第14話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(5)
窓に触れる雨粒は、柔らかく砕けて溶けて外の景色をぼんやりとぼかしていく。
指先でガラスに触れると同時、どこか遠くの空で雷が鳴り響く。鬱蒼と生い茂る木々が邸に降り注ぐ雨を遮ってくれているが、森の外では土砂降りの大雨が降っているのがわかる。
「ノア殿は今日も来なかったな」
突然、静まり返った私室に声がして慌てて振り返った。
いつの間に入ってきたのか、オリビンとスフェンが部屋の中央にあるテーブルに紅茶と皿を並べ、メルリとエステルがそこにアップルパイを添えていた。
「びっくりした……入るならノックくらいしてほしいわ」
「五回以上はノックもしましたし声もかけましたよ。ですが、全くお返事がなかったので勝手に入らせていただきました。オリビン殿が作った焼き立てのアップルパイが冷めて硬くなってしまいますからね」
スフェンは心配する素振りをみせながら嫌味も忘れない。普段ならエステルが階段を駆け上がってくる足音すら気づくというのに、今日は部屋に入ってきたことすら気づけないほどぼんやりしていたらしい。
「夕飯もあまり食べてなかったからさ。好きなデザートくらい食べてくれよ」
「メルリ、ありがとう。でも、今日はそんな気分じゃなくて」
「ノアのこと、気になってるんでしょ?」
メルリとエステルが私の答えを求めて見つめてくる。自分ではそうじゃないと思っていたのだけど、違うと否定できなかったのは多分その通りなのかもしれない。
大切なお守りを失くしたと言ったあの日から一週間。ノアは一度も邸に姿を見せていない。毎日邸にやってきて騒がしくしていたせいか、急に連絡もなく姿を見せなくなると案外気になるものらしい。
「あれでも領主様だから。仕事が忙しいんでしょ」
「そうかもしれないけど。キーラ、キーラって、うるさいくらい足を運んでたのに急に来なくなるから。何かあったのかなって、ワタシでも気になっちゃうよ」
「おれ、様子見てこようか?」
「いいわよ、そんなの。放っておきましょ」
メルリの提案を断ったものの、正直少しだけ気になっていた。お守りを探しに行ったあと、ノアは無事に見つけることができなのか。それが見つけられず、いまだに探しているからここへ来られなくなったのか。それとも他の理由があるのか。
ふと隣に立つ気配に気づいてハッと顔を上げると、オリビンに小さなバスケットを手渡される。中には焼き立てのアップルパイが入っていた。
「これを持ってノア殿のところへ行っておいで。雨も降っているから、街でも人目にはつかないだろう」
「ど、どうして私が、そんなこと……」
「気になってしかたがないと、顔にかいてあるぞ」
私は慌てて顔に触れた。鏡がないからわらかないし自分では無表情だと思っていたが、無意識のうちに心の迷いが顔に出ていたのだろうか。指先で表情を確かめる私を、オリビンはからかうように笑った。
「そんな顔、してないと思うけど」
「お嬢のことは生まれた時から知っておるからな。ワシに嘘は通用せんぞ。ほら、素直に行っておいで」
「……行ってくる。エステル、一緒に来てくれる?」
「ごめん、ワタシ行かないよ」
何の迷いもなく、エステルは即答した。まさか断られると思わず驚いている私にニコッと小さな牙を見せて笑い、メルリの腕にしがみついた。
「今日はワタシの首輪とピアスをメルリに作ってもらう約束なの」
「私一人で行くなんて、そんなっ」
「キーラはもう大人なんだから、そのくらいできるでしょ?」
エステルの意見にメルリも納得したように相槌を打った。どうやら私が何を言おうと付き添ってくれる様子はない。
エステルが駄目ならと、助けを求めてオリビンに目をやった。当然、掃除や片付けがあるとやんわり断られ、スフェンにいたっては目を合わせることもなく、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
誰にも頼れなくなって、どうしたものかと手にしたバスケットを苦々しく見つめた。もとはといえば、私がノアのことを考えてぼんやりしていたのが悪い。自らが招いた結果なのだから腹を括ろう。
「様子を見たら、すぐに帰ってくるわ」
「行っておいで。あぁ、急がなくていいからゆっくりしてくるといい。夜は長いからのう」
「すぐに帰ってきます!」
言い聞かせるように念を押し、オリビンに見送られて部屋を出た。
邸を出て真っ暗な森を歩く足取りはいつになく重たい。材料の調達に出る時でさえ、こんなにも足が重たいと感じたことがないくらいだ。
「何をそんなに嫌がってるのよ。ただ様子を見に行くだけなんだから、どうってことはないでしょ」
ブツブツと独り言をつぶやきながら、なんとかこの重たい気持ちを軽くしたかった。なんてことはない。様子を見に行くだけで他意はない、ただそれだけのこと。何度も自分に言い聞かせて慣れた道を進んでいった。
森を出ると、街は土砂降りの雨に包まれていた。いつも行き交う人々の姿は一切なく、まるでゴーストタウンのよう。地面に叩きつける雨音だけが静かに響いていた。
ノアと一緒にクッキーを食べた噴水のある公園から、さらに高く丘を上ると、街を一望できるシレニアの丘の上にグランフェルト城が広がっている。城をぐるりと囲むように水の張られた堀があり、高い石造りの城壁で守られている。当然、門には侵入者を排除する騎士が配備されている。
領主という言葉を耳が痛くなるほど聞いていたはずなのに、ノアがあまりにも人懐っこく邸に出入りしていたせいで実感がなかった。城を目の前にしてようやくノアが領主であり、すんなり会わせてもらえるような相手ではないことをこんな時に限って認識した。
「おい、見ろ」
「あれは、常闇の魔女!」
城門に近づいていく私に騎士がいち早く気づいた。貴族の令嬢なら通してもらえるだろうが、街では厄介者の魔女。門前払いは態度を見れば一目瞭然だ。
「おい、止まれ!」
「ここは領主様の城だ。お前が近づいていい場所じゃない!」
警備を任された彼らは迷いもなく剣を抜いた。彼らにとって私は招かれざる者であって客人ではない。そういう反応を示すことは予想済みだ。もちろん、握りしめる剣が私を恐れて震えているのも見逃さない。
「こんばんは、騎士さん。そんな物騒なもの、しまってくださる? 用事が住んだらすぐに帰るから安心して」
「な、なんだと!」
「ここから先は一歩も――」
「〝
声は雨音に溶けながら彼らの耳から体へするりと入り込む。
私の言葉は一瞬で彼らを夢の中へと誘っていく。剣を手にした彼らの瞼は瞬く間に閉ざされ、地面にへたりと座り込む。遠くで聞こえる雷にも負けないくらい、気持ちよさそうな寝息をたてて眠ってしまった。
「ごめんね。少しだけ眠っててくれると助かるわ」
難なく門を抜け、城の目の前に広がる庭園を通り抜けて玄関へと辿り着いた。グランフェルト家の紋章と同じカラスを模したドアノッカーをおそるおそる鳴らした。
しばらく様子を窺って待ったものの、誰も出てくる気配がない。留守にしているのか、それとも私が来たことが知られて拒絶されているのか。
「えっ!? お嬢ちゃん?」
もう一度ドアを叩こうと手を伸ばした直後、背後から声をかけられた。
フード付きの外套を羽織り、野菜の詰まった籠を抱えたバサルトが背後に立っていた。振り返った私を信じられない様子で見下ろしている。私は気まずさからどんな顔をしていいのかわからず、あちこち目を泳がせながら小さく頭を下げた。
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