第31話「予言の魔女」(4)
「フロイド。この人がディオーネ・エレミアね」
「すごい、よくわかったね! その肖像画の女性が、グランフェルト家に呪いをかけたディオーネだよ」
「やっぱり。ずっと鳴り響いている鼓動が、この肖像画から聞こえてくるの」
なぜそんな音を私に聞かせるのか、答えを求めるように肖像画に手を伸ばした。
額縁に指先が触れた瞬間、聞こえていた鼓動が一際大きく鳴り響く。その瞬間、肖像画がカタカタと震え、壁の奥からこちらに向かって突進してくるような強い気配を感じた。
吹くはずのない風が室内でグルグルと渦を巻き始め、魔力を持たないノアもフロイドも、異変を感じで身構えた。
「キ、キーラ! 何か様子が……」
「ちょっと、ちょっと! なんか変な音するんだけど! キーラ、こんなところで魔術つかったらダメだよ!?」
「私は何も! 少し額縁に触れただけで――」
私の言葉を遮るように、室内を渦巻く風が轟々と唸りを上げた、その瞬間。ディオーネの肖像画から青白い光を纏った死霊がぬるりと飛び出した。それは死霊となったディオーネだった。
その光景を目の当たりにしたフロイドは目を見開いて力なく座り込み、頭を抱えて震えだす。騎士団の団長を務める身であるから、国境を守るために数多の戦いをこなしているはず。どうやら攻め込む敵を打つ強さはあっても、突然現れる死霊には弱いらしい。
「ディオーネ・エレミア!?」
「やっと来てくれたのねぇ。待ちくたびれちゃったわぁ」
肖像画に描かれたディオーネは、凛とした強さはもちろん、美しさの中に内包する薔薇の棘のような鋭さと気の強さが滲み出ていた。私の目の前をふわふわと浮遊しながら背伸びをする彼女は、口調はもちろん纏う空気も柔らかい。陽だまりでまどろむ猫のようだった。
「ちょっとぉ。300年ぶりに肖像画から出られたんだから、わたしに顔を見せてちょうだい。エレミア家次期当主なんだからしっかりしてほしいわぁ」
「いやいやいや、これは夢だ……こんな真昼間から幽霊とかありえないし……僕、仕事のし過ぎで疲れてるのかな……」
ディオーネはふわりと頭上を越え、座り込んでいるフロイドの顔を覗き込んだ。放心状態になっている子孫に呆れていたが、心なしか楽しんでいるようにも見えた。
「まったく、情けない子ねぇ。騎士団長が聞いて呆れるわぁ。まぁ、あなたとは後でたっぷりお話しできるものねぇ。そこで大人しく座っててちょうだい」
「あの、ディオーネ? どうして死霊に……もしかして私を待っていたんですか?」
「まぁ、そんなところねぇ。長々と手紙に書いて説明するのも面倒だし、残した手紙も子孫が三〇〇年も大事に管理してくれるとは限らないし。お友達の死霊使いに頼んで、わたしの魂を肖像画に繋ぎとめてもらっていたの」
ヒラヒラと翻るスカートを押さえ、よいしょと掛け声をかけながら静かに床へ降り立った。乱れたスカートの裾を撫でて整えたかと思えば、緋色の瞳は獲物に狙いを定めるようにノアを捉えた。滑るように目の前まで迫ってきたディオーネに、ノアがごくりと息を呑んだのがわかった。
「あなたがアーデンの子孫ね」
「は、はい。ノア・グランフェルトと申します」
「ふふっ、恐ろしいくらいにアーデンと瓜二つね。すごく腹が立つわぁ」
穏やかな表情や口調とは打って変わって、放たれた言葉は棘だらけ。むしろ鋭いナイフのようで、私もノアも驚いて言葉が出なかった。
想像とは違って穏やかな人だと思ったのは肖像画から出てきた時だけだ。恋人の裏切りから一族の末代まで呪いをかけるような魔女は、やはり想像通りに気が強い。
「そ、そんなに似てますか?」
「うん、物凄く。生まれ変わったんじゃないかってくらい似てる。あぁ、あの時のことを思い出したら余計に腹が立ってきたわぁ。ねぇ、もっと強い呪いかけてもいい?」
「あ、あの! 私達がここへ来た理由、知っていますよね?」
ノアとディオーネの間に慌てて割り込んだ。
鼻先に吐息がかかりそうなほど迫った美しい顔を瞬きせずに見つめる。ディオーネは長い睫毛をゆっくり上下させながら、じっと私の顔を見つめた。
「お願いです。グランフェルト家にかけた呪いを解いてもらえませんか? あなたの怒りや悲しみが理解できないわけじゃないけど、それを一族に向けるのは間違っています」
「まぁ、それはそうなんだけどねぇ。はいそうですかって、簡単に解くのも癪よ?」
「大切な人に裏切られる気持ち、俺にはわかります」
立ちはだかった私の背後から一歩踏み出し、ノアはディオーネとしっかり向き合った。目の前にある彼女の姿を焼き付けるように見つめたあと、彼女の前に跪いて頭を下げた。これにはディオーネも目を丸くして驚いていた。
「もしキーラが結婚を約束した恋人で、アーデンと同じように裏切ったら。俺も恨むかもしれない。アーデン・グランフェルトに代わってお詫びを……」
「ふふふっ、アーデンより優しい当主様ね。でも、本当に謝ってほしいのはあなたじゃないのよねぇ」
再びディオーネの刺々しい言葉が耳に突き刺さる。美しさに見合うだけの棘はたくさん持っているらしい。その言葉が出るのも、全ては恋人だったアーデンの裏切りが生んだものだ。
「アーデン・グランフェルトは、どんな裏切り方をしたのですか?」
私の問に、ディオーネが初めて言葉を詰まらせた。
優しさと強さを常に放っていた彼女が、ほんの一瞬だけ見せた悲しい戸惑いの色。きっと彼女の脳裏には、裏切られた時の光景が走馬灯のように駆け巡ったのかもしれない。
「……わたしの過去なんて、本当に知りたいの?」
誘惑するような、甘く危険を孕んだような声に一瞬躊躇いながら頷いた。
「そこが全ての始まりですから。ノアの呪いを解く鍵がそこにあると思っています」
「それは、あなた自身のため……じゃないわねぇ」
探るような眼差しがフッと緩んで、ノアが私を見つめる時と同じように暖かくて優しい微笑みに変わった。
「まぁ、いいわ。そろそろ潮時だろうから」
ディオーネは私に向かって手を差し伸べた。こちらへ来るように促され、私は警戒しながらも歩み寄った。伸ばされた手に導かれ、ノアの隣に立った瞬間、ディオーネは私とノアの頬に触れた。
すると突然、目の前に眩い光で溢れ、耳の奥から声が聞こえてくる。懐かしくて、愛おしくて、締め付けられるような寂しさと悲しさが襲った。
―― 気が変わったんだ! 俺に必要なのはお前じゃない
満月が輝く夜の丘に苛立ちの混じる声が響いている。うんざりした表情でこちらを睨みつけるその人物はノアに瓜二つの青年だった。
「アーデン、どうして急に!」
「説明したところで俺の気持ちは変わらないよ。ディオーネより大切な人ができたんだ。婚約の話はなかったことにしてくれ」
それはかつてディオーネが見た景色だった。グランフェルト家に呪いをかけるきっかけとなった出来事を、300年という時を越えて垣間見ている。ディオーネはその記憶を私とノアに見せてくれていた。
アーデンは冷たく言い放つと、ディオーネを置いてその場を去ろうとした。ディオーネは腕を掴んで引き留め、本当の理由が知りたいと問い詰めた。それでもアーデンは強引に振り解いて突き飛ばした。
「この際だからはっきり言っておく。お前は地位も財産もないただの魔女だ。グランフェルト家の繁栄には、富も権力もある家柄の妻が必要不可欠だって気づいたんだよ。その美しさに心を奪われたこともあったが、それも今となってはどうでもいい」
「アーデン……!」
「あぁ、そうだ。俺の妻になる女性は今、俺の子を身籠っている。ディオーネ、大人しく身を引いてくれると助かるよ」
離れて行くアーデンを引き留めようとするも、率いていた騎士たちに行く手を阻まれる。遠ざかっていく背中を見つめるディオーネの目に涙があふれ、瞬く間に景色がぼやけていった。
「抵抗するようなら街から追い出せ」
「承知しました」
氷のように冷たいアーデンの言葉を最後に、その光景はふつりと消えた。
伝え聞いていたアーデンの心変わりは、想像していた以上に冷酷で自分勝手なものだった。300年という長い年月をかけて言葉の角が削られ、少しばかり柔らかくなっていただけだろう。ノアはアーデンの裏切りに言葉見つからず動揺していることに気づき、私はとっさに彼の手を握りしめていた。
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