第30話「予言の魔女」(3)
港町ベルールからクムンドの帝都ダーリスへとやってきた。
砂漠のオアシスと呼ばれるダーリスは、地下から湧き出るオアシスを中心に栄えた大都市。街の至るところに泉があり、その美しい光景はエルディアのどこを探してもみつからない。幻想的な音楽が街にあふれ、彩るように踊り子たちが舞う様に、異国の地にいるのだと改めて思わされた。
賑やかな中心部とは打って変わって、エレミア邸があるのは街の外れにある小さな森の中だった。燦燦と降り注ぐ灼熱の陽射しは木々で遮られ、木漏れ日は心なしか柔らかくなっている。わずかな薄暗さが常闇の森と同じ匂いがするような気がして、張り詰めていた緊張がほんの少しばかり解けたような気がした。
通されたのは邸の一階にある客間だった。部屋の中央に円卓と椅子が四脚。姿が写り込むほど磨き上げられた石の床はひんやりと冷たい。開け放たれた窓からは少し温い風が流れ込み、レースのカーテンを静かに揺らしていた。
「とりあえず座って。今、お茶用意させたからさ」
促されるまま、私とノアは並んで席に座った。ノアは何か裏があるのではと警戒しているらしく、終始表情が険しい。フロイドが向かいの席につくと同時に、双子の召使いが焼き菓子と紅茶を運んできた。それぞれの前に並べられている間、私はさりげなく室内を見回した。
目に留まったのは入口脇の壁に飾られた女性たちの肖像画だった。おそらくエレミア家の血を受け継いだ歴代の魔女達だろう。この中の誰かがディオーネなのだろうかと、一人ひとりの顔を確かめていたところで、一番端に飾られた肖像画と目が合った。緋色の瞳は吸い込まれそうなほど済んでいて、じっと見つめていると今にも動き出しそうな錯覚に陥った。
「色々説明する前に、まずはこれを見てもらった方がよさそうだね」
傍に待機していた双子の召使いに目配せをする。二人同時にお辞儀をすると、抱えていた真鍮製の箱を私とノアの前にそっと置いた。開けるよう促されて蓋を取ると、中には今にも崩れそうな手紙が一通だけ入っていた。
「手紙? これは?」
「エレミア家が代々受け継いできたディオーネの〈予言〉だよ。そこにキーラとグランフェルト卿のことが書かれてる。僕はその予言に従って、今日ベルールに行ったんだよ」
―― エルディア帝国より常闇の魔女キーラ・ベルヴァータ、そして我が憎きグランフェルトの末裔ノア・グランフェルトがベルールに降り立つだろう。決して彼らを罰してはならない。丁重にもてなし、我がエレミアの邸へと迎え入れよ。
彼らがクムンドの地を踏んだ理由は私に纏わること。かつて愛した者、そしてグランフェルトの末代までかけた呪いを解くためである。
私とノアは底に書かれた一文を読んで顔を見合わせた。
この手紙がディオーネの直筆であるなら、300年前に書かれたということになる。信じがたい話だが、これが残されているということはつまり、ディオーネは300年後に起こることを知っていたということに他ならない。
「俺とキーラの名前も、それに日付と場所までしっかり書かれてるなんて……」
「ディオーネは私とノアが来ることを知ってたの?」
「ディオーネは未来を見る力を持った魔女だったみたいでさ。今日、キーラが港に現れたら丁重にもてなすようにって、そこに指示まで書いてあったでしょ? でも、まさか本当に現れるなんて思ってなかったからさ。正直びっくりだよ」
フロイドは驚きと困惑の混じる溜息をついて紅茶を飲んだ。
驚いたのは私も同じだ。騎士団が予想以上に早く駆け付けたのは、密航の情報が漏れていたのではなく300年前の予言だったなんて、にわかには信じがたい。ただ、それは私が知らないだけで、この世界にはまだまだ未知なる魔術を扱う魔女がたくさん存在する。この予言も嘘偽りのない事実なのだ。
「予言を読んだなら私がここへ来た目的も当然知ってるわよね? ディオーネがかけた呪いを解く方法を教えてほしいの」
「残念だけど無理だよ。手紙の二枚目を見てごらん」
「二枚目?」
ボロボロで崩れそうだったこともあって恐る恐る触れていたせいで、もう一枚あることに気づかなかった。指をそっとこすり合わせると、重なっていたもう一枚の手紙が顔を覗かせた。
―― 彼らは我が妹の末裔フロイド・エレミアに、呪いを解く方法を求めるだろう。だがしかし、私はその方法を残さずにこの世を去ろう。決して、あの呪いだけは解くつもりはない。
刻まれた文字がディオーネの決意を物語っていた。
代々受け継がせる目的でこれを残したのは、ここへ来た私とノアに宣言するため。それほどまでに恋人だったアーデンの裏切りが許せなかったということ。300年という時間を越えてなお、その悲しみと憎しみが消えることがないとわかっていたわけだ。
「その手紙に書かれている通り、ディオーネは呪いを解く方法を残さなかったんだ。もし仮にそれが存在していて方法を知ってたとしても、それはディオーネのみぞ知るって感じだね。子孫に残されていたとしても、末裔である僕は男だ。魔女の力は女性にしか受け継がれないから、ディオーネの子孫であっても魔術は使えないよ」
ノアは私の手から手紙を取り、そこに書かれた言葉を何度も指で追いかけながら読み返した。何度見ようと記された事実が変わるわけではない。ただ、呪いから解放されるかもしれないと微かな希望を抱いてここまできたせいか、簡単に諦められないのだろう。期待させてしまった私にも責任はある。申し訳なさから、無意識のうちに唇を噛み締めていた。
「本当に何も残っていないのか? 何一つ?」
「一応、僕もエレミア家の末裔だからね。当時から残っているものは全て目を通したけど、グランフェルト卿の呪いについてはそこに書かれていることだけだったよ」
「それだけ、恨んでいたってことなのね」
ディオーネの想いは、私が想像していた以上に強く深いものだったのだと思い知らされた。裏切られた心の傷の深さまで図りきれなかった。
魔女は独自に生み出した魔術は、魔術の発展と繁栄のために記録として残されることが多い。だから、呪いをかけたと言っても、解く方法を残していないなんて少しも疑わなかった。それほど恋人だったアーデンはディオーネを深く傷つけたのだということだ。
クムンドにまで足を運んだというのに、これで終わりなのだろうか。本当にディオーネは何も残さずこの世を去ったのだろうか。フロイドは何もないと言い切ったけれど、それはあくまで彼が見た答え。何かあるのではと考えていた時、ふとどこからか奇妙な音が聞こえてきた。
最初は気のせいかとも思ったが、それは徐々に強さを増していく。ドン、ドドン、ドン、ドドンと、まるで距離を縮めるように大きくなっていた。
「キーラ、どうした?」
黙り込んでいる私に気づいたノアが不思議そうに顔を覗き込んだ。その間も、耳に届くその音が響いている。
「何か音が……ほら。この音、聞こえない?」
「音? 何も聞こえないけど」
「本当に聞こえないの? ほら、この地響きみたいな……ううん、これは心臓の鼓動?」
―― ドクンッ
一際大きく届いたその音で確信した。私の耳にだけ届いていた不可思議な音は間違いなく鼓動だった。どういうわけかノアとフロイドには聞こえていないらしい。席から立ち上がって部屋を見回す私を前に、二人は訝し気に顔を見交わした。
呼ばれている。言葉でなく直感でそう思った。音に誘われるまま席を離れ、私の足は迷うことなく壁に飾られた肖像画へ向かっていた。ずらりと並んだエレミア家の魔女たちの中から、私は迷うことなく緋色の瞳をもつ魔女の前に立っていた。間違いなく、鼓動はその肖像画の奥から響いていた。
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