第16話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(7)

 遡ること300年の遥か遠い昔――グランフェルト家の第二代当主には魔女の恋人がいた。結婚の約束をしていたが、ある日、彼のもとに皇帝の末皇女との縁談が持ち込まれると、当主は魔女の恋人の存在を疎ましく思うようになった。皇女と婚約をするため、当主は魔女を裏切り、末皇女と縁談を受け入れたそうだ。


 愛する者の裏切りに魔女は怒り狂い、当主が愛する者との時間を過ごせないよう、生まれてくるグランフェルト家の男児全てに瓶詰の呪いをかけたそうだ。

 一日の大半を蝶の姿で過ごし、瓶の中に閉じ込められてしまうその呪いは、人間に戻れるのはたったの四時間で、それがいつ戻れるのか、昼なのか夜なのか予測不可能だった。

 ノアが邸に姿を見せる時間も、気づいた時には姿が見えなくなっていたのも、全ては呪いのせい。末代まで続くこの呪いは、未だ解く方法は見つかっていないそうだ。


「呪いの話、冗談だと思ってたけど。本当だったのね」

『キーラに会いに行ける時間はごくわずかだし、前触れもなく蝶の姿に戻ってしまうから。だから人間の姿に戻った時は少しでも長くキーラに会いたくて、強引に押しかけるしかなかったんだよ』


 邸にやってくる時間がバラバラだったのも、誰にも言わずに突然帰ってしまったり、自分勝手で自由奔放だと思っていた全てが瓶詰の呪いのせいだった。

 思い返せば、ノアが初めて私を追いかけて森までやってきた時も、お守りを探して姿が見えなくなった時も、その場所には一匹の蝶が飛んでいた。あれがノアだったなんて、誰が想像できるだろうか。


『今まで迷惑かけてごめん』

「……そんな事情聞かされたら、怒りたくても怒れないでしょ? おまけに病人だし」

『ははっ、確かにそうだ、なっ……っ!』


 よほど体調が優れないのか、話しているのも辛そうに咳き込んでいた。その度に翅が大きく揺れ、金色の鱗粉が瓶の中を漂った。私はとっさに手を伸ばすも、そこにあるのは分厚い硝子の瓶。咳き込むノアの背を摩ることもできず、行き場を失った手は宙を彷徨った。

 そこへノック音が響いた。バサルトが水と薬、温めなおしたアップルパイを持ってやってきた。


「ちょっと邪魔しますよ。坊ちゃんの薬の時間なんで、って。あらら、また咳が酷くなったみたいだねぇ」


 封をされた瓶の蓋を開けたかと思えば、銀のトレイに水の入ったグラスと薬を乗せ、それを瓶の蓋へ近づけた。その瞬間、目の前のトレイは一瞬にして瓶の中に吸い込まれてしまった。

 グラスも薬も瞬く間に小さくなり、ふわりと漂いながらノアが横たわるベッドの枕元に降り立った。ノアだけでなく、閉じ込めている瓶そのものにも魔女の魔術が施されていることは間違いない。この中に取り込まれたものは小さくなる術なのだろう。これを施した魔女は相当強力な魔力を持った魔女に違いない。


 瞬きすら忘れて食い入るように観察していると、私の顔を物珍しそうにバサルトが眺めていた。

「常闇の魔女さんなら、こんな不思議な光景を前にしても驚かないか」

「驚くっていうより、初めて見る魔術だから興味があるだけ。いくつかの魔術を組み合わせてるみたいだけど、どうやったらこんな複雑な術式が組めるのかしら」

『俺のこともそのくらい興味持ってほしかったな』


 瓶の中のノアが冗談まじりに呟いた。蝶になっているせいで表情は読み取れないが、ちょっとだけ拗ねていることだけはわかった。


「坊ちゃん、しっかり薬飲んでくださいね。さっさと治さないと、お嬢ちゃんのところに行けないぞ」

『それは困るんだが、これが苦手で……はぁ』


 器用に二本の前足を使ってグラスに粉薬を注ぎ、糸状になった口で吸い取っていく。そこまではよかったのだが、おそらく薬が苦かったか嫌いな味だったのか。素早く口をグラスから抜き、グラスを持ったままフルフルと震えていた。手が止まる度に、バサルトが「一気に飲み干す!」と喝を入れる。

 全て飲み干すと同時にグラスをこちらに掲げ、ノアはフラフラと力なくベッドに倒れ込んだ。見守っているうちに私自身も気合が入っていたらしく、手を叩いて安堵の溜息をついていた。


「よし、ご苦労様。あとはしっかり休むように」

『バサルト、ありがとう。仕事の方も、もう少し任せていいか?』

「もちろん、承知してますよ」


 返事を聞いたノアは再びベッドに横たわった。まだ熱があって辛いらしく、そのままうとうとと船を漕ぎ始めた。


「あら、お嬢ちゃんがいるのに寝ちゃったよ」

「……ノアはどうして寝込んでしまったの?」

「あれ? 坊ちゃんから聞いてないのかい?」


 私が頷くと、バサルトは少し呆れた様子で瓶の中のノアを見下ろした。


「まったく。肝心なところを話さないと前に進めないだろうに。世話が焼ける坊ちゃんだねぇ、本当に」


 ブツブツと文句を言いながら、バサルトは瓶が置かれているサイドテーブルの引き出しを開けた。そこから取り出したのは赤いビーズで作った簡素な指輪だった。なぜかその指輪には見覚えがあった。


「お嬢ちゃんを邸まで送った日から数日間、大雨が続いただろ? あの雨の中、坊ちゃんはこれを探し続けたせいで寝込んじまったってわけさ」

「大切なお守りって、その指輪のことだったのね」


 バサルトの手にある指輪を覗き込んだのと同時だっただろうか。テーブルの上で瓶がカタカタと揺れ始めた。

 ベッドに横たわるノアの体が金色に輝き、それが瓶の外へとふわりと飛び出した。光は宙をクルクルと舞いながら円を描き、ゆっくりと床に降り立つ。光は瞬く間に膨れ上がって、ノアは蝶から人の姿へと戻った。


 バサルトはすぐさま蹲っているノアを抱き起してベッドへ運んだ。気だるげに息を吐きながら目を開けるノアに守りの指輪を握らせると、どこか気恥ずかしそうな表情を浮かべて顔を顰めた。


「坊ちゃん。二の足踏んでたら、進むものも進まねぇぞ?」

「……わかってる」

「よろしい。では、オレは退席させていただきますよ。四時間くらいは人間の姿でいられるから、傍にいてやって」


 私の傍で立ち止まり、少し身を屈めて耳元に顔を寄せる。不敵に笑いながら肩を叩いて、バサルトは部屋を出て行った。

 パタンと扉が閉まり、静けさの中に雨音がほどよく響いている。ノアはベッドに仰向けになり、天井をじっと見つめていた。私が傍にいる時は鬱陶しいくらい話かけてくるのに、今日に限って大人しい。何を話していいのか悩んでいるのだろうか。しおらしい姿がノアらしくなくて調子が狂う。子犬みたいにじゃれついて、かまってと後をついてくることに慣れ過ぎてしまったのかもしれない。


 躊躇いながらベッド脇に椅子を運んで座った。

 私が傍に来ると、ノアは天井に向けていた顔をこちらに向け、黙って手を突き出した。少し身構えて手を伸ばすと、手の平にビーズの指輪が置かれた。落とした時に傷がついたのか、ビーズを通している紐が擦れて切れかかっていた。


「よほど大切なものなのね」

「あぁ……その指輪は、初恋の人からもらったものなんだ」


 そう話すノアの表情は今までに見たことがないくらい幸せそうだった。私に服従したいと言っておきながら、その心の奥には別の想い人がいる。肌身離さず持ち歩き、失くしたら我を忘れるほどに大切なものなら、その想い人もノアにとって特別な存在ということ。そんな人がいるのに私に服従したいなんて、馬鹿にされたみたいで腹が立つ。


「それじゃ、その初恋の人に傍にいてもらったら?」

「それならもう叶ってる。俺の初恋の人はキーラだから」


 寝返りを打ってこちらに体を向け、指輪を握っている私の手を掴んだ。焼けるように熱い手が肌に触れる感覚が、憎らしいくらいに優しくて心を乱される。


「待って、どういうことっ!? 私が初恋の……?」

「キーラ、本当に憶えてないのか? 俺が八歳くらいの頃だったか。いじめられていた俺を、魔女見習いだった小さなキーラが助けてくれたんだ」


 ―― 男なら自分より強い者に立ち向かっていきなさいよ!


 それはそれは唐突に、頭の奥で響いた。

 握り締めた手をおそるおそる開き、そこに収まったビーズの指輪をしっかりと確かめた。見覚えのあるそのビーズの指輪は、幼い頃母に一度だけ教えてもらって初めて作ったもの。かつて私が持っていた指輪がどうしてノアの手に渡ったのか。遠い昔の記憶が指輪を介して呼び覚まされた。

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