第28話「予言の魔女」(1)

 頭上に広がるのは雲一つない青空。そこから放たれたジリジリと熱を帯びた光が、黄金に輝く砂漠の大地を照らしている。

 焼け焦げてしまいそうな陽射しに息を切らしながら、フラフラと覚束ない足取りで賑やかな港街を歩く。目深にかぶったフードの下から空を見上げて盛大な溜息をついた。


「キーラ、大丈夫か?」


 あとを追ってついてくるノアが心配そうに声をかけた。

 私はぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返りながらじろりと彼を睨みつけた。ノアは申し訳なさそうにしながらも、相変わらずニコニコと笑っていた。


「大丈夫なわけないじゃない……」

「だよな、へへ」

「嬉しそうにしないでよ」


 昨日の夕刻、私とノア、バサルトの三人は糸目男の連絡を受けて小国ナバナの港町へ向かった。貨物として貿易船に乗れるよう手配する約束だったが、予定よりも積み荷が増えてしまったことで一人分しか用意できなくなってしまった。

 いつどこで蝶に戻ってしまうかわらないノアを乗せるわけにもいかず、当初の予定通り私一人で乗り込むことにしたのだが、当然ノアがそこで素直に帰るわけがない。自分も行くと言ってきかないし、諦めるようバサルトにも説得されても断固拒否。


 出航の時刻が迫る中、運がいいのか悪いのか、偶然にもノアが人間から蝶へと戻ってしまった。瓶詰の状態になったのをいいことに「一人分の貨物で間に合う!」と一歩も引かなかったため、最終的には連れて行ってくれとバサルトに託されてしまった。

 こうして無事、私とノアは酒樽の中に忍び込み、貨物として密航に成功した。幸いなことに、船に乗っている間もノアが人間に戻ることはなく、体の変化が起こるとすればクムンドに到着してからだろう――そう踏んで彼を連れてきたのは誤算だった。


 当初、船は翌日の朝方に到着する予定だったのだが、天候が荒れたせいで到着が大幅に遅れていた。その結果、狭い樽の中でノアが人間に戻ってしまうという最悪の事態になった。窮屈なうえに息もできないほどの密着状態。一応〝貨物〟ということになっているため、苦しいとも助けてとも叫べない。そんな中、ノアは少しでも樽の中の空間を確保しようと私を抱き寄せてやり過ごそうとしたのだが、それは逆に心臓に悪い。

 瓶詰ならぬ樽詰めに遭いながら、ようやくクムンドの港町ベルールに着いたのは翌日の昼下がりだった。


「キーラ、怒ってるのか?」


 溜息しかついていない私にノアがおずおずと訊ねた。


「……怒ってない」

「声が怒ってるじゃないか」

「ノアは楽しそうね」

「えっ? いや、ほら。キーラを抱きしめられたから、つい」


 思わず本音が出てしまって恥ずかしくなったのか、ノアは気まずそうに頭を掻く。そんな顔をされると私まで恥ずかしくなってしまった。国交を絶っていた敵国の地を踏んでいるというのに、私もノアも緊張感が足りないかもしれない。

 国交を絶った敵国と聞いて身構えていたが、ベルールもまたその地に根を張る街の一つ。帝都近郊の港町となんら変わらない。ただ違うのは、帝都やダナエでは滅多に見かけない商人達が行き交っていることだろうか。

 砂漠が大地の大半を占めているからか、街を行き交う人々の肌は淡いミルクティー色に染まっている。確か、バサルトも同じ肌の色をしていたから、ひょっとすると彼の血はこの国にルーツがあるのかもしれない。


「キーラ、まだ怒ってるのか?」


 黙って街の様子を眺めていたから、まだ機嫌を損ねていると思ったらしい。こちらの様子を窺うノアは、悪さをして叱られた子犬みたいな目をしていた。なんだか私が悪いことをしたみたいな気分になって、それ以上怒る気にもならない。


「怒ってないから気にしないで」

「本当か? あっ、そうだ! ずっと隠れてたから何も食べてないし、お腹すいたよな? 俺、何か食べるもの探してくるよ」

「ノア、今はそんなことしてる場合じゃ――」


 止める間もなくノアは私を残して走り去った。追いかけようと踏み出すも、港を行き交う人混みに紛れてしまい、あっという間に姿が見えなくなった。


「行っちゃった……思い立ったらすぐ行動に移す癖、どうにかしてほしいわ」


 ここは慣れ親しんだ故郷でもなければ、住み慣れたダナエでもない見知らぬ土地。闇雲に追いかけて探してもはぐれるのは目に見えている。ノアが帰ってくるのを待った方が無難だろう。

 この国の人々は比較的鮮やかな服装を纏っている。目がチカチカするような赤や黄で溢れているせいか、真っ黒なローブを纏っている私はかなり目立ってしまっていた。だが返って目立ちやすいのは確か。じっとしていればすぐに見つけられるはずだと、露天が並ぶ通りに建てられた国王像の前に立って帰りを待つことにした。


 それからどのくらい経っただろう。待てど暮らせどノアが戻ってこない。長いこと国王像の前に立っているものだから、行き交う人々がさすがに怪しみ始めた。全身黒い上に大きな瓶を抱えているから尚更だ。夜に紛れてしまえば目立つことのないこのローブも、雲一つない眩い青空と鮮やかな色に溢れたこの街では嫌でも目についてしまう。

 辺りを軽く見回せば食事を売っている店はいくつか確認できる。手に入れてすぐ戻って来られそうなものだが、帰りが遅いということは私が好きそうな食べ物を探して遠くへ行ってしまったのか。帰り道がわからなくなって彷徨っているのか。


「このままだと、ここに来た目的が果たせないかも」


 さすがに痺れを切らして、国王像の前からそろりと動き出した。

 行き先に見当はつかないものの、とりあえずノアが走っていた方向へ進んでいった。この国の人は肌がミルクティー色で髪も黒や赤毛が多い。ノアの白金色の髪と雪のように白い肌は遠くからでも目立つはずだ。あの見慣れた色を探して辺りを見渡すと――


「あなた、何が不満だというの?」


 露天商達の呼び込む声の中から、一際甲高い声が耳に届いた。声のする方を見やると、煌びやかな深紅のドレスに身を包んだ60前後の貴婦人が、ノアの腕を掴んで迫っている光景が目に飛び込んできた。

 貴婦人を怒らせるようなことをしたのではないかと、思ったのはほんの一瞬だった。


「わたくしの邸で働きなさい。そなたのその美しい顔を毎日眺めていたいわ」


 急いで助けようとして駆け出したものの、聞こえてきた言葉に思わず足が止まっていた。怒らせて詰め寄られていたのではなく、ノアの容姿をたいそう気に入った貴婦人が使用人ならないかと言い寄っていただけだった。

 ノアはやんわりと怒らせないよう言葉を選びながら断っているが、貴婦人が引きさがる様子もなく、むしろ強引さは増すばかり。なかなか戻ってこなかったのは、貴婦人に捕まっていたせいだったようだ。


「お気持ちは嬉しいのですが、私は先を急ぐ用事がございますので……」

「あら、そんなものはわたくしが解決してあげるわ。言ってみなさい」

「いえ、初めてお会いした方にご迷惑をかけるわけにはいきません。どうぞお気になさらず」

「そんなこと言って、わたくしから逃げるつもりね? わたくし、そなたのことをますます気に入った。そなたには邸で特別な部屋を用意するわ」


 うっとりとした眼差しを向け、掴んでいた腕をさらに強く掴んで距離を詰めていく。おそらく、私が国王像の前で待っている間、断るノアと迫る貴婦人の攻防戦がずっと繰り返されていたのだろう。貴婦人に付き添っている執事らしき初老の紳士も、間に割って入れず困惑している様子だった。


「失礼します。この者が何か失礼をしたのでしょうか?」


 このまま眺めていても決着がつくとは思えず、二人の間に強引に割って入った。

 私の登場でノアはあからさまに安堵の溜息をつく。一方、無理やり腕を引き離された貴婦人は、その行動が気に食わなかったようでムッと私を睨みつけた。もちろん、その程度で怯むような私ではない。


「勝手に割り込んでくるなんて。失礼なのはお前よ、小娘」

「いえ、ですから。この者が何をしたのか――」

「邪魔をしないでちょうだい。わたくしが話したいのはお前ではないわ!」


 語気を強めた瞬間、貴婦人は力任せに私を突き飛ばした。

 狭い樽の中に蹲っていたせいか、思っていた以上に足腰が疲れ切っていたらしい。おまけにノアの瓶を抱えていたから体が思うように反応できなかった。突き飛ばされた瞬間、足首の力がフッと抜けてのけ反ってしまった。

 このままでは倒れる――そう直感した瞬間、ノアは貴婦人を突き飛ばし、倒れそうになる私をしっかりと抱き留めた。

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