第26話「古の呪いを辿って」(4)

 人通りの少なくなった中心通りを闊歩し、一軒の酒場の前で足を止めた。

 重たい木の扉を押し開けると、ギギッと乾いた音を立てると同時に、店内に閉じ込められていた酒と男達の騒がしい笑い声が出迎えた。肩に乗っていたエステルがその声に驚き、グッと爪を立てて耳を伏せた。


「うぅ、お酒くさぁい……キーラ、本当に入るの?」

「もちろん。彼らが接触するのを逃すわけにはいかないわ。お酒の匂いが嫌ながら、鼻押さえてじっとしてて」

「はぁい」


 力なく返事をし、言われた通りに鼻を押さえた。

 被っていたフードをほんの少し深めにかぶり直し、酒場の扉をくぐって踏み入れた。最初こそ楽し気な声が広がっていたものの、真っ黒なローブを纏った客の姿に一人、また一人と私の存在に気づき始めた。


「おいっ、常闇の魔女だ……」


 入口付近の席に座っていた男が最初に声を上げた。

 飛び交う声に紛れそうなその声は、なぜか店中に響き渡る。騒がしかった店内が一瞬にして静まり返り、陽気な声は動揺と緊張のざわめきへと瞬く間に変わった。


「おいおい、常闇の魔女がなんでこんな所に来るんだよっ」

「まさか、俺達が出ていけって何度も言ってるから、仕返しに来たとか?」


 ヒソヒソと話す声が四方から聞こえてくる。

 今日は食材の調達でもなければ、仕返しに乗り込んできたわけでもない。相手にするのも面倒で、構うことなく席と席の間を抜けて奥へ進んだ。

 ローブが触れることすら恐れたのか、私が迫ったとたん席に座っていた客達は慌ててテーブルごと移動させる。狭い店内で移動するのが少々厄介だったが、道が開けたおかげで難なく進むことができそうだ。


 料理や酒を運ぶ給仕や店主らしき初老の男が私の姿を目で追ってくる。何をしようとしているのか、出方を窺っているらしい。

 居合わせる客達全ての視線を背中に受けながら、階段を一歩ずつあがって二階へむかった。その最奥にある窓際の席に三人の男達が座っている。

 ひとりは熊みたいな髭面の大男。その向かいには骸骨みたいにひょろりと細くて前歯がネズミみたいに出た男。二人の間には長い黒髪を一本の細い三つ編みに結った糸目の男が座っている。周囲に聞こえないよう、声を潜めて話し合っているのが窺えた。私はまっすぐに突き進み、彼らのいる席にドカッと腰かけた。


「こんばんは。相席、失礼するわね」

「何だっ。勝手に座んじゃねぇ!」


 熊男が大きな体をこちらに向けて怒鳴った。糸目の男は大声を出すなと制止し、私の姿を訝し気に眺めた。


「おい待て! お前、どこかで……」

「っ! うわっ、やべぇって。こいつ、常闇の魔女だ!」


 出っ歯の男は思っていた以上に声が甲高い。私の正体に気づくやいなや、ガタガタと震えて糸目の男の腕を掴んだ。


「常闇の魔女だって? あの人間の魂を食うっていう噂の――」

「そう、私がその常闇の魔女。皆さん、とっても美味しそうな魂ね」


 テーブルに身を乗り出して頬杖をつき、フードの下からちょっとだけ微笑んでやれば、三人はごくりと息を呑んで固まった。

 プライドが高いのか、それとも密かに立てた彼らの計画が知られないよう警戒しているのか。街の人達と違って喧しく喚いたりしなかった。私を恐れているのは放つ空気で感じられるが、それを覚られまいと平静を装っている。私としてもその方が好都合だ。


「俺達に何か用でもあるのか?」


 糸目の男が椅子の背に凭れて腕を組んだ。

 こちらの様子を窺っているらしく、閉じているのか開いているのかわからないその細い目が、瞬きせずに私を捉えていた。


「ちょっと取り引きがしたいの」

「俺達と?」

「あなた達が計画しているクムンド帝国への密航。私にも一つ席を用意してほしいの」


 男達はぎょっと目を見開いて互いに顔を見合わせた。なぜ知っているのかと不思議そうに慌てているのが何とも面白い。

 グランフェルト家に呪いをかけた魔女の名前がディオーネ・エレミアであり、その子孫が生きていると判明してから二週間。オリビンやスフェン、メルリはもちろんノアやバサルトにも協力してもらい、子孫であるフロイド・エレミアについて徹底的に調べた。


 フロイドは最大の軍事大国クムンド帝国の騎士であることがわかった。居場所が判明したのなら会いに行くだけの話なのだが、問題はフロイドの住むクムンド帝国が、かつてエルディア帝国と敵対する国で、国交が途絶えて一〇〇年になる。貿易ルートも存在しないため、行き来する手段はほぼないに等しい。ただ一つ、エルディア帝国の南にある小国ナバナの港町だけが唯一、クムンドとの貿易を続けていることがわかった。


 その貿易船を使って密航を計画している一団がいることをオリビンが突き止めた。目の前にいる彼らは国内に持ち込みが禁止されている動植物の密輸で指名手配中の男達だ。国から逃れるため、国交が断絶しているクムンドへ逃亡する計画を密かに進めているらしい。

 彼らはすでに船を手配していることも突き止めているし、貨物に潜り込んで密航する準備が整っていることも知っている。

 フロイドに会うためにはこれを利用するのが手っ取り早い。私が普段来ることのない酒場に足を運んだのは、その取り引きをするためというわけだ。


「どうしても、クムンドに行かないといけないの。だからお願い」

「こ、断る!」


 真っ先に返事をしたのは熊男だった。威勢よく声を張って突っぱねてはいるが、その声はわずかに震えている。私の目的が明確ではない上に、魂を食われては割に合わないとでも思っていそうな顔をしていた。


「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。あなた達の魂を食べるなんて一言も言ってないんだから。もし席を用意してくれたら、絶対に見つからないように守ってあげてもいいわ」

「話がうますぎる。常闇の魔女がその程度の見返りで協力するわけがない」

「魂胆があるに決まってるって! おれぁ、死んでも関わりたくねぇよ」


 糸目の男に出っ歯の男が必死になって説得した。

 クムンド帝国へ渡れるなら、それ以外の見返りなんて必要ないのだが、この街の人々に植え付けてきた日頃の噂がこんなところで邪魔になるとは思わなかった。ならば、その噂を最大限に利用するしかない。


「協力してくれないのね?」

「おれぁ絶対に嫌だ! おれらに関わんなよっ」

「そう。じゃあ仕方ないわね。未来永劫、解けない呪いでもかけてあげるわ」


 不敵に笑ってスッと手を伸ばす。男達はとたんに「ヒィッ」と情けない声をあげて体を仰け反らせた。もう少し驚かせばいうことをきくかもしれない。あまり気が乗らないが、これも目的を果たすためだと言い聞かせながら、さらに手を伸ばした時だった。


「キーラ、そんな頼み方で納得してくれるわけないだろう?」


 聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、「失礼するよ」と、空いている隣の席から椅子を運んで、私と熊男の間に割り込んだのは紛れもなくノアとバサルトだった。

 私に次いで現れたものだから、男達は何者だと警戒を強める。

 彼ら以上に、驚いているのは私の方。なぜここにいるのかと目を丸くする私に、ノアとバサルトは呑気にひらひらと手を振る。肩にしがみついていたエステルは、バサルトの腕の中にぴょんと飛び移ってゴロゴロと喉を鳴らした。

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