第32話「予言の魔女」(5)
「本当、酷いわよねぇ。好きな女ができて子供まで身籠ってるからって突然言われて。一族諸共、呪いかけたくなった気持ちがわかるでしょ?」
「確かにそうですが……でも、アーデン独りで十分だと思います」
「わたしの気が済まなかったのよねぇ。彼があそこまでするんだから徹底的にやってやろうってね。あんな大嘘ついて、わたしを諦めさせようとしたんですもの」
一瞬、ディオーネが何を言っているのか理解できず、ノアと私は顔を見合わせた。
「大嘘?」
「アーデンはね、心変わりもしてないし別の女を選んでもいないの。わたしを不幸にしないために、自分を悪者に仕立て上げただけ。わたしがその事実を知っていたなんて、アーデンは気づいていないのよねぇ」
事実を認めたくない苦し紛れの言い訳か――そう思ったが、浮かべていた苦笑いからは、それが思い込みでも偽りでもないとわかる。
彼女が見せた記憶は紛れもない本物で、アーデンから実際に告げられたのは事実。大嘘というのは、アーデンがディオーネに告げた言葉の全てが嘘だったということだ。
アーデンは重い心臓の病を患っていた。特効薬もなく、当時は確実に命を奪う不治の病。アーデンはその事実をディオーネに隠していたそうだ。
いずれこの世を去る自分と結婚すればディオーネを悲しませることになる。だったら自分のことを心の底から憎むほど、冷酷に突き放して別れよう。そうすれば別の恋人と幸せになってくれるはずだ。そう願ったアーデンは別の女性を好きになり、子供を身籠ったという嘘をついてディオーネを自由にする計画を実行に移した。それがあの記憶の裏に隠された真実だった。
語られることのなかった真実を聞き、ノアはハッと思い出したように私の手を握った。
「そうか。アーデンが残した日記に後悔と謝罪の言葉ばかり綴られていたのは、心変わりしたことじゃなくて、嘘をついてディオーネを傷つけてしまったことに対しての後悔だったんだな」
「言われてみれば、確かにそうね。あの日記には、呪いのこと以外は、ディオーネの身を心配しているような言葉で埋められていたものね」
「あら。あの人、そんなもの残してたのぉ? 〝俺のことは忘れろ!〟なんて散々言って突き放したくせに、自分は未練たらたらだったのねぇ」
口調こそ嘲笑しているように聞こえるが、その時のディオーネは嬉しそうだった。
あの記憶を見る限り、アーデンは自分の取った行動に後悔などしている様子はなかった。別の女性を好きになったのだから仕方がない、諦めろ、自分に非はない――と。その末に呪いをかけられたのなら、あの日記にはディオーネに対する恨みの言葉が綴られていてもおかしくはない。後悔が綴られていたのは、ディオーネを想いながらも冷酷に突き放し、傷つけたからこその言葉だったのだと、真実を知った今ようやく理解できた。
「先に逝くとわかっていて夫婦になったら、残されたわたしに悲しい思いをさせると思ったんでしょうねぇ」
「それであんな嘘を?」
「彼が考えた精一杯の優しさだったんだと思うわ。計画がわたしに気づかれないよう偽の恋人まで用意していたし、グランフェルト家が途絶えないように弟さんの子供を養子に迎えていたし」
「養子!? 俺も父さんも、アーデンの直系のはずだと……」
「それもアーデンが仕組んだことねぇ。アーデンは未婚のまま一年後にこの世を去ったから、当然跡継ぎとなる息子なんて存在していないわ。後々調べられて気づかれないように、家系図にも細工したんでしょうねぇ」
思い返してみれば、アーデンが書いた日記は一冊分しかなかった。一年で彼が亡くなったのなら、彼の日記が一冊で息子に引き継がれた辻褄が合う。妻のことや子供のことが一切記されていなかったのも、おそらくそれが理由だろう。
「わたしが憎むくらいの理由を作れば自分のことも綺麗さっぱり忘れて、他の人と幸せになってくれるって思ったみたいだけど。そんな嘘、見抜けないわけがないでしょ? だってわたしは未来を予知する魔女だもの」
ディオーネは得意気になって言い放った。
どんなに慎重に気づかれないよう嘘をついたとしても、ディオーネはこれから起こるアーデンと自分の未来を予知していた。嘘をつくことも、その裏に隠された真実も想いも全て見透かしていたんだ。
「嘘をついているとわかっていて、どうして呪いなんて……」
「愛してるからに決まってるでしょ」
ディオーネは両手を腰に当てて自慢げに胸を張った。その言葉に臆することなく、さらりと当然のように言ってしまえる姿は可愛らしいとさえ思った。アーデンへの想いが強くなければ絶対に口にすることができない、まるで呪いのような言葉だ。
私がそう感じたように、ディオーネもまたその想いと言葉に縛られていたのかもしれない。得意げになっていたのはほんの一瞬で、フッと笑顔が消えて寂しそうに目を伏せた。
「先に逝ってしまうとわかっていても一緒にいたかったし、嘘なんてつかないで打ち明けてほしかったの。だから、わたしのことを一生忘れないように呪いをかけたのよ」
「せめてもの仕返しと、愛していたという証のための呪いってわけですね」
「ふふふっ、そういうこと」
「それにしても瓶詰の蝶の呪いって、なかなか酷い呪いだよな」
「蝶に姿を変えられるだけじゃなくて、瓶の中に閉じ込められるからね」
ノアはテーブルの上に置かれた瓶を苦々しく見つめた。ディオーネは少し申し訳なさそうに笑って、ノアが閉じ込められる瓶をそっと撫でた。
「皆には、ちょっとかわいそうなことしちゃったわねぇ。でもね、それも全てアーデンのため。彼の体を蝕む病が進行しないよう時間を遅らせるための、苦肉の策だったの」
蝶の姿に変えたのは、エレミア家の紋章である蝶にすることで、アーデンは自らの体が変化する度にディオーネを思い出すという理由からだった。一生苦しみなさい、という意味が込められていたらしい。もちろん、それはアーデンに対する嫌味。嘘がばれていることを知らないだろうが、そこに私は知ったうえで嘘に気づかないふりをしてあげたことへの、せめてもの仕返し。そして、私を忘れないでという、ささやかな願いを込めたのだ。
姿が蝶に変わったアーデンを瓶詰にすることで、彼の体に流れる時間を止める魔術が施されていた。治療法がなかった当時、ディオーネには時間を止めて少しでも命を長らえることしかできなかった。瓶の中に閉じ込められる間だけ、アーデンに迫る死期を遠ざけることができた。自分を不幸にしないため嘘をついた恋人に、嘘だと知りながら知らないふりをして助けようとしたディオーネの最後の魔術だったわけだ。
ノアが風邪をひいて寝込んだ時、本来であれば時間と共に治る病も、あの瓶の中では止まってしまう。10日以上も長く寝込んでいたのは、おそらく瓶にかけられた時を止める魔術が影響していたのだと考えると納得がいく。
「グランフェルト家に呪いをかけた理由は、これで全てよ」
「その話を聞いたら、このまま黙って帰るわけにはいかなくなりました」
まっすぐ見据えて一歩を踏み出して驚いたのか、ディオーネはほんの少し怯んで身構えた。私は臆することなく強気の構えでさらに一歩を踏み出した。
「もう一度お願いします。呪いを解いてもらえませんか?」
「嫌よ」
ディオーネはまるで子供みたいにそっぽを向いてしまった。すでにアーデンがこの世を去った今、グランフェルト家の呪いは必要のないものだ。どうしてそこまで頑なに拒むのか理解できなかった。
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