてるわねぇ、ふふふ」
勝手に押し付けられた言葉を否定しようとした矢先、ディオーネはふわりと宙に浮かんで、吸い込まれるように肖像画の中に消えていった。
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