第29話「予言の魔女」(2)

「キーラ、大丈夫!」

「え、えぇ」

「あぁ、よかった」


 柔らかく微笑んだかと思うと、ノアは私の前に跪いて忠誠を誓うように手の甲に唇を寄せる。おそらく貴婦人に見せつけるためにあえてその行動に出たようだ。

 突き飛ばされた貴婦人は、私同様に傍にいた執事に抱き留められていた。彼女としては老紳士よりも若く美しいノアに抱きしめられたかったに違いない。助けてくれた執事の顔を見るないなや、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。「触らないで!」と、せっかく助けてくれた執事を突き飛ばしてこちらに迫ってきた。


「よくもわたしくに手を出して――」

「申し訳ありません」


 ノアは迫ってくる貴婦人に素早く頭を下げた。再び顔を上げて真っ直ぐに見つめ、優しく微笑む。たったそれだけの行動で貴婦人は魅了され、それ以上何も言えなくなった。


「お気持ちは嬉しいのですが、私には忠誠を誓った主がおります。すでにこの身は主のもの。どうかご理解ください」


 欲しいものが手に入らなくて悔しいのだろう。貴婦人は唇をきゅっと噛み締め、私を横目で睨みつけた。歳を重ねても中身はまるで子供のよう。これからもわがままにお過ごしください、と心の中で呟きながら笑顔を返した。


「つまらない時間だったわ!」


 そう捨て台詞を吐いて貴婦人は去っていった。厄介な相手からようやく解放され、私とノアは同時に溜息をついた。


「はぁ……助かった。キーラ、ありがとう」

「なかなか戻ってこないから。様子を見に来て正解だったわね」


 呆れる私と、うんざりしているノアの力ない笑いだけが交わされる。途切れた会話と沈黙の中で、ふとノアが何かを企むような表情を浮かべた。まるで悪戯でも思いついた子供みたいだったせいか、何を企んでいるのかと身構えた。


「俺があのご婦人に捕まってた時、少しはヤキモチ焼いてくれた?」

「どうして私が?」

「さっき割り込んだ時に、ちょっとイラッとした顔してたから。もしかして、と思って」


 何を期待しているのかと呆れて嘲笑した。

 事を荒立てたくないノアの気遣いなのだろうが、貴婦人の言葉を強く突っぱねられないところには苛立ちもした。それがヤキモチではないと思っていたその感情は、本当にそうだったのだろうか。腹が立ったのは貴婦人の強引さやノアのはっきりしない態度だけだったのか。あらためて問われると明確な答えが出せない。黙り込んでいると、ノアが嬉しそうに目を細めた。


「少しは気になったんだよな?」

「それ以上言ったら呪ってやるわよ」

「キーラの呪いならいくらでも受け止めるよ」


 その時の声はお世辞抜きで嬉しそうだった。呪いをかけられることを自ら望むなんて、やはり変わり者だ。


「それより、ここへ来た目的があるでしょ? 遊んでる場合じゃないんだから」

「もちろん、わかってる。ディオーネの子孫、フロイド・エレミアを見つけないとな」


 密航までしてクムンド帝国へ来たのは他でもない。ノアの一族にかけられた三〇〇年の呪いを解くこと。子孫であれば何か手がかりを受け継いでいる可能性がある。問題はこの広大な国でたった一人の魔女の末裔をどうやって見つけ出せばいいのか。


「キーラ、あてはあるのか?」

「困ったことに全然ないの。でも、方法は考えてあるわ」


 抱えていた瓶と着ていたローブを脱いでノアに託し、長い袖を巻くって両手を前にスッと突き出した。そっと目を閉じて、大地を巡る魔力の流れを探っていく。

 蒼ノ月が昇る期間ではあるが、太陽が昇っている昼間は月の力が弱まる。全く魔力が亡くなって使えない夜よりも、昼間の方が幾分か魔術は使えそうな感覚があった。


「キーラ、何するつもりだ!?」

「一人ひとり訪ね歩いてる時間はないわ。だから、フロイドを誘き出す。〝Afunruアンフル paruパル Horokewホロケウ〟」


 ローブの下にできた僅かな影から唸り声を上げ、漆黒の狼たちがいっせいに飛び出して駆け回った。人々は突然現れた無数の影の狼たちに恐怖し、悲鳴を上げながら逃げ惑う。少々心苦しさを覚えながら、これもノアの呪いを解くためと自らに言い聞かせて術を使い続けた。


「我が名は常闇の魔女! この地を我が物とすべくここへ来た! その魂を食らわれたくなければ、騎士フロイド・エレミアを連れてくるがいい!」


 これでもかと、悪い魔女を演じて声を張り上げた。人々は魔女が襲ってきた、魂を食われると恐れてさらに逃げ惑う。もちろん、本当に襲うつもりもないし魂なんて食べるわけもないのだが、それだけ驚かせば騒ぎを聞きつけて騎士団が動き出すはず。探す手間が省けるという算段だ。


「おい、見ろ! 騎士団だっ」

「団長様!」


 恐怖と戸惑いに満ちていた人々の声が歓喜に変わった。

 蜘蛛の子が散るように、群れていた人々がスルスルと左右に分かれ、開いた道の先からクムンド帝国の旗を掲げた騎士団がやってきた。


「キーラ、本当に来た!」

「噓でしょ。到着するの、早すぎじゃない?」


 突然現れた魔女が暴れていると、この場所に居合わせた誰かが騎士団の元へ向かうまで多少の時間はかかると踏んでいた。それまで暴れ回るか、近くの酒場にでも立てこもって到着を待つつもりでいたというのに、私の予想より遥かに早い到着だった。

 たまたま近くにいたのだろうか。いや、それにしても早過ぎる。もしかしたら密航したことが事前に漏れていて、待ち伏せをしていたの可能性もある。どちらにしても、騎士団と接触できたのは好都合だった。


「ちょっと、そこの魔女さん。このうろちょろしてる狼? 悪いんだけど、引っ込めてもらえるかな?」


 騎士団を率いてきたのは私と歳の変わらない青年騎士だった。

 腰まである長い黒髪を一本の三つ編みに結っていて、後ろ姿だけなら女性と間違うほどに美しい。すらりと背は高いものの、従えている屈強な騎士達とは違ってどちらかといえば華奢な方。お堅い身なりに反して、言動はやけに軽い印象を受けた。


「そなたに用はない。騎士フロイド・エレミアをここへ連れてまいれ!」

「はい、はい。妙な演技はそこまでにして。目的はわかってるから安心しなよ、キーラ・ベルヴァータ」

「どうして、私の名前を!?」

「さて、どうしてだろうね」

「団長、拘束しますか?」


 傍にいた隻眼の騎士がそっと耳打ちをすると、彼はにやりと不敵に笑って首を横に振った。その場で待機するよう合図をし、彼は単身でこちらにやってきた。

 一歩、一歩とゆっくり追い詰めるような足取りから、突然タタタッと助走をつけて距離を詰めた瞬間、彼は素早く私がかぶっていたローブのフードを素早くはぎ取った。至近距離でまじまじと私の顔を見つめたかと思えば、満面の笑顔で私の手をしっかりと握った。

 ふわりとただよう柑橘系の爽やかな香りと、目の前に迫る目鼻立ちの整った綺麗な彼の顔に思わず後ずさり。それを逃がさんとばかりに、彼はさらに詰め寄った。


「まさか、本当に現れるなんてびっくりだ。それ以上に、僕が想像してたよりもめちゃくちゃ美人だね。あぁ、食べちゃいたい」

「ちょっとどこ触ってるのよ!」

「うわ、肌すべすべ! どうしよ、これは好きになっちゃうやつだな。すっごい僕の好みだよ。ねぇ、僕の恋人にならない? 絶対損はさせないからさ、恋人になっちゃいなよ」


 強引に押し進める積極的な態度はノア以上に暑苦しかった。今までノアも鬱陶しいと感じていたが、彼と比べたら可愛らしいもの。圧力が強すぎて眩暈がしそうだった。

 抵抗する気力を圧し折られて拒めずにいると、危機感を覚えたノアが慌てて割り込んだ。彼の手を叩き払い、怯んだ隙に私を引き離して素早く自らの後ろに隠した。


「俺の婚約者に気安く触るな」

「こ、婚約者!? いつそんな約束したのよっ。服従したいって勝手に言ってるだけで、それだって私は認めてないんだから」

「待ってくれ、俺はキーラ以外に考えられない!」


 目の前で繰り広げられる言い合いに彼がフッと吹き出した。

「なーんだ、ただの片思いじゃん。それなら僕が狙っても問題ないってことだねぇ」

「問題大ありだ! キーラは俺だけの――」

「はい、はい。わかってるよ、グランフェルト卿」


 食って掛かるノアに、彼はさらりと言った。私だけではなく、彼はノアのことも知っていた。やはり密航の情報が事前に漏れていたのだとしたら、今ここで彼に接触するのは危険かもしれない。


「あなた、何者なの?」

「申し遅れました。クムンド帝国騎士団長フロイド・エレミアと申します。以後、よろしくね」

「あなたがディオーネの! どうして私とノアのことを知ってるの?」

「話せば長くなるから。とりあえず僕の邸に行こうか。僕も二人に話したいことがあるし」


 品定めをするみたいに私とノアを眺めたかと思えば、素早くノアの背後に回り込んで私を搔っ攫った。気づけばフロイドの腕の中で、抱き寄せる手はしっかりと私の腰に回されていた。暑苦しさもノア以上で、手の早さもノアの上をいく厄介な男だ。


「キーラは甘いもの好き? 美味しいタルトでも買ってから行こうか?」

「おい、さっきからキーラに触り過ぎだ! 触るな、離れろ、口を開くな!」

「団長! 皆が見ておりますっ。そういった軽率な行動はお控えくださいと、何度言ったらわかるのですか!」


 ノアに責められ、隻眼の騎士も釘をさす。二人からぎゃあぎゃあ責め立てれ、フロイドは面倒そうに顔を顰めた。たかるハエを追い払うように手をヒラヒラさせて、あとをついてくるノアと隻眼の騎士から小走りで逃げ出した。


「あぁ、うるさいなぁ。お前もザザも、男ならもっとどんと構えてろっての!」

「う、うるさいとは何ですかっ。私は団長の印象を心配してですねっ」

「そんなことどうでもいいから、キーラを離せ!」


 魔女の大暴れなど比べ物にならいくらい騒ぎながら、私達は騎士団を率いて広場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る