第25話「古の呪いを辿って」(3)

 それから間もなくして、調理室のドアがガチャっと開く音がした。反射的に目をやると、瓶を抱えたバサルトを先頭に、エステル達がぞろぞろと入ってきた。


「キーラ、ただいま! 収穫した野菜、どこに置いたらいい?」

「えっと、そうね……そっちの隅に」


 ガヤガヤと調理室が一気に騒がしくなる中、バサルトがそっと私に歩み寄った。抱えた瓶の中には蝶に変わったノアがしっかり収められている。よく見ると、心なしか落ち込んで項垂れているように見えた。


「二人きりの時間、ちゃんと過ごせたかい?」


 バサルトが様子を窺いながら訊ねた。

 畑に残ってお茶会をしていたのは、私とノアの時間を作るためだったのだろう。執事とは思えない見た目と軽い態度から適当な人なのではと思っていたが、人は見かけに寄らず。口に出さないだけで、主のために水面下で適格に動ける人のようだ。


「えぇ、少しだけ。途中で蝶になっちゃったから、話も途中だったけど」

「そっか。いやぁ、本当に面倒な呪いだねぇ、坊ちゃん」

『キーラ、ごめん……もう出られそうにないから、今日はこれで帰るよ』

「そうみたいね。慣れない畑仕事で疲れたでしょ? 邸に帰ってゆっくり休んで」

「あの、キーラ……また、会いに来てもいいか?」


 ノアは勢いよく体を上げて、瓶の壁に手をついて訴えた。

 今日は風邪が治ったらデートするという約束だった。こんな約束に限らず、今までどおり何の連絡もなしに昼夜問わずやってくるとは思うのだが、今のノアは確実な約束が欲しかったのかもしれない。その不安と心の揺れが見えたような気がした。


「事前に連絡を……って言っても無理よね。好きな時に来たらいいんじゃない?」

「キーラ、今日はありがとう! また来るよ。バサルト」

「はいよ、坊ちゃん。それじゃ、失礼しますねぇ。エステルちゃん、また一緒にお茶しようね」


 瓶を落とさないよう抱え直し、バサルトは調理室を出て行った。やっといなくなっかと言わんばかりに、メルリは嬉しそうな笑みをこぼす。すかさず収穫したトマトを洗っているエステルもとへ行って隣で作業を手伝い始めた。


「エステル、あいつのことあんまり信用するなよ」

「どうしてそんなこと言うの?」

「いや、えっと、どうしてもだよ。あいつ、おっさんだし」


 問い詰められて返した答えが全く理由になってないせいか、エステルはきょとんと首傾げてメルリの顔を何度も覗き込んだ。あまり表情を見られたくないのか、メルリは口を噤んで誤魔化すように視線を泳がせた。

 エステルが気づいているかどうかはわからないけど、メルリがエステルを特別な存在として見ていることはわかっていた。どんな時も気にかけ、常に行動を共にしているから鈍い私でもわかる。おそらく、メルリが気づいていないだけでエステルも同じ気持ちのはずだ。

 死霊と猫という種族に関係なく、大切に想いあっている二人を見ていると、誰かを想って心を乱すのも悪くないものだと思えてくる。そして何より、そんな二人を見守っていたい。


「オリビン、スフェン。お願いがあるんだけど」


 片付けをしていた二人に声をかけた。互いに顔を見合わせ、スフェンは姿勢を正し、オリビンはコホンと小さく咳払いをした。


「どうしたのですか、あらたまって」

「もしや、ノア殿のことか?」

「ノアの邸にあった先祖の日記から、グランフェルト家に呪いをかけた魔女の名前がわかったの。もしかしたら、ノアにかけられた呪いを解くことができるかもしれない」


 オリビンとスフェンは差し出したボロボロの日記を受け取り、慎重にページをめくりながら記された内容に目を通していった。


「ノアにかけられた呪いが解ければ、その身は自由になるでしょ? どこにでも行けるし、誰とでも恋ができる。私のことだって諦めてくれるかもしれないから」

「お嬢はそれでよいのか?」


 オリビンの問いに答える代わりに、私の頭の中ではノアの声が何度も響いた。

 正直、最初は鬱陶しいと思った。一緒に過ごすうちに鬱陶しさが和らいで、過去に触れて少しずつ受け入れようとしているのが自分でもわかる。ただ、それを手にするのが怖いと思う自分も少なからず存在している。一度知ってしまえば後には戻れないからこそ、知ることのないまま離れてしまいたいと願うのだ。


「私は皆と一緒にいられるだけで幸せなの。この生活を守ることの方が大事だから」

「ですが、キーラ様……」

「とにかく、ノアの呪いを解く方法を見つけなきゃ。私だけじゃ手に負えないから、その時は手伝ってね」


 このまま話を続ければ、オリビンやスフェンは何とか私を説得しようと試みるはず。それ以上話ができないよう、半ば強引に日記を取りあげ、そのまま調理室の入り口へ向かった。


「キーラ様、どちらへ?」

「書斎よ。この日記に書かれたディオーネ・エレミアのことを調べてくるわ」

「調べるとは、一体どうやって?」

「魔女の秘密よ」


 ヒラヒラと手を振って調理室を後にした。

 階段を上がって、三階にある私室の隣の書斎へ入った。足を踏み入れた瞬間、真っ暗だった室内にランプの明かりがポッポッポッと音楽を刻むように灯った。

 並んだ棚の間を奥へ進んでいくと、窓際には読書用に設置した机がある。何も置かれていないその机の上に右手を乗せ、ゆっくりと円を描きながら呪文を唱えた。


「〝Nuinヌイン  ikoイコ  aokaアオカ, makaマカ ruweルウェ nukareヌカレ〟」


 声が空気を震わせ、反響しながらじわりと広がっていく。

 言葉に呼応するように、机はぼんやりと淡い光を智氏、手が触れている中央から外へ向かって、水面に広がる波紋のように波打った。どろりと柔らかくなったそこからトプンと音を立てて、銀色に輝く一冊の古書が姿を現した。

 表紙には拳大のルビーに獅子の顔を彫刻した装飾が埋め込まれ、触れることすら禁じられているかのように、本全体に重たい楔が何重にもなって巻きつけられている。


「初めてこの邸に来た時以来ね」


 手にしたこの古書は〈緋ノ書〉と呼ばれ、魔女の血を受け継ぐ一族にのみ継承される門外不出の書物だ。

 遥か古の時代、魔女の力を脅威と感じたある国の皇帝が、その力を根絶やしにしようとした時代があった。

 数年にわたって繰り返される人と魔女の戦いの中、このままでは魔女の血が世界から消えてしまうのではと恐れた。強大な力を持っていた四人の魔女が中心となり、魔女の血を守るため、そして互いに助け合えるようにと願いを込めてこれを作ったという言い伝えがある。

 世界中の魔女達の居場所はもちろん、子孫の存在を把握するために作られた魔術書。ページは全て白紙で一見すると何もないのだが、魔女が触れた時のみが閲覧ができるという代物らしいのだが、私自身は実際に使ったことはなかった。


「この本の力が本物なら、ディオーネの子孫が途絶えることなく生きているのか、わかるんだけど……」


 もし繁栄することなく途絶えていたら――あまり考えたくない結末が脳裏を過って、思わず息を呑んだ。どうか生き残っていて、そう強く願いながら楔に手を翳した。

 私の存在を感知した〈緋ノ書〉は、その身に巻き付けていた楔をカタカタと震わせ、やがてそれを光に変えて消し去った。鍵が解除された合図だとわかって安堵した。

〈緋ノ書〉と契約を交わせるのは一族の当主のみ。その当主の命が尽きた瞬間に、契約者はその子へと移る。母が亡くなったことで、自然と契約者は私に代わっていた。それが嬉しくもあり悲しくもある。母がいないという事実を認識させられるのだから。


 ―― 汝は何を求む?


 表紙を捲って間もなく、何もない白いページにジワリとインクが滲むように文字が浮かび上がった。〈緋ノ書〉に問われたら魔女の名前を告げるだけでいいと母から教わっていたが、実際に試すのはこれが初めて。上手くよう、母に祈りながら深く息を吸い込んだ。


「ディオーネ・エレミアの一族について教えて」


 浮かび上がった文字が溶けて消え、触れてもいないのにページがパラパラと開いていく。乾いて掠れる紙の音を響かせ、それが中心の辺りでぴたりと止まった。何もなかったページにディオーネ・エレミアの名前がじんわりと浮かびあがって、そこから枝葉を広げるように家系図が現れ始めた。私は枝の伸びる先を必死に目で追った。

 ディオーネは誰とも添い遂げることなくこの世を去ったらしい。彼女の名の傍には夫となった者の名は見当たらない。当然下へと繋がる子供達の名も存在していなかった。

 彼女には妹が一人いたようで、リリアという女性の名前から血族の枝が広がり、この時代まで途切れることなく続いていた。名前を辿った私の指先は、たった一人の末裔へと行き着いた。


「フロイド・エレミア……ディオーネ直系の子孫ではないけど、この人がエレミア家の末裔ってことね。現在の居場所は〝クムンド帝国〟!」


 刻まれた名の下に小さく記された居場所を指し示す国の名前に、見えた希望の光が消えかけていることに不安を覚えずにはいられなかった。

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