第13話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(4)
それにしても、厄介なことに巻き込んでくれたものだ。少し文句を言ってやろうとノアに目をやると、ノアは体を前に折り曲げ、ぐったりと疲れ切ったような溜息をついて項垂れていた。
「ちょっと、どうしたの? 大丈夫?」
「ああいう冷たいこと言うと、すごく疲れるんだよ……」
「けっこうはっきり言ってたから。案外、冷たいところがあるのね」
「必要に応じてだ。できることなら、ああいうことは言いたくないよ」
ノアはゆっくと体を起こし、夜の静けさを体いっぱいに取り込むみたいに深呼吸をする。綺麗に整った顔を顰め、前髪をくしゃくしゃと搔き乱して夜空を仰ぎ見た。
「曖昧な態度や言葉をかけることほど残酷なことはない。こっちは断ってるつもりでも、盲目的になっている相手は遠まわしな言い方すると好意的に解釈するからな。自分に興味がないんだって時間が経ってから気づくと、心の傷はさらに深くなるだろう?」
「だから、切り捨てるくらいの冷たさが必要ってわけね」
今まで縁談をきっぱりと断り続けていたのは、相手に未練を残させないためだったのだろう。傷は浅い方が治りは早いし、次の恋へと進むことができる。ノアなりの思いやりだったというわけだ。
「憎まれるくらいはっきり言ったほうが目も覚めるし、すぐに嫌いになって気持ちも切り替えやすいからな」
「仕事に恋に、領主様も大変ね」
「他人事みたいに言ってるけど、俺が断り続けているのはキーラを想ってるからだってこと、忘れてないか?」
口籠りながらも、ノアはちらりと横目で照れくさそうにこちらを見た。
さっきまで冷たく突き放していた時の表情とは打って変わって、じんわりと熱を帯びた眼差しを向けてくる。一心に向けられるノアの想いをつき放すには、彼同様にきっぱりと残酷なまでに切り捨てるべきなのかもしれない。
「貴族のご令嬢じゃなくて、街の人たちから忌み嫌われてる常闇の魔女を選ぶなんて、相当変わり者の領主様よね」
「俺は自分の気持ちに素直なだけだ。キーラはどの令嬢とも比べられないくらい素敵な人だからね」
むず痒くなるような恥ずかしい言葉をさらりと言ってのけ、最後の一枚のクッキーを頬張った。微かに吹く風の中に、クッキーを噛み砕く音が静かに響く。それが乱れた心を穏やかにするようで心地よかった。
「今までたくさんの縁談の話が来ていたが、アリシア嬢みたいに俺のことは見た目や地位のことしか言わない人ばかりだった。内面ではなく外面しかみていない相手を好きになるなんて無理な話だと思わないか?」
「あなただって、私のことなんて何も知らないでしょ?」
小さい頃からの幼馴染で、大人になるまでずっと傍で過ごしていたわけでもないし、まして家族でもないし共に暮らす使用人でもない。あの夜、突然私の前にやってきて服従したいと言った日から、せいぜい一週間たらずの関係でしかない。
「知ってるよ」
私のことなど何も知らないのに、よくそんなことが言えたものだ――そう思っていた矢先、ノアは迷いもなく答えた。この状況でよく嘘がつけるものだと少々呆れてしまった。
「弱い者いじめが大嫌いで、年上だろうと大人だろうと関係なく勇敢に立ち向かっていく、優しくて思いやりがあって素敵な人だよ」
「……私が?」
聞き返した私に、ノアは自信満々に頷いた。
こうもはっきりと断言するのは、私がノアに対してそういう態度を示したということ。ただそんな記憶が一切ない。どう考えても別の誰かと間違っているとしか思えなかった。
「ねぇ。それ、人違いってことはない?」
「ないな。間違いなく、俺はキーラのことを言ってるんだ」
まっすぐで吸い込まれそうな眼差しから、嘘を言っているようには思えない。思い込みがそうさせているのか、それとも私が覚えていないだけなのか。
心当たりがないか、忘れていることはないかと必死に思い返していた時だ。ふと、ノアの首から下がる銀色のロケットペンダントが目に留まった。綺麗な蝶の細工が施されているそのペンダントの蓋が開いていることに気づいた。
「……それ」
「ん? どうかした?」
「そのペンダント。蓋が開いてるみたいだけど」
「えっ!?」
ノアはひどく驚いた様子で慌ててペンダントを見下ろした。表情はみるみる青ざめ、辺りをきょろきょろと見回して勢いよく立ち上がった。
「この中に大事なお守りが入っていたんだ! どうしよう……きっとどこかで落としたんだ。どうして気づかなかったんだろう……俺、探してくる!」
「こんな暗い中で探したって見つかるわけないじゃない。明日、明るくなってからバサルトと一緒に――」
「それじゃ駄目なんだっ」
「っ!」
肩を掴まれたかと思った次の瞬間、私はノアの腕に抱き寄せられていた。
普段は服で隠れていて気づかなかったが、思っていた以上に体つきはしっかりしていて腕も力強い。ふわりと香る甘いオレンジのような香りと、抱き締められるという久々の感覚に身動きが取れなくなった。
「ごめん、すぐ戻ってくる!」
「えっ、ちょっと、待って!」
止めるのも聞かず、ノアは不安そうに声をあげて駆け出した。いつも笑顔で穏やかで、つかみどころがなかったノアが、初めて見せた感情の揺らぎに私は戸惑った。
ノアはそのまま真っ暗な細い路地へと飛び込んでいった。執事のバサルトも不在のまま、領主が独りになるのは危険すぎる。独りで出歩けない子供ではないし放っておこうかとも思ったが、今にも泣きそうなくらい不安気な顔を見てしまっては、放って帰るのは後味が悪すぎる。
「……もう! どうして私が面倒みないといけないのよっ」
ぶつける相手のいない文句を吐いて、ノアが消えた路地へと飛び込んだ。
ガス灯の明かりもなく、少し先に見える通りの明かりだけが頼りだった。ぶつからないよう駆けながら広い通りへと飛び出す。辺りを見回すも、ノアはおろか住民の姿すらない。すぐに追いかけたはずなのに、ノアの姿はなく完全に見失ってしまった。
「そんな足が速いとは思えなかったけど……どこに行ったのよ」
すると、目の前をヒラヒラと一匹の蝶が飛んでいった。
私の周りとくるりと周り、抜けてきた路地へ吸い込まれるように飛んでいく。その姿を目で追っていった矢先、路地からバサルトが駆けてきた。
「バサルト! どうしてここに?」
「猫ちゃんと荷物を森まで運んで、うちの坊ちゃんを迎えに戻ってきたんだ。そうしたら急に、二人で路地に飛び込んでいくから追って来たんだけど……うちの坊ちゃんは?」
「それが……」
ロケットペンダントに入っていたお守りを失くしたことに気づいたノアが、慌てて探しに行ってしまい、ここで姿を見失ったことを伝えた。それを聞いたバサルトは、申し訳なさそうに苦笑いをして頭を掻いた。
「まったく……あれが絡むと冷静でいられなくなるのは勘弁してほしいねぇ」
「そんなに大事なものだったの?」
「まぁ、そうだねぇ。あれは気弱で臆病だった坊ちゃんの心の支えだったから。今頃、泣きながら探してるかも」
と、バサルトは冗談交じりに笑った。子供じゃあるまいし、いい大人が泣きながらというのも想像できない。気になるのは、あの尋常ではない焦った様子だ。本当に大切なものだったことは、あの反応を見れば嫌でも伝わった。
「バサルト、今からノアを探しに行きましょ。お守りを探すのだって、一人より三人の方が――」
そう言いかけた私の言葉を遮るように、空からぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてくる。見上げた私の顔に当たる雨粒はやがて強さを増し、ザザーッと音を立てて降り注いだ。
「雨……」
「雲行きが怪しかったから予感はしてたんだが。この様子だと大降りになりそうだねぇ」
バサルトは素早く上着を脱いで私の頭からすっぽりと被せた。驚いて顔を上げる私に、ニヤリと笑って返した。
「このまま歩いて帰ったらずぶ濡れになるから家まで送るよ。坊ちゃんはオレが捜すから心配すんな」
「でもっ」
「大丈夫だって。ほら、本格的に降り出す前に行こう」
促されるまま来た道を戻り、馬車に乗って常闇の森へと向かった。
窓に叩きつける雨を見つめながら、私はノアの身を案じていた。濡れてはいないか、寒くはないか。エステル以外の誰かを心配するのは久々の感覚だった。
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