第12話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(3)

「領主様って立場だから、こんな夜に公園の噴水に座ってクッキーを食べるなんて思ってもいなかったわ」

「そうか? 俺はいつも食べるんだけど……キーラは、俺のことどんなヤツだと思ってたんだ?」

「だだっ広い庭で、貴族のご令嬢をたくさん侍らせながらお茶会したり、お酒飲んだり食事をしたり。言い寄ってくる女性は星の数ほどいるから、飽きたらすぐに別の女性へ行ったりするような?」

「ははっ、酷いな。それってただの女好きの遊び人みたいじゃないか」


 むしろそうだと思っていたし、私に近づいたのも魂胆があるからだと疑わなかった。

 ただ今のところ、その魂胆の欠片すら見つけられていない。存在しないから見つけられないのか、それとも隠すのが上手すぎるだけなのか。どちらにしても、彼が何を思っているのか本心を引き出す必要がある。どんなに慎重になっていたとしても、どこかに綻びはあるはずだ。


「ねぇ。あなたのこと、教えてくれる?」

「えっ!?」


 それまで穏やかだったノアが声を裏返した。

 今まで散々突き放してきた私が、自らのことを知りたいと言われて驚いたらしい。ただでさえ大きくて綺麗な目が、よりいっそう大きく見開かれる。やがて驚きは喜びに切り替わり、残っていた拳一つ分の距離さえ縮めて私に迫った。あるはずのない尻尾が生えて、ちぎれんばかりに振られているのが見えた気がした。


「急にどうして……いや、何でも聞いてくれ! キーラが知りたいことなら答えるよ」

「どうして私の結界があなたには通用しないのか。まずはそれを教えて」


 すると、ノアはとたんにニヤリとした。何か秘密でもあるのか、何でも聞いてくれと言った矢先に口籠った。やはり隠していることがあるのだろう。それを聞き出せればノアの魂胆を掴めるかもしれない。


「私、あなたことを知りたいって思ったのよ? 教えてくれないの?」

「……んー、その辺りは俺も詳しくないし確証はないんだが。多分、俺にかけられた呪いのせいだと思うんだ」

「の、呪い?」


 ノア曰く、彼の体には生まれた時から強力な呪いがかけられていて、その力の影響で私の魔術が無効化されたのでないかというのだ。

 魔術は魔力の強さに比例する。術者である私よりも強大な魔力を持つ魔女であれば、私のかけた術は無効化することは可能だ。常闇の森に張り巡らせた結界をいとも簡単に越えてきた説明はつくのだが、何せノアからはそんな魔力の波動を一切感じられなかった。

 それほど強大な力に侵されているのだとすれば、魔女である私が気づかないはずがない。この話は本当なのだろうかと睨みつけると、疑われていると気づいたのかノアはまたヘラヘラと笑って頭を掻いた。


「疑ってるのか?」

「……そんな強力な呪いがかけられているなら、力の波動を感じるはずなんだけど」

「んー、そういうものなか? 俺にはよくわからないが……でも、嘘はついてないよ」

「その呪いって、どんなものなの?」

「秘密」


 さらに訊ねた私に、ノアはニコッと笑って誤魔化した。その煌びやかな笑顔を向けられるとどうにも調子が狂う。


「秘密って!?」

「ほら。全てを知ってしまうより、少しくらい謎が残っていたほうが魅力的だと思わないか? もっと相手のことが知りたくなるだろう?」

「ならないわね」


 きっぱり言い返したそこへ、足音が近づいてくることに気づいた。カツカツカツと小気味よい音を響かせ、一人の令嬢が執事らしき老紳士を連れてやってくるのが見えた。

 歳は20前くらいだろうか。腰まである長い赤毛を一本の三つ編みに結っている可愛らしい女性だ。表情は険しくムッとして唇を噛み締め、怒っているようにも悲しそうにも見える表情を浮かべながら、純白のスカートをたくしあげ、必死に止めようとする執事を振り切ってどんどんこちらに迫ってきた。


「ノア様、いますぐその女から離れてくださいませ」


 到着早々、彼女は私のことを指さしながら言い放った。どうやら彼女はノアの知り合いらしい。

 事情はわからないが、今にも飛びかかってきそうな勢いと熱量、纏った雰囲気から想像するに、彼女がノアに好意を寄せていることだけはわかった。それに反してノアは驚くほど冷めきった笑顔を向けていた。姿は全く変わらないのに、中身だけ別の人格に変わってしまったのではないかと錯覚するほどだった。


「これはアリシア嬢。どうしてこちらに?」

「ノア様がその女と一緒にいるのを見かけて後を追ってきました。ノア様、ご存じないのですか? その女は常闇の魔女。一緒にいては呪われてしまいますわ!」


 街の人達からあらゆる恐怖と嫌悪を言葉にしてぶつけられてきたが、その女呼ばわりされた上に指まで刺されるのは初めてだ。長く住んでいても初めて経験することはまだたくさんあるのだな、と思ったのはほんの一瞬。野次を飛ばされることと変わらず慣れたもの。少しだけうんざりしながら、ノアから貰った紅茶のクッキーを頬張った。相変わらずシェリルさんのクッキーはバターたっぷりで美味しい。

 ご令嬢が忙しなく喚くのを横目にクッキーを頬張る私を、ああでもないこうでもないと非難が続いている。私同様、ノアもどこかうんざりしたように笑顔を浮かべながらも溜息をついた。


「わたくしはノア様が心配でならないのです! 何かあったらと思うと、胸が苦しくて……お願いです、ノア様」

「まるで恋人の身を案じているような言い方をされますね。私が呪われようが、アリシア嬢には関係のないこと。ご心配は無用です」

「そんなっ。わたくしはノア様をずっとお慕いしておりました! ノア様を心配してはいけないのですか?」

「先日、あなたとの縁談については丁重にお断りしたはずですが……」


 呆れ気味に冷たく言い放つノアを前に、彼女は唇を噛み締めて押し黙った。

 以前、ノアは全ての縁談を断っていると、スフェンの調査で聞いていた。おそらく彼女も断られた縁談相手の一人。ただ彼女は納得していないのは明かだった。私とノアの間には何もないが、まるで恋人を横取りしたような罪悪感を覚えて居心地が悪い。


「……その魔女が好きなのですか?」


 聞きたくないと思いながらも聞きたいという葛藤が、彼女の声を震わせていた。恋する女の心に渦巻く嫉妬心ほど強烈なものはない。想いの強さはおそらく死霊よりも扱い辛くて厄介。


「えぇ、そうですね。私は彼女のことを想っていますよ」

「どうしてその魔女なのですか! どうしてっ」

「ではアリシア嬢にお聞きしますが、どうして私を慕うのですか?」


 ノアは質問に質問で返した。理由を訊ねられた彼女は、泣きそうな表情から一変、うっとりとした笑みを浮かべ、指折り数えながらノアのことを話し始めた。


「最初にお見かけした時の、ノア様の笑顔がとても素敵で! 立ち居振る舞い、所作、全てが美しくて。他の方ではダメなんです!」

「では私が領主ではなく、働きもせず毎日遊び歩くような男でも、今と同じことが言えますか?」


 そう返したとたん、彼女は言葉を詰まらせた。予想しない言葉をかけられた時、とっさに出る無防備な言葉が嘘偽りのないその者の本心だ。

 言葉が出ないということは、さっきまで饒舌に話していた言葉も本心であっても上辺だけ。彼女はノアの表面上しか見ていなかったということになる。それはノア自身気づいていたからこそ、その問いを投げかけたのだろう。容姿や地位に関係なく、同じ言葉が言えるかどうか試したんだ。


「アリシア嬢にはもっと相応しい方がいらっしゃいますよ」

「わ、わたくしはっ、その」

「夜も遅いですから。帰ってゆっくりお休みください」


 ノアはさりげなく、彼女の背後で申し訳なさそうにしている執事に目配せをした。察した執事は深々と頭を下げ、悔しそうな顔をしている彼女を連れて帰って行った。

 解放された安堵感と共に一抹の不安が過った。可愛らしい顔立ちをしていたが、執着心が強そうな空気が体中に渦巻いていた。それこそ逆恨みで呪いをかけられそうな勢いだ。もっとも、魔力のない者が呪いの真似事をしたところで私には通用しないのだけど。一応帰ったら呪い除けのまじないをかけておこう。

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