第23話「古の呪いを辿って」(1)

 寝込んでいたノアが回復したのは、今から三日前のことだった。

 夜の街へ食材の調達へ出かけた際、シェリルさんの店で待ち伏せしていたバサルトから「坊ちゃんの我慢も限界かもしれないぞ」なんて聞いていた矢先のこと。風邪が治ったとたん「約束通りデートしよう!」と、相変わらず連絡もなしに邸へ乗り込んできたのが今朝のことだった。


 風邪が治ったらと約束していた手前、即答で断ることはできなかった。本当は追い返そうと思ったのだが物は試し。一緒の時間を過ごしてみてはどうかとエステルやオリビン達に勧められた。ノアにかけられた呪いを解く上で、ノア・グランフェルトという男について知ることも必要だ。その先のことはその時になったら考えればいい。少しだけノアとの時間を過ごしてみよう。そう思ったものの――


「キーラ、見て! こんなにたくさん採れたんだ」


 ジャガイモを収穫している私のもとへ、やかましいくらいに声を弾ませたノアがやってくる。カゴ一杯に積みあがったトマトやピーマンを一つずつ手に取って、これは色がいいだとか、こっちは張があって美味しそうだとか逐一説明してくる。それが一度や二度ならいいのだが、何かを収穫する度に見せにやってくるため、私の作業が一向に進まない。最初は無邪気だと思って微笑ましく見ていたものの、何度も繰り返されると若干鬱陶しく思えてしまった。


「ノア、わかったから……たくさん採れたのは、作業しながらでも見えるのよ」

「キーラは冷たいな。こういう喜びは共有しないと。ほら、このトマトなんて形も色も最高にキレイで美味しそうだ」

「坊ちゃーん。収穫する度に手止めてたら、日が暮れて蝶に戻っちゃうぞ」


 このやり取りを見かねたのか、バサルトの声が絶妙なとことで割り込んだ。

 畑を取り囲む柵の外に設置している休憩用の椅子に座り、バサルトはテーブルに置いたカップを手に取る。優雅に紅茶を飲む姿に、ノアが呆れて首を振った。


「文句言う前に手伝ったらどうなんだ、バサルト」

「いやいや、オレは坊ちゃんの部屋を守るという役目がありますんで。あと、レディのお茶の相手もしないと。ねぇ、エステルちゃん」


 ノアが蝶になっている時に閉じ込められている瓶を大事そうに撫で、向かいの席に座るエステルににっこり微笑みかける。どうやらエステルはバサルトが気に入ったらしく、早々に自分の分の仕事を終わらせてバサルトのお茶の相手をしていた。


「はい、もう一杯どうぞ。あと、こっちのタルトも美味しいよ」

「わぁ、ありがとう! バサルトって優しいね」

「おい、おっさん。座ってばかりいないで、少し体動かしてきたら?」


 空になったエステルのカップにバサルトが紅茶を注いだまさにその時、雑草取りを終えてやってきたメルリがすかさず割り込んだ。

 もともとメルリとエステルは最初から気が合ったらしく、私やオリビン、スフェンよりも先に仲良くなっていた。常に二人で行動しているからか、エステルがバサルトと親しくしているのが気に入らないのだろう。メルリは普段無邪気で明るいものの、嫌いなものに対しての反応が顔に出やすい。座っているバサルトを見下ろすメルリの目は、臨戦態勢に入った野良猫みたいだった。


「気持ちは嬉しいんだがねぇ。オレ、おっさんだから。体力ないのよ」

「いやいや、動かないから体力落ちるんだけど?」

「意地悪言ってないで、メルリもここに座って。一緒に休憩しよ?」


 咎めることもなく、やんわりと宥めるようにエステルが割って入った。猫なで声でそう言うと、予備の椅子をバサルトと自分の席の間においてメルリを座らせた。

 エステルの誘いを無下にするわけもなく、メルリは素直に座る。エステルはそれを満足気に見つめながら、スカートから覗く尻尾を嬉しそうに揺らしていた。


「お嬢、そろそろ良いのではないか?」

「いつもよりたくさん収穫できましたね。やはり〈日ノ紋〉を張り直した効果でしょうかね」

 収穫したカボチャやニンジンをガコ一杯に詰め終え、オリビンとスフェンが戻ってきた。

 少し前まで痩せていたニンジンもカボチャもふっくらと美味しそうな大きさに育って、カゴの中は色鮮やかな野菜でいっぱいになっていた。


「エステルとメルリの相手はバサルトに任せて、私達は昼食の準備をしましょうか」

「昼食って、もしかしてキーラが作ってくれるのか?」


 食い入るように見つめるノアの視線に若干の恥ずかしさを覚えながら、おずおずと頷いた。私が皆の食事を作ることは特別なことではないのだが、あらたまって確認されると急にむず痒い恥ずかしさに襲われる。

 バサルトたちを畑に残し、私達は邸へ戻った。私の手料理が食べられると知ったノアは終始ご機嫌だった。必要な野菜の皮を剥いたり、鍋の前から離れられない私に代わって調味料を持ってきたり。あまりにもてきぱき動くものだから、いつもその役目を担っているオリビンとスフェンの出る幕がない。

 たくさんニンジンが採れたから、今日の昼食はオリビンが朝焼いたパンに厚切りのベーコンを焼いて、ニンジンのポタージュをつけよう。玉ねぎとニンジンをコトコトと柔らかくなるまで煮て、木べらで潰しながら鍋をゆっくりとかき混ぜていたのだが、その様子を片時も離れることなくノアが眺めている。


「ちょっと……そんなに見られると作業しにくいんだけど」

「キーラが俺のために作ってくれてると思ったら、少しだって見逃すわけにはいかないだろ?」

「言っておくけど、ノア一人のためじゃないのよ?」


 そう念を押しても、ノアは相変わらず嬉しそうだった。ニコニコと目を細め、立ち上る湯気をクンクンと匂いを嗅いではにんまりする。思い返せば、そんな風に料理ができあがるのを今か今かと待ちわびてくれたのは、エステル以外にはいなかった。

 キラキラと目を輝かせて、幸せそうにしている姿を見るのは悪い気はしない。恥ずかしさは一向に抜けないが、少しだけ応えてあげたいと思ってしまう。


「……はい」

「えっ?」

「味見してみる?」


 煮込んだニンジンと玉ねぎがトロトロに溶け、バターと塩で少し味付けをしたポタージュを、ほんの少しスプーンにすくって差し出した。

 私はスプーンを渡すつもりだったのに、ノアはすぐさま身を屈めてスプーンの先を咥えてしまった。私が食べさせる形になり、意図せず強烈な羞恥心に襲われてしまった。


「んー! 美味しいっ! キーラ、すごく美味しいよ。うちの料理人が作る料理より美味しい!」

「おっ、大袈裟なのよ、ノアはっ」

「スフェンよ。バサルト殿の様子でも見に行かぬか?」

「急にどうされたのです?」


 オリビンがコホンッと咳払いをした。何か意味を含んだその態度にスフェンはハッとして私をちらりと横目で見た。オリビンが何を考えているのかわかったものの、反応すれば図星だと思われるのが嫌で、料理に集中して気づかないふりをした。


「あの騒がしいエステルとメルリを一人で相手をするのは大変だろう」

「あぁ、そうですね。バサルト殿を困らせていないか見に行きましょうか。キーラ様、少し様子を見てきますね」


 そう告げると、二人は調理室を出て行った。

 二人きりになったとたん、そこにある気配がより濃くなったように思える。グツグツとポタージュがゆったりと煮える心地よい音が沈黙を埋めていくと、何を話せばいいのかなんてことを考える必要がない。沈黙さえ心地よいと感じたのは初めてだ。


「こうやって、誰かが料理を作る様子を眺めるのも悪くないな。温かい気持ちになれる」

「このくらいのこと、邸でも見られるでしょ? お母様が作ってるの、見たことないの?」

「母さんの実家は、父さんよりも上の階級の貴族なんだ。料理は使用人が作るものって頭にあるから、自分で作ったことは一度もないんだ」


 私の母は皇帝の后である前に魔女だ。毎日の食事は料理人が作っていたものの、畑で野菜を育てるのは当たり前だったし、使用人達の目を盗んでお菓子やスープを作っていたこともあった。それが私には当たり前の光景だったが、ノアにとっては新鮮なもの。食い入って眺めたくなるのもわかる気がした。

 ノアに見守られながら、鶏肉の燻製を細かく刻んで加え、小さく切ってカリカリに揚げたパンを乗せていく。調理室の隅に並んで置かれた椅子にそれぞれ座り、できたてのポタージュをいただく。


「ちょっと行儀が悪いけど、こうやって座って食べるのも悪くないのよ」

「誰も見てないから気を使わなくていいな。それじゃ、いただきます!」


 立ち上る湯気を吸いこんで一口頬張った。その瞬間、ノアは素早く私の方を向いて驚いたように目を見開く。味がおかしかったのだろうか。何か入れ忘れただろうかと、不安になって食べるも特に変わった様子はない。


「最高だよ、キーラ。こんなに甘くて美味しいポタージュ、初めてだ」

「本当、ノアって褒めるのが上手ね。まぁ、お世辞でも嬉しいけど」

「お世辞なんて言わないよ。俺は本当に思ってることしか言わないからな。特にキーラが相手ならなおさらだよ」


 きっと、その言葉に偽りはないのだろう。服従したいと言った時も、ノアの行動はいつも真っ直ぐで全力だった。もしそこに嘘が少しでも紛れていたなら、もっと姑息な手段を取っているはず。もっとも、ノアがそんな器用なまねができるとは思えない。


「こうして毎日、キーラと一緒に食事ができたら楽しいだろうな」


 さっきまで無邪気だった雰囲気とは一変。ノアは落ち着き払った声色で、優しく囁くようにそう言った。そこに色気と憂いが滲み出ていたのか、至近距離でそんなことを言われたせいか不覚にも鼓動が上がってしまった。

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