第24話「古の呪いを辿って」(2)

 隠そうとすればよけいに鼓動が強くなり、どんな表情をすればいいのかわからなくなる。どうにか誤魔化そうと、思い出したように声を上げた。


「そ、そいえば! お願いしていた資料、探してくれた?」

「あぁ、ちゃんと探したよ。キーラが望んでることが書いてあるのかはわからないが、それらしき資料はいくつか持ってきた」


 スッと席を立ち、入口横の作業台に置かれていた三冊の本を持って再び戻ってきた。

 作られてからかなりの年数が経っているようで、表紙はボロボロで少し触っただけでも剥がれ落ちてくるほどに傷んでいた。どの本もタイトルがないことと、簡易的に製本されていることから日記であることがわかった。


「これは、いつの時代のものなの?」

「300年前だ。呪いをかけられた当主が、自分の身に起こる呪いの状態を記すために日記をつけていたらしい。こんなものがあったなんて、俺も知らなかったよ。田舎にいる父さんに資料がないか訊いたら、日記があるっていうから驚いたよ」

「もう一度確認するけど、グランフェルト家に呪いがかけられた理由は、魔女への裏切りなのよね?」

「俺が聞いてる理由はそれだった。300年前の当主の婚約者が魔女で、当主が別の女性を好きになって裏切ったことで怒りを買ったというんだが、それが事実なのかは定かじゃないんだ」

「あくまで伝え聞いている理由が、当主の浮気ってわけね」

 

 もしそれが真実なら、かけられた呪いに込めた思いは相当強力なものになる。呪いの強さは魔力だけではなく、術者である魔女の想いの強さにも関係している。とくに呪いとなれば、相手に対する憎しみが強ければ強いほど、術者以外の者が解くことが難しくなる。呪いは術者がこの世を去った後も、力が衰えることなく半永久的に残り続けるものだからだ。

 婚約者に裏切られた魔女の憎しみや悲しみがどれほどのものだったのか。それは三〇〇年経った今もノアに受け継がれていることを見ても明らかだ。私の力で解くことができるのか、それも怪しくなってきた。


「とりあえず、見てみたいことには始まらないわね」

 淡い緊張を抱きながら一冊目の日記をゆっくりと捲った。



 ―― 私の犯した罪深い過ちによって、この身に消えぬ呪いを刻まれてしまった。これから生まれてくるグランフェルト家の子孫へ、せめてもの償いとしてこの日記を残す。



 最初のページはその言葉から始まっていた。

 この日記を書いたのは、第二代当主アーデン・グランフェルト。魔女の呪いを受ける原因を作ったノアの先祖だ。伝え聞いていた通り、アーデンは結婚を約束していた恋人である魔女を裏切って別の女性と関係を持ってしまったため、魔女の怒りをかって呪いを受けたと記されていた。

 それ以上の詳しい経緯はなく、それ以降は身に起きる呪いの状況を事細かに記していたり、恋人への後悔と謝罪が綴られていた。それまで恋人だった魔女の名前について一切触れていなかったのだが、一年ほど経ったある日の日記にそれは記されていた。


 ―― 私の命もあと僅か。心残りは君に直接誤ることが叶わないことだろうか。ディオーネ・エレミア。本当に申し訳ないことをした。本当にすまない。


 おそらく、その日の日記を最後にアーデンはこの世を去ったのだろう。一週間ほど日を置いて、父から日記を託されたとその息子らしき人物へと筆者が変わっていた。


「ディオーネ・エレミア……きっと、これが呪いをかけた魔女の名前ね」

「多分、間違いない。こっちの日記にも〝先代が心変わりしなければディオーネの呪いに悩まされることはなかった〟と書いてあるからな」


 私はページに記された名前を指でそっとなぞった。

 カサカサと乾いた音の中に、300年間力を失わずに受け継がれる呪いの根源が、そこからジワリと滲み出ているような錯覚を覚えた。

 日記を読み進めるうちに、アーデンではなくディオーネに対する興味が湧いてくる。一体どんな女性だったのだろう。魔女の血は外見が衰える速度を遅らせるため、年齢に反して若々しくいられる。きっと彼女も美しい女性だったはずだ。


 今となっては廃れてしまっているが、かつて魔女を伴侶に持つことが男性にとって社会的地位をあげるとも言われていた時代があった。おそら、アーデンが生きていた時代はその風潮がより強かったはずだ。

 どんな貴族の令嬢よりも、美貌や力も兼ね備えた魔女の恋人を持ちながら、なぜアーデン・グランフェルトは裏切ったのか。アーデンさえ裏切らなければ、ノアやその一族たちが呪いに苦しめられることはなかったはずなのに。そう思うとこの日記を床に叩きつけてやりたい気分になる。


「呪いを解く鍵は、ディオーネの子孫を見つけ出すことにありそうね」

「ディオーネの血が絶えることなく続いているといいんだが……」

「それはこれから探ってみる」


 300年という歳月で魔女の血もだいぶ衰え始めていた。世界中に存在した大勢の魔女たちも、血を受け継ぐ女児が生まれなかったり、魔女としての力が目覚めることなく途絶えた一族も多い。この日記にはディオーネに関する記載がほとんどなく、エレミア家が途絶えている可能性も十分にあった。

 今もどこかの地で末裔が生きていることを願いながら、そっと日記を閉じた。すかさずノアがそれを取り上げ、苦々しい表情で見つめた。


「俺にはアーデンの気持ちが理解できないな」

「この日記には彼女に対する謝罪と後悔が綴られてるけど、そう思うなら最初から裏切るようなことしなければいいのにね」

「それも理由の一つだが、そもそも別の女性に心変わりしたってところが気に入らない」


 手にしていた日記を作業台の上に置いたかと思えば、その手は迷うことなく私の手を捉えた。優しいのに力強くて、不思議とその温かさに長く触れていたいと思う気持ちが強くなっていく。


「俺は絶対に裏切ったりしない。大切な人だってわかってるのに、目移りするなんてあり得ないからな」

「ノ、ノア?」

「キーラ。俺は何があっても傍を離れないから――」


 ふわりと甘い香りがして、ノアがぐっと距離を縮めた。

 その先に待つものが何なのか、どんなに頭を空っぽにしても想像できる。腕を突っぱねることだってできたはずなのに、私はとっさにノアの腕を掴んでいた。

 このままノアに委ねてしまおうかと、心が大きく揺らいで目を閉じようとした瞬間――ノアの体が蒼い光に包まれ、あっという間に蝶の姿へと変わってしまった。

 驚く私の鼻先でヒラヒラと飛び交った蝶は、何かに引っぱられるように飛び去って、調理室のドアの隙間から外へと飛び出していった。


「な、何なのよっ! もう……」


 体中に巡っていた緊張が一気に抜けて、力なく椅子に凭れかかってしまった。

 間違いなく、私はあの後に起こる展開を期待していた。あの一瞬で、ノアに心を許しそうになった。それが強烈な羞恥心になって背中から頭の天辺へと駆け上がる。途轍もない悪事を働いたような気分になって半ば放心状態だった。

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