第27話「古の呪いを辿って」(5)

「ノア! どうしてここに……」

「あ、あんたは、領主のグランフェルト卿!」


 顔を見て気づいた糸目男と声が重なった。ノアは私ににっこり笑顔を向けると、あとは任せろと言わんばかりの目配せをしてテーブルに身を乗り出した。


「へぇ、俺のことわかるんだ。だったら話は早い。バサルト」

「はい、坊ちゃん」


 合図を受け、バサルトは手にしていた大きな袋をテーブルの上にドンと置いた。中からは金属が重なり合ってこすれるような音が漏れ出た。


「クムンドへの密航だが、その席をもう二つ。彼女と俺、執事のバサルトの三つ分用意してくれないか? もちろん、ただじゃない。これは手間賃ってことで受け取ってくれ」


 出っ歯の男が恐る恐る袋の中を確認した。チラりと見えたのは金色に輝く金貨の山。しばらくは遊んで暮らせるくらいの大金が入っていた。見てみろと指さす出っ歯の男に促され、糸目男と熊男もそろりと覗き込む。大金が入っていることを知ったとたん、三人の目はわかりやすいくらいに輝いた。


「慣れない土地で生きていくのは大変だからな。これだけあれば、しばらく働かなくても暮らせるはずだ」

「領主がこんなことしていいのか?」

「本来なら見逃せないことだけが、今回だけ特別だ。俺の大切な人がちょっと無茶しようとしてるみたいだからな」


 ノアは含みのある言い方をして、横目でちらりとこちらを見た。からかうような視線のせいか、叱られているような気分になって、誤魔化しつつ視線を逸らした。


「俺も彼女もクムンドに渡らないといけない用件がある。席を三つ、用意してくれたらもう少し出してもいい」

「……俺達のことを見逃すことと、この金は今すぐもらうこと。これが条件ならどうだ?」

「それでかまわない。残りは席を用意されたことが確認できたら渡すってことでいいか?」

「わかった。日時は追って知らせる」


 糸目の男はグラスに残っていた酒を飲み干し、テーブルの上の袋を抱えて席を立った。熊男と骸骨男も、こちらの様子を窺いながら糸目の男を追っていった。

 がやがやと騒がしい客達の声に、男達の気配も足音も紛れてかき消されていく。私は椅子の背に凭れ、少し深めの溜息をついた。


「どうしてここにいること知ってるの?」

「メルリから聞いた。邸に行ったらキーラがいないから、どこに行ったのか訊ねても誤魔化されてな。何度も問い詰めてようやく聞き出したんだ」

「言わないでって、あれほど口止めしてたのに……」


 フロイドに関して情報を集めるためノアとバサルトにも協力してもらってはいたが、クムンドへの密航者については秘密にしていた。言えばついてくると聞かないだろうし、そもそも領主を密航者にするわけにはいかない。それこそ、バレたら大変なことになことくらいわかりきっている。

 街で厄介者の私がしばらく姿を消したところで誰も心配はしない。だからクムンドへは私一人で行くと決めていた。何を言われても黙っていてと念を押していたのだが、ノアの執念に負けたらしい。


「ひとりでクムンドに行くなんて無茶すぎる。あの国とは国交が途絶えて100年も経ってるんだ。それまで敵対していた国だから、密航なんてバレたらどうなるか……」

「いや、そもそもお嬢ちゃんなら魔術でどうにかできたんじゃないのかい?」


 バサルトは不思議そうに首を捻りながら、男達が座っていた席に座った。腕の中にいたエステルはテーブルへ移動し、彼の正面に座ってご機嫌そうに尻尾を横に振った。


「そういえば……人の心を操って船に乗り込むことくらい、キーラなら簡単だよな? 俺に黙って行くつもりなら、その方法ですぐにでも行動できそうだけど」

「それは〈蒼ノ月〉だから無理なんだよね」

 と、テーブルの上のエステルが得意気になって言った。ノアとバサルトは顔を見合わせて首を傾げた。

「〈蒼ノ月〉?」

「エステルちゃん、何だいそれ」

「魔女の魔力は月の力が源になってるんだけど、数年に一度〈蒼ノ月〉っていう青白く光る月が昇る期間があるの。その月が昇ると世界全体に満ちてる魔力が弱くなって、キーラは魔術が使えなくなっちゃうの」

「もしかして、今はその期間なのか?」


 ノアとバサルトの視線が同時にこちらへ向いた。弱っているところを晒すようであまりいい気持ちはしないが、事実である以上隠していても仕方がない。渋々頷くと、ノアは納得したように何度か頷き返した。


「それでこんな無茶なことしたってわか。でも、行動に移すならその期間が終わってからでもよかったんじゃないか?」

「〈蒼ノ月〉は半年ほど続くの。期間が明けるのを待ってる余裕なんてないわ」

「そうまでして、俺と離れたいってこと?」


 不意に声を落として訊ねるノアに、私は頷けずにいた。

 ノアと過ごすようになって気づいたのは、こうして長く時間を共にすればするほど情が移るということだ。実際、最初は疎ましいとしか思えなかったノアも、今は傍にいても違和感がない。むしろ、隣にいることが当たり前になりつつあった。


 今、空には青く輝く月が昇っている。その期間が明けるまで、ノアを傍に置いてしまったら、私はきっと離れることが寂しいと感じて、ノアと離れることができなくなってしまうかもしれない。

 一度染み込んだ情を消すのは難しい。大人になるまで、一人で生きていけるようになるまでと、期間を決めて死霊達を呼び寄せたというのに、今も彼らと離れられずにいる。いや、離れることなんて少しも考えていなかった。私の命が尽きるまで楽しく穏やかに過ごせたら、そう思っている自分がいる。いつかきっと、ノアに対してもそう思ってしまう時が来てしまうだろう。


 私の一方的な想いなら強引に断ち切ることもできる。でも今、ノアの想いは完全に私に向けられている。互いの想いがしっかりと向き合ってしまったら、それを離すのは容易ではない。私の心が完全に彼を必要としてしまう前に離れるには、少し無茶をしてでも行動に移さなければならなかった。


「残念だけど、キーラの思い通りにはならない。俺にかけられた呪いが解けても、キーラのことが好きな気持ちは変わらないからな」

「そうかしら? 案外、人の気持ちなんてコロコロ変わるものよ? 自由の身になったら世界が広がって、私のことだってすぐに忘れられるわ」

「それが違うって証明するためにも、クムンドに渡って呪いを解く方法を見つけよう。俄然、密航が楽しみになってきたな」


 ノアは自信満々に軽口を叩いた。彼にとっては自分の想いを素直にぶつけているに過ぎないのだが、私にとってはそれが厄介でならない。冷たくしようとも雑に扱おうと、ノアは変わることがないからだ。やはり、傍に居続けるのは危険すぎる相手だ。


「本当に、一緒に来るつもり?」

「もちろん。キーラに何かあったら嫌だからな。俺が傍にいて絶対守るよ」

「素敵! ノア、王子様みたいだね」


 エステルにおだてられたノアもまんざらでもないらしい。照れくさそうに笑いながら、エステルの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「危険な目に遭わないように、キーラを守るから安心して」

「数時間しか人間に戻れない瓶詰伯爵が何を言ってるんですかねぇ」


 調子に乗りそうな雰囲気を察したバサルトが、すかさず嫌味を言い放つ。図星だったノアは反論できず、不貞腐れて苦笑いを返していた。

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